第11話:若返りの秘薬? いいえ、石鹸です
「はぁ……。最悪だ……」
『よろずや 結城』の店内で、リナが手鏡を覗き込みながら、この世の終わりのような溜息をついた。
「どうしたリナ。また借金か?」
「ちげえよ! 肌だよ、肌!」
リナが自分の頬を指差す。
連日の日差しと乾燥、そして先日の「蚊」や「スライム」などのトラブル続きで、彼女の健康的な肌はカサつき、荒れ気味だった。
「あたいだって一応、年頃の娘なんだぞ。こんなガサガサじゃ、いつまで経っても嫁に行けねぇよ……」
「そうですわね……。わたくしも最近、お肌のくすみが気になって……。市場に出回っている石鹸は、洗浄力が強すぎて肌が痛みますし」
フローラも憂鬱そうに頬に手を当てている。
この街で手に入る一般的な石鹸は、獣脂と木灰を煮込んだドロドロの液体(軟石鹸)だ。
汚れは落ちるが、独特の獣臭があり、アルカリが強すぎて肌へのダメージも大きい。現代日本の石鹸とは雲泥の差だ。
「あー……カイカイなのだ。ボクも体がかゆいのだ」
足元では、ポチが首元をボリボリと掻いている。
先日の静電気騒ぎで、皮膚が乾燥しているのだろう。
(……衛生環境の悪化は、病気の元だな)
店主の結城 晶は、帳簿を閉じた。
それに、美容用品というのは、いつの時代も「ボロ儲け」できる鉄板ジャンルだ。
これで稼げば、念願の執筆用紙を大量購入できるかもしれない。
「仕方ない。……肌荒れしない、極上の『洗浄剤』を作るか」
「本当かアニキ!? でも、変な薬とかじゃないだろうな?」
「安心しろ。材料は……ここにある」
晶は店の倉庫から、これまでの実験で余った材料を次々と取り出した。
「まずはこれだ」
ドン、と置かれたのは、サイダー作りで余った『発泡石の粉末』(重曹)。
そして、火起こしに使った『生石灰』だ。
「げっ……。アニキ、それ混ぜたらまた爆発するんじゃねえか?」
リナが警戒して後ずさる。
「爆発はさせん。……まずは『強アルカリ』を作る」
晶は手際よく作業を始めた。
まず、「発泡石(重曹)」を鍋で煮沸し、二酸化炭素を飛ばして「炭酸ソーダ」に変える。
そこに、「生石灰」と水を混ぜた「石灰乳」を投入した。
グツグツグツ……。
鍋の中が白く濁り、熱を帯びる。
これは『苛性化』と呼ばれる反応だ。
二つの物質が反応し、石鹸作りに不可欠な劇薬――『苛性ソーダ(水酸化ナトリウム)』の水溶液が生成される。
「よし、反応完了だ。ここに混ぜるのが……これだ」
晶が最後に取り出したのは、透明な瓶に入った美しい液体だった。
水のように透き通っているが、とろりとした粘り気がある。
「綺麗ですね……。それは?」
「『月光花の種油』だ」
夜になると淡く発光する『月光花』。
平原や湖畔に群生するありふれた野草だが、その種から絞れる油は、食用には向かないものの、不純物が極めて少なく、無色無臭。
美容石鹸のベースとしては最高級の素材だ。
「へぇ、あの夜光る草か。綺麗な油だな。でも、油とあの劇薬を混ぜるのか?」
「ああ。……鹸化反応、開始」
晶のアイスブルーの瞳が、分子結合を見極める。
抽出したアルカリ水溶液に、月光花の油を少しずつ注ぎ入れ、一定の温度を保ちながらひたすらかき混ぜた。
油と水。本来混ざり合わない二つが、化学反応によって結びつき、白く白濁したクリーム状へと変化していく。
「おおっ! 固まってきたぞ!」
「まだだ。ここからが重要だ」
晶はそこに、除草に使った残りの『塩』を大量に投入した。
「えっ? お塩ですの?」
「『塩析』だ。塩を入れることで、純粋な石鹸成分だけを分離させる」
塩が入ると、鍋の中身が劇的に変化した。
不純物や余分な水分が沈殿し、表面に「真っ白な固形物」が、まるで流氷のようにぷかりと浮き上がってきたのだ。
晶はそれを布で掬い取り、型に入れて冷やし固めた。
数時間後。
「完成だ」
テーブルの上に並べられたのは、レンガのような形をした、純白の固形物だった。
獣臭さは微塵もなく、月光花由来のほのかな甘い香りだけが漂っている。
「これが……石鹸?」
リナがおそるおそる手に取る。
硬くて、すべすべしている。泥のようなあっちの石鹸とは別物だ。
「使ってみろ」
晶が洗面器に水を張った。
リナが手を濡らし、白い石鹸をこすり合わせる。
すると。
モコモコモコ……。
「うわぁぁっ!? なんだこの泡!?」
きめ細やかで、弾力のある真っ白な泡が、リナの手を包み込んだ。
月光花の油は泡立ちも良い。
「す、すごい……! ふわふわだ! 雲に触ってるみたいだ!」
リナが感動して顔を洗う。
洗い上がりはさっぱりしているのに、肌はしっとりと潤っていた。
塩析によって不純物が除去されているため、肌への刺激が極限まで抑えられているのだ。
「信じられません……」
その様子を見ていたフローラが、白い石鹸を宝石のように両手で持ち上げた。
「危険な爆発の石(生石灰)と、発泡の石……。相反する力を、月の光(油)と海の恵み(塩)で清め、結晶化させるなんて……」
フローラの瞳が、またしてもあさっての方向へ輝き出す。
「これは単なる洗浄具ではありませんわ。月の女神の涙を固めた、穢れなき『純潔の聖石』……! これを使えば、失われた若さと美貌を、魂レベルで取り戻すことができるのですね……!」
