03.クリーム付きスコーン
私は手早く作れるスコーンを作ることにした。
小麦粉に砂糖に重曹、それと塩少々を混ぜ合わせ、さらにバターに加えて、その後牛乳を加える。
「おい」
丸い型抜きを使い生地をくりぬいていると、食器棚の向こうから小さな声で先程洗濯物を取り込んだブラウニーが私に呼びかけてきた。
「スコーンを焼くなんて聞いてない」
「今、決めたからな」
「クッキーよりスコーンがいい。スコーンにしてくれ」
ブラウニーは家人以外の者に姿を見せたがらない。客がいる時に声を掛けてくるのは珍しいが、スコーンは彼の好物なので我慢出来なかったようだ。
「構わんが、クリームが欲しいなら別働きだぞ」
と私も小声でブラウニーに答える。
「ではランプと蝋燭立てを磨いてやる」
「よし、それで手を打とう」
取引が成立するとブラウニーはさっと姿を消した。
「……今のは妖精か?」
後ろから男の声がした。
まったく忌々しいことにこの男は気配を消すのが上手い。
見られていることに気づかなかった。
「はい。屋敷妖精ですよ。大きな家なら大抵彼らが住んでいるようですよ?」
「『ようですよ?』」
「知識としては知っていましたが、現物を見たのは初めてなので」
言い切るほど私は彼らに詳しくないのだ。
「私も初めて屋敷妖精を見た。本当にいるのだな。良い家に居着くという幸運の精霊だな」
男は感心した様子だった。
「ところでお客さん、何かご用事ですか?」
「ああ、連れにも水を一杯いただきたい。が、君は何をしている?」
「スコーンを作っています。水は食堂のピッチャーからお好きにお飲み下さい」
私は水のありかを教えたが、男は動こうとしない。
「スコーンとは?」
「ケーキの一種です。発酵がいらないので促成パンともいいます」
「発酵がいらないのか」
料理などしなそうな男だが、意外と食いついてきた。
「はい、材料に重曹を使っております」
「重曹?」
「重曹を入れると発酵させなくても生地が膨らむのです」
男は興味深そうに私の手元を見つめる。
まだ焼いてないスコーンは高さ数センチというところ。これが倍くらいに膨らむのだ。
「……便利だな」
「便利ですよ」
話をしている間にスコーンの成形が終わり、私は鉄板をオーブンに入れた。
後は焼き上がるのを待つだけだ。
ふと横を見ると、男もじっとオーブンを見つめている。
何故?
私の視線に気付いたのか、男はこちらを向くと尋ねてきた。
「スコーンというのはどのくらいで焼ける?」
「二十分ほどです」
「私も食べてみたい。二人分、頼む」
食べるのか?
「はあ、それはよろしいですが、料金は頂戴しますよ」
「ああ、もちろんだ」
「飲み物はどうなさいます? 珈琲と紅茶が用意出来ますが」
男は目を丸くした。
「珈琲があるのか?」
珈琲はかなり離れた異国からの輸入品なので高価なのだ。
王都でも貴族や富裕層しか飲めない贅沢な嗜好品だが、私は一日一杯珈琲を飲むのを楽しみにしている。
「ありますよ。ですが、ご存じの通り材料費が高価なので、一杯につき銀貨二枚頂戴します」
「珈琲で頼む。二人分」
銀貨二枚あれば庶民なら切り詰めれば一週間暮らしていけるのではないか。
二人分ぽんと出すこの男は金回りが悪くないらしい。
身のこなしといい、話し方といい、名のある騎士だろう。
確かここの辺境伯軍は伯爵本人が優秀な魔法騎士で配下に優れた魔法騎士を従えているそうだ。
そう考えた私はあわてて頭を振る。
……いやいや、素性の詮索はやめよう。気付かなければただの通りすがりの客だが、気付いてしまったら面倒なことになる。
世の中知らない方が良いことは山とあるのだ。
私は戸棚から珈琲豆とミルを取り出し、食堂に向かう。
「かまどは良いのか?」
「ええ、薪と魔石を組み合わせているので、温度を一定に保てるんです」
それにブラウニーがスコーンが焼けるのを今か今かと待ち構えている。
異変があれば教えてくれるはずだ。
食堂に行くと、もう一人の客の姿があった。
外套を脱いで暖炉で荷物を乾かしている。
「火に当たらせて貰っているよ」
茶色の髪の彼はこちらを観察しながら声を掛けてくる。
騎士というのは、貴族には及ばないが平民とは違う特権階級だ。庶民を下に見る者も多いのだが、二人からそうしたおごりは感じられない。
「厩にあったタオルを借りたが、良かったかな」
馬の体を拭く用にボロだが清潔なタオルを何枚か置いてある。
「あれは自由に使っていただいて結構ですよ」
「飼い葉と水も使わせて貰った」
「そちらもご自由に」
答えながら、私は彼にコップ一杯の水をやった。
ただの水だが、我が家の井戸水は旨いのだ。
食堂のテーブルにミルを置いたが、豆を挽く前にする作業がある。
珈琲豆を瓶から取り出し、ザラザラと平皿の上に開けた。
「何をしているんだ?」
と黒髪の男の方が覗き込んでくる。
「いい豆と悪い豆をより分けているんです」
なんでこの作業をここでするかというと、食堂は魔石のランプをたくさんおいているので、キッチンより明るいからだ。
「ふうん。良い豆とは?」
「良い豆は濃茶色にきちんと焙煎されている豆です。悪い豆は割れていたり色が良くない豆です」
