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城に着いた時には、もう夕暮れになっていた。
茜色に染まった空を背に、堂々とそびえる城門。
私は深呼吸をして、門をくぐろうとした――その瞬間。
鋭い金属音と共に、槍の穂先が目の前に突きつけられた。
「ご令嬢の入城は許可されておりません」
門の両脇に立つ衛兵二人が、槍を交差させて私の進路を塞ぐ。
「そんな……」
今まで、入城を止められたことなど一度もなかったのに。
「先程、セレナ嬢との婚約破棄が正式に発表されました。
今後は公爵家からの正式な申し出がなければ、城への立ち入りは認められません」
無表情に告げる声。
もうお城の人達に伝えられたの?
つまり、王様や王妃様も了承したということなのね……。
本当にあの女性が、王子妃になるの?
涙が込み上げてくる。
けれど、今は悲しんでる場合じゃない。
さっきあったことを伝えないと…!
「ま、待ってください! レオンハルト殿下の様子がおかしいと思いませんでしたか?
それに、連れていた女性も――」
「殿下はおかしくなどありません」
衛兵の目が冷たく光る。
「これ以上の発言は、不敬罪にあたります。お気をつけください」
息が詰まった。
不敬罪だなんてーー。
確かに「殿下がおかしい」なんて発言は良くなかったかもしれない。
でもこれじゃ、殿下のことを誰にも伝えられないじゃない…!
納得がいかない。だが、ここで食い下がっても無駄だ。
私は悔しさを噛み殺し、踵を返そうとした――その時。
「セレナ!」
聞き覚えのある声に振り向く。
城門の向こうから、一人の騎士が駆けてきた。
カイルだ。
三つ年上の幼なじみで、今は騎士団の副団長を務めている。
茶色の髪に澄んだ青い瞳。高い背に鍛え上げられた体。
幼い頃はレオンハルトと三人でよく遊んだ仲だ。
「カイル!」
私のそばまで来た彼は、荒い息を整えながら言った。
「婚約破棄のこと……聞いた。何があったんだ?
つい最近まで、あんなに幸せそうに見えたのに」
その瞳は、私の痛みに寄り添うように悲しげだった。
「……私も、よく分からないの」
声が少し震えた。レオンハルトが微笑んでくれたのが、もうずいぶん前のことのように思える。
必死に抑えても、胸の奥が軋んだ。
カイルはしばし黙り込んだ後、「少し時間あるか?」と静かに言った。
そして私を、城下町の居酒屋へと誘った。
***
店に入ると、酒場は仕事終わりの男たちで賑わっていた。
ジョッキを掲げる笑い声と香ばしい肉の匂い。
その喧騒に紛れれば、誰かに聞かれる心配もない。
「セレナはここから選んで?」
カイルが渡してくれたのはノンアルコールのドリンクメニューだった。
気遣いが胸に沁みて、「ありがとう」と微笑む。
注文を済ませ、すぐに飲み物が運ばれてきた。
テーブルに置かれたグラスから、冷たい雫が伝って落ちる。
「それで……何があったのか、詳しく話してくれないか?」
真剣な瞳に見つめられて、私は深く息を吸い込んだ。
――レオンハルトに突然、婚約破棄を言い渡されたこと。
紹介された靄のかかった女性。
殿下の頭上に見えた、光る糸。
そして、頭に響いた、不気味な男の声。
常識で考えればあり得ない。頭がおかしくなったと思われても仕方がない話。
けれど、カイルは一言も遮らず、真剣に耳を傾けてくれていた。
「信じるよ」
全てを聞き終えたカイルは、真っ直ぐに私の目を見つめ、静かに言った。
「実は、あの女性を初めて見た時から少し不気味に感じてたんだ。けれど、彼女が客室に住み始めてからは顔を合わせることもなくて、気にしないようにしてた」
「カイル……ありがとう」
胸の奥に、じんわりと温かさが広がる。
「こんな話、誰にも信じてもらえないんじゃないかって、不安だったの」
その瞬間、カイルが私の手を優しく握った。
「そんな心配、俺にはしなくて良いよ。俺は、セレナの言うことなら信じるから」
まっすぐな眼差しに心臓が跳ねた。ずっと一緒に過ごしてきた幼なじみだからこそ、疑わずに信じてくれているのだろう。それでも今の私には、その言葉が何よりも嬉しかった。
「でも今は、まだ何が起きているのか分からない。俺が城で殿下やあの女性のことを調べてみる。何か分かったら、必ず伝えに行くから……セレナは待っててくれ」
「……うん、分かった」
「セレナ、落ち着いたな」
「え?」
「昔の君なら『私も何かする!』って言って、俺と殿下を困らせてただろ。狩りのときも……」
カイルが昔を思い出して笑った。
きっと、私が庭師のスコップを片手に、2人の狩りについて行ったあの日のことだろう。
確かにあの時は、スコップで獲物を倒そうと本気で思っていた。
今ならスコップで戦うことなんて出来ないってわかるけど。
それをいじられるのは、恥ずかしい…!
「もう、それは昔の話よ!今の私は上品でおしとやかなレディーなんだから」
「ははっ、ごめんごめん、そうだな、セレナは綺麗なレディーになったよ。…でも本当に危ないことだけは、しないでくれ」
最後の言葉は真剣に言われて、胸が熱くなった。
「…わかってるわよ」
その後、私たちは昔話を少しして、酒場を出た。
夜の風は昼の熱気を冷まし、ほんのり涼しい。カイルが馬車の前まで見送ってくれる。
「それじゃあ、セレナ。気をつけて」
「うん……カイルも」
別れの言葉を交わし、私は馬車に乗り込んだ。
屋敷に戻った時には、空にはすっかり星が瞬いていた。