10.小麦の収穫と『確かな筋』の雨予報2
「…………っ」
私は息を呑んだ。
ブラウニーは重ねて言った。
「それも大雨が降る」
収穫前の小麦は雨が大敵で、降る前に刈り取ってしまわねばならない。
だが空は澄み渡り、太陽が輝いている。
素晴らしい快晴の青空に、雨が降る気配は一つもなかった。
「いつ降る?」
「明日から、数日ずっとだ」
そしてブラウニーは私にはっきりと断言した。
「これは確かな筋の情報だ」
ブラウニー自身が雨が降るのを知っているのではなく、彼も誰かから聞いたらしい。
「確かな筋っていうのは?」
ブラウニーは黙った。
「…………」
情報元を開かす気はないようだな。
私はすぐに決断した。
「分かった。今から小麦を刈ろう」
ブラウニーは信じられないというように、目を大きく見開いた。
「……俺達のこと、信じるのか?」
「ああ、信じる」
私は即答した。
「お前達も小麦の生育を待ちわびていた。違うか?」
ブラウニーはこくりと頷く。
小麦があればパンもお菓子も作れる。お菓子は彼らの大好物だ。
だがそれ以上に、ブラウニー達は『楡の木』に暮らす人々をずっと見てきた。
「前の住人が種を蒔き、皆が心を込めて育てていたのを、お前達は知っている」
ブラウニーは良い家に居着く。
私が来る前からこのブラウニーはここに住んでいる。
『楡の木』は良い家だった。その住人も善い人達だったのだろう。
そんな彼らが残したものをブラウニーが粗末にするはずがない。
「疑ったりはしないよ、教えてくれてありがとう」
「おーい、リーディアさん」
「ノア」
町の少年の一人、ウォームグレーというのか灰色と茶色の中間の髪を揺らしてノアが駆けてきた。
「手伝いに来たんだ」
息を切らして彼は言う。
私だけでは大変だろうと応援に来てくれたようだ。優しい子だ。
「ああ、遠いところ、ありがとう。まずはお水をお飲み」
私は水筒の水を渡してやった。
町からここまで五キロもある。
このくらいの年の子は無料で学べる町の学校に通っているが、毎日学校に通えるのは裕福な家の子供だけだ。
ノアの家は母親が病気で家計が苦しいらしく、週に一、二回しか学校に通えない。ノアは学校に行かない時は、近隣の農家の手伝いをしたり、きのこや野草や薪を拾って稼いでいる。
「ありがとう、リーディアさん」
このところは少し暑くなってきたので喉が渇いたんだろう、彼は水筒の水をあっという間に飲み干した。
私は水を飲み終わるのを待って彼に言った。
「ノア、早速だけど、君に頼みがある」
「えっ、何?」
いつもと様子が違うのを察したのか、ノアの表情が硬くなる。
「すまないが、今から町に戻ってジェリーさんに明日から大雨が降るって伝えてくれ」
「えっ……?」
ノアは戸惑って天を見上げる。
「雨が降るの?」
「降るんだ。私には分かる」
私は自信たっぷりに言った。
本当は全然分かってないが、誰かに指示する時は堂々としていないと駄目だ。騎士だった私はそう教え込まれている。
ただ、なんとなく、雨は降る気がした。
私は騎士団でもそういう『カン』が当たる方で、いつも通らない王宮の回廊を通っていたら、偶然王太子のフィリップ殿下が暴漢に襲われるところに遭遇した。
あの時も、朝から「なんかありそうだなぁ」と思っていたのだ。
もっとしっかり『カン』が働いてくれればばっちり武装して怪我も負わなかっただろうが、ともかく私は王太子殿下をお救い出来た。
ノアは遠慮がちに問いかける。
「あの、リーディアさんはもしかして魔法使いなの?」
「ああ、引退したけどね。頼む、ジェリーさんに伝えてくれ」
「うん」
「そうか、ありがとう」
私はノアに向かって魔法の呪文を唱えた。
肉体強化のまじないだ。
魔法が掛かり、体が軽くなったんだろう。
「えっ?」
ノアは驚いた様子で自分の体のあちこちを見た。
「すごいよ! リーディアさん」
「私が魔法使いだって信じてくれたかい? でも他の人に秘密にしておくれ」
「うん!」
ノアは一目散に町に駆けていこうとした。
「いやいや、待て、ノア」
私はあわてて彼を呼び止めた。
「水筒に水入れないと。あと、途中で食べる用のサンドイッチとおやつを持って行きなさい。それから急いで欲しいけど、無理はしちゃ駄目だ」
私は母屋に戻り、急いで用意したリュックを彼に背負わせる。
「行ってきまーす」
ノアが駆けていった後、ビョョョョンと変な音と共にジャック・オー・ランタンが飛んできた。
「ジャック・オー・ランタン?」
「そいつも麦刈りする、と言っている」
いつの間にかまた姿を現したブラウニーがジャック・オー・ランタンの代弁をした。
「え、麦刈り、出来るのか? お前?」
結論から言うと、ジャック・オー・ランタンの鎌裁きは私より上手かった。
こうして私は無事に麦刈りを終えたのである。
***
その後の話はジェリーから聞いた。
ノアから話を聞いたジェリーはすぐに皆を集めて雨が降ることを伝えた。
すると話を聞いたほとんどの農家がその日のうちに麦を刈ったのだそうだ。
もちろん麦刈りは重労働なので、町中の人間が手分けして手伝った。
そして翌日、雨は降った。
三日間、雨は降り続いた。あのままだったら麦は深刻な被害を受けるところだった。
「しかし皆、私みたいな新参者の話を信じてくれましたね」
「ああ、まあな」
ジェリーは適当に濁したが、別の農家さんから話を聞くと、ジェリーはものすごく自信たっぷりに「確かな筋の情報だ」と言ったらしい。
便利だな、『確かな筋』。
結局はジェリーの信用だろうが、皆に信用されるジェリーは私を信用してくれた。
「どうもありがとう」
とお礼を言うと、
「いや、礼を言うのはこっちの方だよ」
とお礼を言われた。
私は私の『確かな筋』に礼をすることにした。
さて、彼らはどんな料理を作ったら喜んでくれるだろう?
