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「マルグリットさん、いますか? セレナです!」


森はしんと静まり返り、鳥のさえずりすら聞こえない。

返事はなく、数秒待ったあと、もう一度声を張り上げた。


――出かけているのかしら?


「セレナ、また来たのか」


背後から呆れたような声がして、思わず振り向く。

そこに立っていたのは、私よりも背の低い可愛らしい少女。

ライトグレーの長い髪をゆるく編んで肩に垂らし、年齢に不釣り合いな黒いローブを纏っている。


「こんにちは、マルグリットさん!」


「もう誰も通れぬように結界を張ったはずだが……。お前はどうやっても通り抜けてくるな」


口調は穏やかなのに、どこか年寄りじみた響きがある。

思わず私はくすっと笑った。


小さい頃、レオンハルトとカイルと三人で偶然見つけたマルグリットさんの家。

屋敷の裏の森に、こんな小屋と同い年くらいの女の子がいることに、私たちは大興奮だった。

最初は追い払おうとしていたマルグリットさんも、最後は根負けして私たちをここで遊ばせてくれるようになった。

そのとき彼女が、実はこの土地に公爵家が建つ前から住んでいる魔女だと教えてくれたのだ。


――長く生きているマルグリットさんなら、レオンハルトのことも何か知っているかもしれない。

そう思ってここまで来た。


「それより、マルグリットさんに聞きたいことがあるの!」


私が真剣な顔で言うと、マルグリットさんは「ふん」と鼻を鳴らし、深々とため息をついた。

そのまま私の横をすり抜け、小屋の扉を開けて片手で中を示す。


「……まったく、お前はいつも落ち着きがない。まぁいい、早く入れ」


促されて足を踏み入れると、むわっと独特な匂いが鼻を突いた。

摺り潰された薬草、干からびた草花、煮詰められた獣の骨の匂いが入り混じり、思わずむせそうになる。


小屋の中は外見よりもずっと広く、天井まで積まれた棚に瓶や壺がびっしりと並んでいた。

赤や緑に光る液体、乾燥したコウモリやヘビの骨、正体不明の粉末や草の束。

机の上には半分書きかけの古い羊皮紙と、奇妙な形の羽ペン。

テーブルや床には紙や本が乱雑に置かれ、私は踏まないように気を付けて歩いた。


まるで雑多なガラクタの山に見えるけれど、すべてが何かしらの“力”を秘めているように感じて、背筋がぞくりとした。


「そこに座れ。……そこの山を崩すなよ」


私は傍にある本の山を倒さないように注意しながらソファに座った。

マルグリットさんは向かいの椅子にちょこんと座り、幼い姿に似合わず、じっと私を見据えた。

足はぶらぶらと宙を揺れているのに、その目は百年を生きた者のように深い。


私は昨日お城で起きた奇妙な出来事を、思い出しながら順に話した。

靄に包まれた女性、頭上に見えた光る糸、頭の奥に響いた声、レオンハルトの冷たい表情……。


話し終えると、マルグリットさんは長く息を吐いた。

小屋の奥で煮込まれている薬草の匂いが、ふわりと立ちこめる。


「……そうか。とうとう動き出したかもしれないな」


低くつぶやいた声に、背筋がぞくりとする。


「どういうこと?」


マルグリットさんは目を閉じ、静かに語り始めた。


「もうずいぶん昔の話だ……この一帯はかつて闇に包まれていた。

その闇を率いていたのが、魔王――闇の世界の王だ。

奴は人の心に直接語りかけ、恐怖と憎しみを増幅させ、人々を互いに争わせた。

糸を使って人や獣を操る魔族も、魔王の配下にいた奴だ。

だが、ある日勇者が現れ、仲間を率いて、長い戦いの末に魔王を倒し、封印した。

その後、雲が晴れ、太陽が戻り、大地には緑がよみがえったんだ……」


マルグリットさんの声が小屋の中に響くたび、古い瓶がカタリと揺れたような気がした。

聞かされたのは、教科書にも歴史の本にも載ってない、初めて聞く話だった。


「…じゃあ、魔王がいなくなれば、レオンハルトも元に戻るってこと?」


「おそらくな」


あまりにあっさりした答えに、私は息を呑む。


「そんなの……ムリだわ」


あの暗い声が脳裏に蘇る。

背筋が冷え、思わず肩を抱いた。

とてもじゃないけれど、そんな恐ろしい存在と向き合うなんて――。

