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桜舞う頃には君と走り出したい  作者: ZGOsKT


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5/6

熱を手放す皮膚

「休憩なし」のトレーニングが始まって、今日で3日目だ。あるいは4日目かもしれない。

昼と夜の境界線は曖昧になり、僕たちの意識は、ただ「足を繰り出す」という単純な信号のループの中に溶け込んでいた。

「遅い。リズムが崩れてる」

前を走る君の声が、鋭い鞭のように飛んでくる。

その声には、初日にあったような余裕も、指導者としての冷静さもなかった。あるのは、焦燥感だけだ。

君の背中は、鬼気迫るものがあった。

完璧なフォームであることに変わりはない。けれど、その筋肉は張り詰めすぎている。まるで、極限まで巻き上げられたゼンマイ仕掛けの人形のようだ。いつ弾け飛んでもおかしくない。

「あと0.5秒、ペースを上げて。今のままじゃ、世界の終わりに間に合わない」

君は腕時計を見ずに言った。君の体内時計は、原子時計よりも残酷に、残された時間をカウントダウンしているのだろう。

僕たちは走り続けた。アスファルトからの熱が、容赦なく体力を奪っていく。

その時だった。

路上の小さな段差に、君がつまづいた。

転倒はしなかった。ほんの一瞬、体勢が崩れ、数歩分だけリズムが乱れた。ただそれだけのことだ。

しかし、君はまるで致命傷を負ったかのように、顔を歪めた。

「くそっ……!」

君は舌打ちをし、乱れた分を取り戻そうと、急激に加速した。

それは「走り」ではなかった。自分自身への「罰」であり、地面への「八つ当たり」だった。呼吸が荒れ、足音が乱暴になる。

このままじゃ、壊れる。

君という高性能なエンジンは、摩擦熱を持ちすぎて、自らを焼き尽くそうとしている。

僕は、歯を食いしばってペースを上げた。心臓が悲鳴を上げているが、無視する。

君の隣に並ぶ。

横顔を見た君の瞳は、血走っていた。そこに見えているのは、今の景色じゃない。「間に合わなかった過去」の幻影だ。

「離れろ。巻き込むぞ」

君が低い声で威嚇する。

「離れない、このままいく」

僕は、あえて君の肩が触れるほどの至近距離に体を寄せた。

「何をしてる! リズムが狂うだろう!」

「狂わせているのは君だ。……熱くなりすぎてる」

僕は、自分の荒い呼吸を、意識的に深く、ゆっくりとしたものに変えた。

吸って、吐いて。吸って、吐いて。

僕という平凡な、精度の低いエンジンが吐き出す、泥臭い排気音。

君の鋭利で張り詰めた呼吸のリズムに、僕の鈍重で大きなリズムを無理やり割り込ませる。

「僕に合わせろ、とは言わない。ただ、僕を使え」

僕は、走りながら言った。

「君は鋭すぎる。切れ味の良すぎるナイフは、鞘がなければ自分を傷つける。……僕が、その鞘になる」

君が、僕を睨んだ。

けれど、僕は視線を逸らさなかった。

君が抱えている恐怖、焦り、後悔。それらが生み出す莫大な「熱」を、僕が受け止める。

僕には、君のようなスピードはない。未来を見通す目もない。

でも、僕には「痛みに耐える鈍感さ」がある。ずっと世界に取り残され、凡人として這いつくばってきた「打たれ強さ」がある。

それが、君という繊細な才能を守るための、緩衝材バッファになるはずだ。

「……息を、吐け。全部、僕の方に吐き出せ」

僕の言葉に、君は一瞬、呆気にとられたような顔をした。

しかし次の瞬間、君は大きく口を開き、肺の底に溜まっていた熱い塊を、長く、深く吐き出した。

「ふぅぅぅぅぅ…………ッ」

その吐息と一緒に、君の身体から余計な力が抜けていくのがわかった。

強張っていた肩が下がり、足音が柔らかくなる。

ギリギリと軋んでいた君のリズムが、僕の少し間抜けで、けれど決して止まらない一定のリズムと混ざり合い、落ち着きを取り戻していった。

しばらくして、君がボソリと呟いた。

「……音感の悪い走り方だ」

「なんとでも言え」

「泥船に乗せられている気分だ」

「沈まない泥船だ」

君の口元に、微かだが、皮肉めいた笑みが戻っていた。

それは、恐怖に支配された顔ではなく、共に走る仲間へ向ける顔だった。

「わかったよ、伴走者。……少しだけ、お前の鈍感さに甘える」

君は再び前を向いた。その走りは、先ほどまでの鋭利さこそ潜めたが、代わりに、どこまでも走り続けられそうな「しなやかさ」を魅せていた。

平凡であること。それは、何も持っていないということではない。

誰よりも衝撃を吸収し、誰よりも熱を逃がし、天才が壊れるのを防ぐためのクッションになれるということだ。

それが、僕が果たすべき役割なのだと、僕は確信した。

僕たちはまた、一つのリズムになった。

世界が終わるその瞬間まで、僕はこの熱を、冷ますことなく守り続ける。

(第5話 完)

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