第9話:地獄の業火? いいえ、生石灰です
静寂の湖の畔に、リナの舌打ちが響いた。
「チッ、ダメだ。全然つきやがらねぇ」
リナは火打ち石をカチカチと打ち合わせているが、積み上げた炭からは、頼りない煙が細く立ち上るだけで、一向に炎が上がる気配がない。
「湿気てやがるな。湖の近くだし、さっきの水飛沫もかかっちまったか……」
「アキラぁ……。イカさん、まだなのだ? ボク、もう待てないのだ。生のままかじっていいか?」
看板娘のポチが、空腹で目を回しながら、巨大なイカの足に食らいつこうとしている。
足元には、先ほど電気ショックで仕留めた新鮮な『大王イカ』がある。
最高の食材を前にして、火がつかないというのは拷問に近い。
「やめろ、腹壊すぞ」
店主の結城 晶が、ポチの首根っこを掴んで引き剥がした。
「アニキ、火魔法でドカンとやってくれよ。このままじゃ日が暮れちまう」
「魔法なんぞいらん。……湿気ているなら、『水』で火をつければいい」
「はぁ? 水?」
リナが素っ頓狂な声を上げた。
「水かけたら余計に消えるだろ。アニキ、暑さでボケたのか?」
「常識に囚われるな。……見てろ」
晶はリナを押しのけ、湿った炭の山を少し崩した。
ポーチから取り出したのは、ゴツゴツとした「白い石の塊」だ。
晶はそれを炭の中心に埋め込み、その周囲に「黄色い粉末」と、小瓶に入った「油」をたっぷりと垂らした。
「白い石に、黄色い粉……? 何の儀式ですの?」
紅茶を飲んでいたフローラも、興味深そうに覗き込む。
「ただの化学反応だ。……構成式展開」
晶は湖の水をコップに汲み、炭の山に向かって構えた。
アイスブルーの瞳が、分子レベルの熱エネルギー変換を見据える。
「……水和反応・発熱最大化」
「おいおい、本気かよ!?」
リナが止めるのも聞かず、晶は無造作に水をぶちまけた。
バシャッ。
炭と、白い石が濡れる。
火を消す行為にしか見えないその行動。
だが、その直後だった。
ジュワァァァァァッ!!
「うわっ、煙!?」
リナがのけぞる。
水をかけられた白い石――『生石灰』が、猛烈な勢いで高熱の蒸気を噴き出したのだ。
生石灰(酸化カルシウム)は、水と触れると激しい化学反応を起こし、数百度もの熱を発する。
その熱が、導火線代わりの硫黄と油を一気に加熱し、発火点へと到達させた。
ボッ!!!
湯気の中から、爆発的な勢いでオレンジ色の炎が噴き上がった。
高熱によって炭の湿気は瞬時に蒸発し、種火は一気に燃え広がっていく。
「なっ!? 水をかけたら燃えた!? なんでだよ!」
リナが腰を抜かす。
水を燃料にして火が燃えるなど、この世界の常識ではあり得ない現象だ。
その矛盾した光景に、フローラが戦慄した。
「信じられません……。水属性の魔力を喰らい、自らの燃料に変えて燃え上がるとは……」
フローラの瞳に、揺らめく炎が映る。
「これは一度ついたら最後、対象が燃え尽きるまで決して消えることのない、伝説の『不滅の獄炎』……! アキラ様は、この炎を海に投げ込んでも燃やし続けることができるのですね……!」
(いや、水かけすぎたら普通に消えるけどな)
晶は心の中で訂正しつつ、うちわで風を送った。
炭が良い感じに赤熱し、BBQの準備は整った。
「火はついたぞ。焼くか」
「わーい! 魔法の火なのだ! すごいのだー!」
ポチが歓声を上げ、クラーケンの切り身を網に乗せる。
ジュゥウウ……。
食欲をそそる音と香りが立ち上る。
新鮮なイカが焼ける匂いは、それだけで暴力的なまでの魅力を放つ。
「よし。せっかくだから、少し彩りを加えるか」
晶は余興として、ポケットから数種類の粉末を取り出した。
銅貨の削りカス(銅)、ミョウバン(カリウム)、岩塩などだ。
これらを炎の中にパラパラと投げ込む。
「……炎色反応」
すると、オレンジ色だった炎の色が、次々と変化を見せた。
ボッ。ボッ。
銅の鮮やかなエメラルドグリーン。
ミョウバンの妖艶なパープル。
岩塩の眩しいイエロー。
焚き火の中で、毒々しくも美しい虹色の炎が乱舞する。
「わぁぁ! キレイなのだ! お花みたいなのだ!」
ポチが目を輝かせるが、大人の二人は反応が違った。
「げっ……。なんかヤバそうな色になったぞ。緑色の火で焼いた肉とか、食って大丈夫なのか……?」
リナが引きつった顔でイカを見つめる。
そしてフローラは、いつものように解釈を飛躍させていた。
「緑(風)、紫(闇)、黄(土)……。異なる属性のマナを、炎の中で完全融合させているのですわ……」
フローラが震える手で胸を押さえる。
「ただの火起こしに、これほどの高等術式を多重展開するなんて……。これが『五色の獄炎』……。アキラ様にとって、魔法とは呼吸と同じようなものなのですね……」
「色はただの反応だ。味には影響しない。……ほら、焼けたぞ」
晶は綺麗に焼けたイカを皿に取り、隠し味の醤油を垂らした。
ジュッ!
焦げた醤油の香ばしい匂いが、おかしな空気を吹き飛ばす。
「いただきますなのだー!」
ポチが熱々のイカにかぶりつく。
「んまーい!!」
ポチが叫んだ。
生石灰の高熱で一気に焼き上げられたクラーケンは、外はカリッと、中はプリッとした絶妙な食感に仕上がっていた。
噛むほどに溢れ出す濃厚な旨味に、ポチの尻尾がブンブンと振られる。
「……う、美味い!」
恐る恐る口にしたリナも目を見開く。
「見た目は毒々しいのに、味は最高じゃねぇか! 悔しいけど箸が止まらねぇ!」
「本当ですわ……。魔界の炎で焼かれたことで、魔物の肉の臭みが消え、旨味だけが凝縮されています……。これが『浄化の炎』の味……」
フローラも優雅に、しかし猛スピードでイカを消費していく。
「もっと! もっと焼くのだアキラ!」
「はいはい。食ったらちゃんと働けよ」
晶は苦笑しながら、虹色の炎に新たな炭をくべた。
静寂の湖畔に、パチパチという炭の爆ぜる音と、「おかわり!」というポチの元気な声が、平和に響き渡るのだった。
第1章・全38話完結保証しています。キリの良いところまでキッチリ読み切れます!
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第2章(ラーメン編)は執筆済みなので、第3章執筆のモチベーションに使わせていただきます。