カイルもお父様も、危ない目に合わせられない。


「なら、諦めるんだな」


マルグリットさんの声音は冷たいわけではない。ただ事実を告げているだけだった。

けれど、その言葉は胸に突き刺さった。


「他に……他に、レオンハルトを助ける方法はないの?」


私の声は震えていた。


マルグリットさんはしばし黙り込み、やがて深くため息をついた。


「方法がないわけではない。しかし、レオンハルトを救う魔法を使うには、膨大な魔力と精密な技術が必要だ。

魔法を一度も学んだことのないお前に出来ることではない」


私は唇をかんだ。

そう――学園では、魔法は男子しか学べなかった。

『将来、夫を支える妻には戦う力など不要だ』

そう言われて、私は一度も魔法を教わることがなかったのだ。

ーー

「そんなの、…ムリだわ」


私は頭に響いた声を思い出す。

それだけで背筋がぞくりとした。

得体のしれない何かに対峙するなんて、出来ない…。

カイルやお父様だって危ない目には合わせられない。


「じゃあ諦めるんだな」


「他にレオンハルトを助ける方法はないの?」


「方法がないことはない。しかし、レオンハルトを救う魔法を使うには、多くの魔力と技術を必要とする。魔法が使えないお前には無理だろう」


確かに、学園で魔法について学ぶのは男子生徒だけだった。

将来、夫を支える妻には、戦うための魔法なんて必要ないという理由で。


「それなら、魔法が使える人を連れてくるわ!」


必死で言った私に、マルグリットさんはあっさりと首を横に振った。


「得体の知れない奴に教えるつもりはない。そもそも、ここには誰も入れない。私もこの結果の外には出たくない」


「そんな……じゃあ、どうしたら……」


レオンハルトの濁った瞳が、頭に浮かぶ。

あの冷たい声、見知らぬ誰かに操られたような表情。

胸が締めつけられて、思わず拳を握りしめた。


「私がやるわ」


静かな声が、小屋の中に響いた。


「……魔法が使えないだろう」


マルグリットさんの冷静な言葉に、私は立ち上がる勢いで叫んだ。


「教えて、マルグリットさん! いえ……教えてください!」


マルグリットさんはじっと私を見て、深いため息をつく。

そしてソファから立ち上がり、部屋の奥に積まれた木箱を漁った。

ガラスや金属の触れ合う音がして、やがて彼女は顔ほどの大きさの丸いガラス玉を取り出した。


「なつかしい……これ、昔みんなで転がして遊んでたやつ!」


「遊び道具ではない。……いいから、触れてみろ」


差し出されたそれを両手で受け取った瞬間、ガラス玉の奥に淡い光がともった。

最初はかすかに、やがて脈打つように明るく緑色の光を放つ。

小屋の中が、ひととき、深い森の中のような緑色に染まった。


「うん、緑色に光る。これが何? 前からこうだった気がするけど……」


「光ったな。これは魔力のある者にしか反応しない。

つまり――お前には魔法の素質がある」


マルグリットさんはガラス玉を取り上げ、じっと私を見据えた。


「だが、素質があるだけだ。

必要な魔法を身につけるには、長い時間と努力が要る。

泣き言を言って途中で投げ出すくらいなら、教えたくない」


「……やるわ」


私ははっきり言った。

恐怖も不安もあるけど、今はそれよりも、レオンハルトを助けたい気持ちが勝った。


マルグリットさんは少し目を細め、にやりと笑った。


「そうか。ふむ……なら、教えるからには、見返りが必要だな」


「見返り?」


「タダ働きはごめんだ」


少し考えてから、私はぱっと顔を上げた。


「じゃあ……毎回、母の手作りパイを持ってくるわ!」


マルグリットさんの眉がぴくりと動く。

昔から彼女は母の焼くパイが大好きだった。


「……良いだろう」


マルグリットさんは満足げにうなずいた。

そして、再びガラス玉を私に押しつける。


「では、次に来るときまでに覚悟を決めておけ。

途中で逃げ出したら、二度とここへは入れないと思え」


「……はい!」


こうして私は、マルグリットさんに魔法を教わることになった。

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