新撰組伍長・林信太郎の日記
目を覚ますと布団をあげる。私がそれをしだすと他の隊士も起き始めてめいめい布団をあげる。
暑くもなく寒くもない天気の良い朝だ。京の夏は身体に堪えるのでずっと今くらいの季節であれば良いのにと思う。
私が道場に着く頃には土方先生と永倉先生は既に準備を終えている。挨拶をして私も準備をすると三々五々他の隊士も集まってきて日課の訓練を始める。
終わる頃になって沖田先生が顔を出す。土方先生は小言を言うが沖田先生相手では柳に風だ。
訓練が終わると朝食を摂る。私は自分が食事を終えるといつも通り斎藤先生の部屋に向かう。
とくに断りもなく障子をあけると斎藤先生は布団も敷かずに畳にゴロ寝している。
最近はいつもこうだ、斎藤先生が朝食を幹部部屋で摂らなくなったのはいつの頃からだったろう。屯所がこの西本願寺に移った頃からか、伊東先生が入隊した頃からだろうか、それとも。
畳に散らばった徳利を拾い集めていると斎藤先生がわざとらしくあくびをして起き上がる。私が障子の前に立った時点で目が覚めていたくせに白々しいとは思うが、面倒なので口には出さないでおく。
斎藤先生はふらりと部屋から出て行く。その背中に向けて今日うちの隊は非番だと言うと背中越しに片手をあげてみせる。井戸に行って顔を洗うつもりだろう。酒癖は悪い癖して身嗜みはきちんとしているのだ。
私は拾い集めた徳利を厨にそっと戻しておく。今日は運良く見つからなかったが、寺男に見つかると嫌味を言われるので何だか損した気持ちになる。
非番になると急に手持ち無沙汰だ。日課はあらかた済ませてしまったし読みたい本もない。
隊士部屋の縁側に座って日向ぼっこをしていると沖田先生が通りかかる。いつも微笑んでいるが、目の奥が笑っていない気がして私は正直苦手だ。浪士組の頃はこうではなかった気がするが、少しずつ変わってしまっているのだろうか。
沖田先生は私に対していかに近藤先生と伊東先生が素晴らしいかを語ると大きな声で笑う。
沖田先生の背中を見送っていると中村君が寄ってきて将棋を指そうと誘われる。私は別に囲碁も将棋も好きではないが丁度暇をしていたところなので一局指す。中村君の将棋はなんと言うか、下手の横好きで、終始私が優勢に進める。
私が中村君の飛車も角も取った頃中村君が今後の隊の在り方について語り出す。どうやら中村君の目的は将棋ではなくこちらだったようだ。
中村君は新撰組の総長が粛清されたことを酷く気に病んでいるようだ。あの件は皆が驚き、そして心を痛めた。私自身も総長のことを尊敬していたので当時は落ち込んだ。
中村君は総長に殉死する隊士が一人もいないのは失礼に当たるのではないかと悩んでいた。我々が殉死するべきなのは松平容保公に対してのみであると言うと、彼は納得出来ない素振りは見せたものの私にそれ以上の言葉の持ち合わせはかった。将棋の方は私が打った一手で中村君が投了した。
ちょうど通りかかった監察の山崎君が対局が終わった将棋の盤面を覗き込んで、えらいこっちゃと呟く。それがどういう意味かわからずに私と中村君は顔を見合わせる。山崎君はそんな私達など意に介さず川島さんを最近見たかと聞いてくる。
川島さんは少し前に新撰組を追放された人だ。理由は私達には知らされていない。
私も中村君も見ていないと言うと山崎君は何度も頷いてから礼を言うと去っていった。
中村君は山崎君が十分離れるのを待って、今度は川島さんが殺されるのかと呟く。何故そんなことを言うのか聞くと、監察に目をつけられたということは副長に目をつけられたということだ、と中村君は答えた。
総長が腹を切ったのは土方先生に楯突いたからだという噂がまことしやかに囁かれていた。その論拠としては、総長が西本願寺への屯所移転に反対し土方先生に中止するよう強く申し入れ、土方先生がそのことに腹を立て、居心地の悪くなった総長が新撰組を脱走した、というものだった。中村君はそのことを言っているのだろう。
私があまり考えすぎるなと言うと中村君は寂しそうに笑って将棋の駒を片付け始めるので私も倣って将棋の駒を片付ける。
厠に行く途中に中庭の繁みに座り込んでいる隊士を見つける。近付いてみると最近入隊したうちの隊の若者だった。何があったか聞いても首を横に振るだけだ。その顔面は赤く腫れ上がっている。大方先輩隊士に殴られたのだろう。今後気をつけて見てやる必要がある。後で斎藤先生に報告しよう。
とにかくこんな繁みにいるところを他の先生に見つかっては面倒なことになるからと隊士を立たせて部屋まで送る。
夕方になると武田先生と藤堂先生の隊が巡察に出て行く。それを見送ると夕食になる。
私はさっさと自分の夕食を済ませると膳を一つ持って斎藤先生の部屋に向かう。
例によって断りもなく障子を開けると斎藤先生が手酌で酒を飲んでいる。私はその目の前に膳を据える。
斎藤先生はそれを一瞥すると興味なさそうにまた酒を煽る。私が少しは食べなくてはダメだ、と言うとしぶしぶ漬物に箸をつける。飯も食えと言うと迷惑そうにしながらも申し訳程度に飯を取って口に運ぶ。
若い隊士の件を報告する。斎藤先生は聞いているんだかいないんだかわからない。私がさらに言い募ると斎藤先生は面倒そうに、そういうのはお前に任せると言ってまた酒を飲む。
中村君のことも報告する。彼は永倉先生の隊に所属しているが、私から永倉先生に報告するのでは筋が違うのでまずは直属の斎藤先生に報告する。
斎藤先生は頷くと突然昔の話をしだす。皆で中村君の恋路を応援した話だった。斎藤先生にしては珍しく酔っているらしい。斎藤先生は酔うと昔の話をするのだ。
「林。何読んでる」
顔を上げると斎藤先生が立っていた。
私は何も言わずにその帳面を渡す。
斎藤先生はそれをぱらぱらとめくって一瞥すると突っ返してくる。
「日記か、相変わらずマメだな」
斎藤先生が薄っすら笑う。
「読み返してるだけですよ、ここのところはまったくつけられてません」
私の言葉に頷くと斎藤先生は自分の寝床でごろりと横になり腕枕をする。
会津に来てから斎藤先生は少し変わった。いや、逆か。戻ったのかもしれない。もともと先生はこういうお人で、京にいたころが尋常ではなかったのか。
この会津の戦もそろそろ終いだろう。如来堂を守備するとはいっても、この人数ではまともな戦はできまい。しかしそれも良いと思った。仲間たちもあらかた死んだ。私は運が良い方だ。会津に殉じて、尊敬する斎藤先生とともに死ねるのだから。
私は再び日記帳に目を落とす。そこには仲間たちと、そして私が生きた証が残されていた。
新撰組伍長・林信太郎の日記 完