手製のレシピ帳を眺めながら、私はある一品に目をとめた。初心者でも簡単に作れるケーキと教わったレシピだ。
ブラウニーはお菓子が好きだ。
そうだ、スコーンを作ってみよう。
材料は小麦粉、砂糖、重曹、牛乳に卵。あらかじめ冷やしておいたこれらを切るように混ぜ合わせる。
生地を麺棒で一センチほどの厚さに伸ばし、丸型で抜く。
それを天板に載せ、予熱したオーブンで二十分ほど焼くと出来上がりだ。
スコーンに添えるのは苺のジャムと生クリーム。
町に出た時、今が旬という苺をたっぷり買ってきた。
今は生で美味しく食べているが、余ったら苺ジャムにすればいいと八百屋のおかみさんからレシピを教わった。
材料は苺に砂糖にレモン汁。まずこれを混ぜ合わせて一晩置く。
すると苺から汁が出てくるから、水を加えずに鍋でとろっとするまで煮詰めれば完成だ。
「ブラウニー、いるかい?」
呼ぶと一番大きなブラウニーが食器棚からひょこりと顔を出す。
「なんだ? 何か用か?」
私は布に包んだスコーンを渡した。
「スコーンというお菓子を作ったんだ。君の分と『確かな筋』の分。その人に半分分けてあげてくれ。クリームとジャムは中の小瓶いっぱいに詰めてあるからね。お好みでどうぞ。『どうもありがとう』と伝えておくれ」
「分かった」
と言うとブラウニーは布を抱えてさっさと姿を消してしまった。
その後、夜になってブラウニーがしょんぼりと声を掛けてきた。
「渡してきたぞ」
布と綺麗に洗った空の小瓶を返されたが、それよりなんでしょんぼりしているのか気になる。
「スコーンは口に合わなかったか?」
尋ねるとブラウニーは首を横に振る。
「美味かった。約束だから半分渡した」
どうやら半分やるのが惜しいくらい美味かったらしい。
気に入ってもらったのは嬉しいが、あれ、小麦と砂糖と重曹を使っているから、割合高価なんで気安く約束出来ない。
「あー、また今度な、機会があったら作ってあげよう」
ブラウニーは食い下がってきた。
「今度? 今度っていつだ?」
「今度は今度だ」
「だから、いつだ?」
「今度だよ、それより美味しかったなら、明日はアーモンドの粉でクッキーを焼いてみようかね。ノア達も食べるだろうし」
クッキーもちょっとお高いのだが、小麦粉よりは安価なアーモンドの粉を混ぜて作るクッキーやケーキというのがあるらしい。
少年達はいっぱい食べられる方が嬉しいだろうから、いろいろ工夫してみよう。
引退して好きなことをして暮らそうとここに来たが、気楽な反面、孤独な生活が待っていると覚悟していた。
だが案外、私は賑やかに暮らしている。
「ふん、俺達の分も作れよ。約束だぞ」
「ああ、約束だ」
これが、初めての春の出来事。
番外編、春編終了しました。最後までありがとうございます。
『確かな筋』は本編でも登場した森に住む妖精ノーム達です。警戒心が強い彼らはこの時はまだリーディアの前には出てきませんが、こっそりブラウニーに雨が降るのを伝えました。
次回からは夏編に入ります。
夏のリーディアはマスタードを作ったり蜂蜜採りをしたりします。ゴーラン騎士団の人達もちょっぴりだけ出てきます。
お気づきかもしれませんが、9話でリーディア、すぐに収穫した小麦を食べられると思ってますが、そんなわけないよー、からスタートです。(すぐに脱穀出来ると思い込んでます。あまりにも基本的なことなんで誰もリーディアに教えませんでした)
では夏編もよろしくお願いします。