(ただの石鹸だけどな)
晶は心の中でツッコミつつ、ポチを捕まえた。
「ほら、お前も洗うぞ。カイカイ治るからな」
「わふっ! 泡あわなのだ! 気持ちいいのだー!」
ポチが泡まみれになってはしゃぐ。
その洗い上がりは、極上のフワフワ具合だった。
「アニキ! これすげぇよ! あたいの肌、赤ちゃんみたいにスベスベだ!」
「わたくしも……! くすみが消えて、肌が発光しているようですわ!」
女性陣が大騒ぎする。
その効果は劇的だった。
本来の肌の美しさを引き出すこの白い石鹸は、化粧品など存在しないこの街の女性たちにとって、まさに「若返りの秘薬」だったのだ。
「ふふ……。これなら、貴族の奥様方に高く売れそうだな」
晶はニヤリと笑い、白い石鹸の山を見つめた。
だが、晶の計算はそこで終わらなかった。
「待てよ。……ただ白いだけじゃ、金貨は取れないな」
「金貨!? アニキ、これを金貨で売る気か!? いくらなんでも高すぎだろ!」
「付加価値をつける。……ポチ、裏庭から『バラの花』を摘んできてくれ」
「わかったのだ! お花摘みなのだー!」
数分後。
ポチが手ぶらで戻ってきた。
「アキラ、バラさん、もう咲いてないのだ。虫さんに食べられちゃったのだ」
季節外れだったのか、あるいは虫害か。肝心のバラがない。
「なんてことだ……。これでは『薔薇の吐息』が作れませんわ……」
フローラが絶望するが、晶は慌てない。
「問題ない。バラがないなら、『合成』すればいい」
「ご、合成? バラを作るのか?」
「いや、『香り』だけを作る。材料は……これだ」
晶が取り出したのは、『砂糖』と『豆の粉(きな粉)』、そしてパン作りにつかう『酒の種』(酵母)だった。
「はぁ? 砂糖と豆? お菓子でも作る気か?」
「見てろ。ここからは少し、『記述』の手を借りるぞ」
晶はタンクに湯を張り、砂糖と豆の粉を溶かし、最後に酵母を投入して密封した。
ただ混ぜるだけでは、雑菌が入ったり、酵母が別の代謝を行って変な匂いになりかねない。
狙った香りだけをピンポイントで作るには、精密な制御が必要だ。
晶は右手をかざし、脳内のデータベースを展開した。
「……構成式展開。代謝経路記述」
ヒュンッ。
晶の指先から、青白い幾何学模様が空中に浮かび上がる。
それは魔法陣ではなく、複雑な亀の甲羅のような図形(ベンゼン環)と、化学反応式の羅列だ。
「うおっ!? 出たな、アニキの謎文字!」
リナが目を丸くする。
晶は空中に浮かぶ式を、指揮者のように指先で書き換えていく。
「……アミノ酸分解プロセス固定。温度30度、pH調整……。生成物、2-フェニルエタノールに限定……」
晶の思考が、タンクの中の酵母たちに「指令」として伝播する。
それは魔法と言うにはあまりに無機質で、しかし絶対的な「法則の書き換え」だった。
ボコッ、ボコッ……。
数時間分の発酵プロセスが、記述魔法の補正によって加速され、最適化されていく。
発酵ガスが抜け、晶がコックをひねる。
滴り落ちてきた透明な液体からは――。
「えっ……!?」
リナが鼻を疑う。
そこからは、むせ返るような「濃厚なバラの香り」が漂っていたのだ。
「うそだろ!? 豆と菌だぞ!? なんで花の匂いがするんだよ!」
「香りの正体は物質、要するに化学構造だ。酵母がアミノ酸を分解する過程で、バラと同じ香り成分が生成されるんだ」
「菌が……バラの香りを吐き出したというのですか……」
フローラが震えながら、空中に残る青白い数式の残滓を見つめる。
「生命の営み(発酵)を、謎の神代文字で支配し、幻の芳香を生み出す……。これは神の領域、『生命の錬金術』……! アキラ様は、花さえも不要とされるのですね……!」
(まあ、コストほぼゼロで量産できるからな)
晶はニヤリと笑い、この原価激安の合成香料を石鹸にたっぷりと練り込んだ。
そして、小さな木箱に恭しく収める。
完成したのは、淡いピンク色に染まり、極上の香りを放つ『プレミアム石鹸』だ。
「……名前はそうだな、『薔薇の吐息』とでもするか」
晶が値札を書いた。
【価格:金貨一枚】
「うわぁ……。本当に書きやがった……」
リナがドン引きする中、フローラだけは「お安いですわ……!」とうっとりしていた。
さらに晶は、アルコールと砂糖を使って石鹸を透明化させた『箱庭の宝石』(白金貨一枚)も開発し、ボロ儲けの準備を整える。
「ふふふ……。これで理想の『書斎』を作る資金も稼げるな」
晶は夢見ていた。
この金で、誰にも邪魔されない防音完備の書斎を作り、快適な椅子に座って執筆に没頭する日々を。
だが、彼女はまだ知らない。
この石鹸が、アステルの貴族女性たちを熱狂させ、書斎どころか「巨大工場建設」という名の修羅場を招くことになる未来を。
第1章・全38話完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
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第2章(ラーメン編)は執筆済みなので、第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