私は豆を選り分けながら、彼に教えた。慣れるとそう苦ではない。むしろ割と気分転換になる単純作業だ。
「やってみたい」
と黒髪男が言うので、まず手を洗わせ、彼に任せた。
男は大きな手で、豆を摘まみ、一粒一粒それは真剣な目つきで豆を見つめ、選り分けていく。
「悪い豆はどうする? 捨てるのか?」
「そんな勿体ないことはしません。ためておいて一杯分になったら、温めたミルクを入れて飲みます。ミルクを入れると悪い豆でも美味しく飲めます」
私が普段する四倍くらいの時間を掛けて、黒髪の男は私と二人の男達、三杯分の豆を選別した。
豆をミルにセットして、さて挽こうと思ったら、横からさっとミルを取られた。黒髪の男である。
「私がやる。やってみたい」
黒髪の男は張り切って、宣言した。
「はい、ありがとうございます」
「アルヴィン様、私が……」
茶髪男の方が焦った様子で言うが、黒髪の男は譲らなかった。
「いや、私がやる」
ゴリゴリと珈琲豆を挽く黒髪を茶髪がハラハラしながら見ている。
どうやら黒髪男の方が上官のようだ。
黒髪男が珈琲豆を挽く間に、私はキッチンに戻り、焼き上がったスコーンをオーブンから取り出した。
淡いきつね色に焼き上がったスコーンはなかなかの出来映えだ。
個人的にはスコーンに一番合うのは苺ジャムだと思うが、残念ながら今は苺の時期ではない。
代わりに栗のペーストとクランベリーのジャムとたっぷりのクリームを焼き上がったスコーンに添える。
サーバーとコーヒー布を持っていくと、茶髪男の方が「淹れるのは私が」と珈琲を淹れてくれた。
私はスコーンが載ったケーキ皿を置いて、キッチンに戻ろうとしたが、黒髪の男に引き留められた。
「一緒に食べないか?」
「……よろしいので?」
スコーンを一口食べた黒髪の男が言った。
「旨いな」
てらいのない褒め言葉に私は気を良くした。
「ありがとうございます」
もう一人の男の方も言った。
「旨いです。このクリームも濃くてとてもいい」
「ありがとうございます。ミルヒィ種の牛の乳なんですよ」
「テイムしても気性が荒いと聞くが」
「我が家の牛はそうでもないですね」
「珈琲も旨い」
「ありがとうございます。ここの水が合うようです」
しばらく彼らと会話していたが、キッチンからガタンと音がする。
ブラウニー達が痺れを切らしたようだ。
私はあわててキッチンに行き、彼らの取り分を用意した。
褒められて気分が良いのでナッツクッキーも出してやろう。
キッチンからクッキーを乗せた皿を片手に戻ると黒髪の男が声を掛けてきた。
「こんなに簡単にパンが出来るとは驚きだな。先程の重曹とやらはなんで出来ている?何故普及しない?」
「良くは知りませんが、トロナ石を精製したものだと聞いています。普及しないのは値段が高いからじゃないですか?」
重曹はパンやケーキの『膨らます』過程をまるまる省略出来る画期的なアイテムだが、逆を言えば、膨らますことは酵母の発酵で代用可能なのだ。
酵母は果物などに水を加えて出来るが、材料費はというと、林檎なんかは可食に適さない種や皮の部分を使うので、無料に近い。
ローコストな代用品があるのに、わざわざ高額な商品を使う庶民は少ないだろう。
ただ、酵母を作ったり発酵させるのは時間と温度管理が必要だ。一般家屋で温度を一定に保ち美味しいパンを焼くのはなかなかに難しい。
黒髪男はかなり驚いた様子で矢継ぎ早に聞いてくる。
「トロナ石なら知っている。あの石が原料ならそれほど高くはないんじゃないか?そもそもあれは食えるのか?石だろう」
私も男とまったく同じことを思ったが、塩の塊、岩塩も鉱物の一種なのだ。食べられる種類の鉱物というのは存在する。
しかし。
「トロナ石は岩塩とは違ってそのままでは食べられないそうです。重曹はトロナ石とえーとナニカを組み合わせ、精製したものだとか」
黒髪男は身を乗り出してきた。
「なるほど。詳しく聞かせてくれ」
そう言われても、学者でない私に教えてやれることは何もない。
「詳しくは分かりません。トロナ石は我が国はほとんど産出せず、また精製の方法もないので、すべて外国からの輸入品だそうです」
「しかし便利だ。我が国でも普及させたい」
「ですね」
私もまったく同意である。
初心者でも失敗せずにパンが作れると聞いて王都でしこたま買い求めてきたが、便利なのでかなり使ってしまった。そろそろなくなりそうで恐ろしい。
まあ、ここで生活を始めた頃よりは私も失敗なくパンを発酵させられるようになった。なくなっても何とかなるはずだ。
そろそろ日が暮れるが、雨は一向に止む気配がない。
窓に打ち付ける雨を見て、黒髪の男が言った。
「一晩泊まらせて貰おう」
「はい。食事付きでお一人銀貨二枚ですが、よろしいですか?酒代は別に戴きます」
これは町中の中クラスよりちょっと上の宿屋の相場である。探せばもっと安く泊まれる宿があるはずだから、我が家は決して安宿ではない。
男達は気にした風ではなく、「それでいい」と前金で金貨一枚を寄越した。
そして興味深そうに問われた。
「今夜のメニューは?」