01.ライ麦パンと蒸し野菜ときのことベーコン1
番外編まで読んで下さる方へ
これはリーディアがゴーランの田舎町フースから五キロ離れた一軒家に引っ越してきてすぐの春。楡の木荘が宿屋になる前のお話です。
料理やブラウニー達や本編ではあまり触れられなかったフースの町が登場します。
本当に地味な話ですが、どうぞご覧下さい。
引っ越し後、家の中や外を見て回るだけで、瞬く間に数日が過ぎた。
私の買った農家はかなり広く、二階建ての母屋は部屋が二十近くあり地下室付き。さらに別棟にはしっかりした納屋まである。
その他に馬小屋に牛小屋、鶏小屋、サイロ、そして広大な畑と牧草地。
右を向くと見える山も私の敷地だそうだ。
「こりゃあ管理が大変そうだな」
畑を見つめながら、私は一人ぼやく。
ゆっくりしようと思って田舎暮らしを選んだが、忙しくなりそうだ。
しかし季節はうららかな春である。
空気が美味い。
いい匂いがする風がさらさらと膨らみ始めた小麦の穂を撫でていく。
小麦は収穫を待たずに引っ越していった前の家主が残して行ったものだ。小麦の他にライ麦もあり、さらにオーツ麦といった雑穀も植わっている。
野菜もいろいろ植えられている。
濃緑色の葉は玉葱だろう。玉が太り、葉が風で倒れるのが収穫の合図。
一月後が楽しみだ。
アスパラが地面から小指の先ほどの小さな芽を出している。
その横では成長した豆が蔓を伸ばして地面を這っている。早く支柱を立ててやらないといけない。
他には名前も分からないハーブや野菜。
その奥に植えられているのはベリー類だ、多分。
植物の種類もろくに分からない私の田舎暮らしは、まず図鑑をめくるところから始まった。
***
その日はいつもより少し早く起きた。
引っ越してすぐはあわただしいだろうと、私は町で仕入れてきた食料品を食べて暮らしていたが、とうとう昨日、買ってきたパンがなくなった。
そこで私は今朝、ライ麦パンを作ることにした。
パンの中でもライ麦パンは少ない材料で作ることが出来る簡単なパンだと本に書いてあったからだ。
発酵種は昨日のうちにこしらえておいた。
水とライ麦粉を混ぜ合わせ、それを清潔な瓶に入れて温度がなるべく一定の場所に一晩置いておくだけ。
簡単である。
ライ麦粉と塩と水をよく混ぜ合わせ、昨日作った発酵種と蜂蜜少々を加え捏ねる。生地を丸くまとめて一時間ほど発酵させる。
生地が膨らんだら成形し、また発酵。
できあがった生地を余熱しておいたパン釜に入れて焼く。
こうして焼き上がったパンを私はうきうきしながら分厚く切って、朝の食卓にセットした。
他のメニューは、オムレツに、畑で摘んだ野菜で作ったサラダに、コップ一杯のミルク。
卵は産みたて、野菜は採れたて、ミルクは絞りたて。
これぞ、田舎暮らしの醍醐味。
完璧な朝食、なはずだった。
「頂きます」
大口を開けご機嫌で自家製パンにかぶりついた私は、無言になった。
「…………」
美味しくない。
パンから酸っぱい匂いがする。そのうえ粘土のような食感だった。
後で考えると粘土のような食感は発酵のやり方と捏ね方が良くなかった。
ライ麦の発酵は小麦よりわかりにくく大きくは膨らまない。そのため発酵時間を長く取り過ぎてしまった。
捏ね方もまずかった。手のひらを使って空気がたくさん入り込むように捏ねるのが美味しいパンを焼くコツだが、指先で混ぜてしまった。
そして酸っぱいのは、ライ麦のせいだった。
ライ麦パンはどうしたって酸っぱいのだ。
実は私はライ麦百パーセントのパンを食べたのはこの時が初めてだった。
私がライ麦パンだと思っていたものは、小麦にライ麦を混ぜたパンだった。
種類としてはむしろライ麦入りの小麦パンというのが正しい。
町でも「おすすめ」と言われたパンを適当に買っただけで、それがライ麦パンかどうかなんて気にしていなかった。
ライ麦だけでこしらえたパンというのは、食べ慣れていない者にはかなり食べ辛い。
そこで小麦を配合してみたり、ドライフルーツやナッツを混ぜるのだが、私にそんな知恵はなく、「材料が少なく手順も少ない簡単なパンだから」と安易にライ麦粉百パーセントでパンを作ってしまった。
材料も手順も少ないからこそ、ライ麦パンは美味しく作るのが難しいパンなのだ。
こうしてとびきり美味しくないライ麦パンは出来上がってしまった。
残すのももったいないので、私は朝からしょんぼりしながら、美味しくないパンを完食した。
他の料理はうまく出来たと思うんだが、パンのせいで美味しさは三割は減少している。
私は悲しい気分で食事を終え、その後の仕事の能率はあまり上がらないまま昼食時間を迎える。
だが、私の悲劇はまだ始まったばかりだった。
「…………」
昼食を作りにキッチンに入った私は、憂鬱な気持ちでパンを見つめた。
欲張って大きなパンを焼いてしまったので、まだたっぷり残っている。
朝こしらえたパンは、昼になると見るからにパサパサしていた。
一応、パンボックスと呼ばれるパンを入れる保管ケースに入れておいたのだが、あまり意味はなかったようだ。
ライ麦パンは本来パサつきにくいが、過発酵してしまったパンは元からパサついており、さらに劣化も早い。どうしょうもないのだ。
パン職人が一番苦労するはずのパン釜の火加減は、なけなしの魔力を駆使したおかげで上手くいってしまった。
だから私の初めてのライ麦パンはひどく焦げたり、生焼けだったりはしてない。
そうだったら食べないという選択もあっただろうが、食べられるものを捨てるのはやはり抵抗があった。
私だって騎士だったので、美味しくないと評判の軍の携帯食を食べることもあった。毒に体を慣らすためと毒薬を口にしたことすらあるのだ。
それに比べれば、私のライ麦パンはただ美味しくないだけだ。
私は決断した。
よし、食べよう。
なんで現役引退した後でこんなわびしい食事をとらねばならないのかは疑問だが、作った以上、自分で食べるのが筋というものだ。
「失敗したパンは少し蒸すといいぞ」
私はその声にハッと振り返る。
声の主はこの家に住むブラウニーだった。
ブラウニーは初日に見かけたきりでその後は今の今まで姿を見せなかった。
ただ真面目に働いているのは知っている。
馬小屋と牛小屋、鶏小屋の掃除と動物達の世話は私がやらないでもいつの間にか済んでいた。
そのブラウニーがキッチンにちょこんと立っている。
「蒸す? そんなことしたらベトベトで美味しくなくなるだろう?」
思わず尋ねると、ブラウニーはおもむろにこちらを指さした。
「そのパンはベトベトじゃないのに美味くない」
正論である。
「分かった。蒸そう」
私は棚から蒸し器を取り出した。
ブラウニーは言った。
「一緒に野菜も蒸すといい」
「そうだな」
今日の昼食はパンと蒸した野菜にしよう。
貯蔵庫にある野菜、じゃがいもと人参と玉葱を取りに行こうとした私に、ブラウニーはまた言った。
「きのこは? 一緒に蒸すと美味しいよ」
「ああ、きのこか。それは美味しそうだが、きのこはな――」
振り返ると、ブラウニーの隣にもう一人ブラウニーがいた。
……増えてる。






