第2話:デトキシケーション・シアン
リナが男を床にドサリと降ろす。
ガイルと呼ばれた重戦士は、白目を剥いて激しく痙攣していた。顔色は土気色で、口からは泡を吹いている。
晶は白衣を翻し、滑り込むように男のそばへ膝をついた。
即座に首筋に指を当て、脈を取り、瞼を裏返す。
(……脈拍微弱。瞳孔収縮。チアノーゼ反応あり。……そしてこの、特有の甘い異臭)
晶の脳内データベースが高速で検索をかける。
診断を下そうとした、その時。
横からポチが鼻をヒクつかせ、ガイルの口元に顔を近づけた。
「くんくん……! うわっ、くさっ!?」
ポチが耳を伏せて飛び退いた。
「こいつ、口の中から『腐ったアーモンド』の匂いがするのだ! ビリビリして、喉が焼けるような嫌な匂いなのだ!」
その言葉に、晶のアイスブルーの瞳が鋭く光った。
アーモンド臭。ある種の毒物が持つ、決定的なシグナル。
ポチの超感覚が、晶の推測を「確信」へと変えた。
「……でかしたぞ、ポチ。大手柄だ」
「えへへ、褒められたのだ!」
「リナ、こいつは呪いじゃない。ダンジョンに生えている『青い未熟な木の実』でもかじったんだろう?」
「えっ!? な、なんで分かるんだアニキ! 確かにガイルのやつ、休憩中に腹減ったって変な実を食ってたけど……」
「未熟な果物の種子には、『アミグダリン』が含まれている。こいつはそれを大量摂取し、胃酸で分解されて発生した毒ガスによって、細胞レベルで呼吸ができなくなっているんだ」
専門的に言えば「シアン化物中毒」。
回復薬は傷を塞ぐだけで、化学物質の分解まではできない。
「あちゃあ……。ガイルのやつ、意地汚いからな……」
リナがバツが悪そうに頭をかく。
この世界の人間は科学知識がないため、原因不明の急死はすぐに「呪い」だの「祟り」だのと片付けられる。
だが、原因が「物質」なら、「化学」で殴れる。
「フローラ、水を持ってこい。ポチ、お前は私の鞄から『青い小瓶』を出せ」
「わかったのだ! 任務なのだ!」
晶はガイルの胸元に右手をかざした。
集中する。
彼の体内を巡る毒素の構造式を脳裏に描き出し、それを無害化するための対抗式を構築する。
その姿は、端から見れば「無詠唱で儀式を行う大魔導師」そのものだが、彼女が脳内で行っているのは、理系特有の「記述」作業だ。
晶の唇が、小さく動いた。
「……構成式展開。酸素供給阻害要因除去……」
ヒュンッ。
晶の指先から、青白い光の粒子が溢れ出した。
それは魔法陣のような円形ではなく、複雑な亀の甲羅のような図形(ベンゼン環)と、元素記号の羅列となって空中に浮かび上がる。
「な、なんだこれ!? 文字が……光って回ってる!?」
リナが目を丸くする。
「……硫黄化合物・結合……反応開始!」
カッ、と店内に閃光が走る。
晶が記述した化学反応式が、現実世界に強制執行される。
男の体内にある猛毒のシアン成分を、解毒剤の成分とガッチリ結合させ、無害な水溶性物質へと書き換えていく。
数秒後。
ガイルの激しい痙攣がピタリと止まり、土気色だった顔に赤みが戻った。
「……う……ううん……」
彼は大きく息を吸い込み、ゆっくりと目を開けた。
「ガイル! 大丈夫か!?」
リナが泣きながら大男に抱きつく。
晶は額の汗を拭いながら立ち上がり、白衣の裾を払った。
(ふぅ……。ただの中和反応だが、生体内でやるのは骨が折れるな)
「す、すげえええ! 『死の呪い』を、光の粒子に変えて消し去ったのか!?」
リナが涙目で晶を見上げる。
「今のが伝説の浄化魔法……『聖なる抱擁』なんだね、アニキ!」
「違う。あと抱擁とか言うな。鳥肌が立つ」
「すごいですわアキラ様……! 死の淵から魂を、数式という鎖で縛り上げて引き戻すなんて……やはり貴方様は、命の理さえも書き換える『冥府の賢者』でもあらせられるのですね!」
「設定を盛るなフローラ」
二人が勝手に感動している足元で、ポチが晶のズボンの裾をグイグイと引っ張った。
「アキラ、アキラ! 毒消したのだ! ボク、匂い当てたのだ!」
「ああ、助かったよ。お前がいなきゃ特定に時間がかかった」
「ならご褒美なのだ! あのトロトロをつけたお肉、食わせろなのだーっ!」
ポチがふさふさの尻尾をプロペラのように回転させている。
「……現金なやつだな。よし、今日は奮発して厚切りにしてやる」
晶が苦笑した、その時だった。
興奮冷めやらぬリナが、晶の細い腕をガシッと掴んだ。
「こ、こんなすげえ魔法使いが、無登録なんてありえねえ! アニキ、ギルド行こうぜ! この偉業を登録しねえと人類の損失だ!」
「は? いや、私は目立ちたくないんだが……」
「いいから! ランクアップ間違いなしだ! 行くぞオラァ!」
「ちょ、待て! 引っ張るな! さらしがズレる……ッ!?」
晶は抵抗する間もなく、テンションの上がったリナに引きずり出されていった。
ポチも「お肉お肉ーっ♪」と嬉しそうについていく。
(……待て。)
ギルド登録ということは、避けて通れない「あれ」があるのではないか?
そう。
魔道具による『ステータス測定』だ。
もし衆人環視の中で、女という性別がバレたら!
芋づる式に「男装した貧乳女子」であることがバラされたら……?
(まずい。非常にまずいぞ……!)
晶の脳裏に、今後の人生設計が崩壊する音が響き渡る。
もし女だとバレれば、市場のオバちゃんたちからの「イケメン値引き」や「オマケ」という経済特権が消滅し、食費が跳ね上がる。
それだけではない。街を歩けば「おい見ろよ、あいつ女のくせに胸がマイナスだぜ」と指をさされ、嘲笑される日々が始まるに違いない(※完全なる被害妄想)。
そして極めつけは、大家の娘・フローラだ。
彼女は「孤高の男性賢者」に恋しているからこそ、格安で店舗兼住居を提供してくれているのだ。
もし性別がバレたら、「私の純情を返して! この女詐欺師!」と罵られ、路頭に迷うことになるかもしれない……!
晶の青い顔色が、今度は土気色に変わる。
だが、リナの馬鹿力は止まらない。
ズザザザザ、と靴底が地面を削る音が虚しく響く。
(やめろ、私をそこへ連れて行くな!)
リナにとってはただの受付かもしれない。
だが晶にとっては、己の尊厳を断頭台にかけられる、ただの処刑場でしかないのだ。
外は穏やかな晴れ模様、だが晶の胸中は嵐のど真ん中だ。
(だ、誰か助けてくれ! また『あの頃』に逆戻りするのは嫌だぁぁぁっ!!)
晶はドナドナの気分で、リナに引きずられていった。
◇
冒険者ギルドの喧騒の中、晶は処刑台に向かう囚人のような気分でカウンターの前に立たされていた。
周囲には、酒と汗と鉄の匂いが充満している。
「さあアニキ! ここに手を乗せれば、一発でステータスが出るからよ!」
目の前には、身分証を発行・更新するための魔道具――水晶板のような装置が置かれている。
この世界では、この装置に手をかざすだけで、個人の能力や属性が瞬時に解析され、カードとして発行されるのだ。便利すぎるがゆえに、残酷なシステムである。
もはや、逃げ場はない。
リナは目を輝かせ、ギルド職員も「さあどうぞ」と事務的な笑顔を向けている。
(……くそっ。やるしかないのか)
晶は覚悟を決めて、震える手を水晶にかざした。




