07.ノアとリーディアの魔法修行
戻ったらすぐに夕食の準備に取りかかる。
だが、ノアが頑張って手伝いをしてくれたおかげで、夕食の時間前に仕込みがすんでしまった。
ほんの少しだが、余裕が出来た。
「ノア、おいで。先程の話の続きをしよう」
私はキッチンの椅子を二つ用意し、ノアを呼んだ。
「うん、リーディアさん」
「ノアの将来についてはキャシーさんの意見も聞かないといけない。でも彼女が許してくれたなら、私は魔法を身に付けるのはノアにとって良いことだと思う」
ノアはパァと顔を明るくした。
「ありがとう! リーディアさん!」
「キャシーさんの許可が下りてからだぞ。それからその前に、ノアに話しておかないといけない大事な話がある」
「うん……じゃない、はい、師匠」
ノアは居住まいを正す。
「いい返事だ。まず一つ目は、私がノアに魔法を覚えた方が良いと判断した理由だ。君は妖精を見ることが出来る体質だ」
「妖精を見ることが出来る体質?」
「そうだ。妖精が見える者は良い魔法使いになる素質がある。彼らは魔素に近しい存在だからね」
妖精は、魔素が潤沢にある場所を好む。
魔素が溜まる理屈はよく分からない。深い森の中や洞窟や草原、城や民家、我々人間の人知の及ばぬ何らかの『条件』が満たされればどこでも溜まる。
そして一番魔素が多い場所というのはダンジョンだが、ダンジョンは闇属性の魔素が溜まりやすく、それを好む魔物が集まるため、妖精達が住むには適していないらしい。
ブラウニー曰く、我が家一帯は魔素が溜まりやすい場所にあり、賄い付きと妖精のすみかとしては好条件らしい。今ではブラウニー達以外にも、小人やら、犬猫っぽいのから、緑の毛玉としか言いようのない変な生き物まで、気付いたら色々住み着いている。
「彼らは私達を助けてくれる良き同居人だが、同時にとても危険な存在でもある」
「妖精は危険な存在なの?」
「ああ、時々ね。妖精を見ることが出来る小さな子供は珍しくない。だが、七歳を過ぎるとその数は急激に減る。ノアは九歳だからね、見える体質だ。妖精もそういう特別な子供にはちょっかいを出したがる。ノア、さっきノアの仕事をブラウニー達が手伝ったね」
ノアは少し顔をこわばらせて、頷いた。
「うん、ごめんなさい。リーディアさん」
「謝ることじゃない。ブラウニー達は忙しそうなノアを見て自主的に手伝ってくれただけだ。だがね、ブラウニー達がもし、『さっき手伝ったんだから今日のノアのおやつを全部くれ』ってそう言ったら、どうする?」
そうしたことをノアに尋ねるのは初めてだった。
私はノアとミレイには妖精と話をしてはいけないと言い含めてきたし、ノアはそれを忠実に守ってきたからだ。
ノアはテーブルの上のおやつをじっと見た。
今日のおやつはナッツとドライフルーツだ。ノアはおやつ返上で私の手伝いをした。
「……全部はあげられないって言う」
「そうだね。友達とは対等でないといけない。特にこの世ならぬ者と付き合う時はそれは一番大事なことだ。彼らはとても親切だが、半面悪戯好きなところがある。時には毅然と対処する心と力が必要だ。魔法はその力となってくれる」
「魔法……」
と呟くとノアは私に尋ねた。
「ねえ、師匠、僕本当に魔法が使える?」
「ああ、もちろんだ。まず最初に魔法の仕組みについて話そう」
「うん!」
ノアはわくわくした様子で頷く。
魔法は普通の学校では教えないからな。
「魔法というのはこの世にあるエネルギー、魔素を吸収して、魔術回路を通し、呪文を唱えることで魔法として生成する」
「せいせい?」
「あー、何と言ったらいいのかな、人間の体の中には魔術回路という目に見えない装置がある。これは誰もが持っているんだが、大抵の人の魔術回路は魔素を通すことが出来ない。だからほとんどの人は魔法を使えない」
「どうして?」
「流れが悪い水路から水は流れてこないだろう? 魔術回路に魔素を流すために訓練が必要だ」
そう言うと、ノアは目を輝かせた。
「魔法の訓練て? 呪文を唱えるの?」
「まあ、そういうのもあるが、主に瞑想だな」
「…………」
ノアは何か言い掛けて、黙った。
「……地味だなぁと思っただろう?」
「うっ、ううん」
ノアはあわてて頭を振る。
「いや、本当のことだからな。まあ、訓練てやつは総じてそうだが魔法の訓練は特に地味で根気がいる作業だ。魔法使いになるのに近道はない。だが、良いこともあるんだ」
「良いこと?」
ノアは首をかしげた。
「大抵の人の魔術回路は閉ざされている。だが、この世には魔術回路が開いた状態で生まれてくる者がいる」
「もしかして、それが貴族の人?」
「察しが良いな、ノア。正確に言うと魔法使いを親に持つ子だ。かつて魔法使いは迫害されたが、今はその逆で貴族達は血統に積極的に魔法使いの因子を入れるようになった。『尊い血』なんて言ってね」
「ふうん」
「魔術回路が開く仕組みは、胎児の段階で魔素をうけ、魔術回路が刺激されるからだと言われているが正確なところはよく分かっていない。父親と母親が両方魔法使いの場合、子供はほぼ確実に魔術回路が開いた状態で生まれてくる。だがその子はまだ魔法使いではない」
「そうなの?」
「魔術回路が開いている者を『魔力持ち』と呼ぶ。魔法使いは言葉通り、『魔法を使う者』だ。魔力を持っているだけでは、魔法は使えない。訓練を積まないとね」
「訓練……」
「そう。魔法の強さは取り込む魔素の量と質に依存する。魔術回路が開いている状態であっても、魔法の訓練をしていないと、流れる魔素はほんのわずかだ。魔法使いは訓練すればするほど強くなる。訓練に終わりはない。だから平民だって努力すれば偉大な魔法使いになれる」
「本当?」
「ああ、生まれつき魔術回路が開いているというアドバンテージは非常に大きいが、それに胡座を掻いて訓練をサボったりしたらいい魔法使いにはなれないよ。私が言うんだから間違いない」
ノアは少し躊躇いがちに私に尋ねた。
「リーディアさんは、貴族なんでしょう?」
私は周囲に自分の素性について詳しく語っていないので、彼らは私を「王都から来た魔法関連の人」ぐらいの非常にあやふやな認識をしている。
そんな怪しい人物と付き合ってくれるのだから、この地の人々は鷹揚だ。
「一応は貴族の出だが、両親は普通の人だよ。田舎だし、魔法なんて関係なく育った。ただ私がミレイくらいの歳に偉い魔法使いの先生が来て、光属性だということが分かったんだ」
「光属性?」
「魔法の属性は火、水、風、木の自然四属性、それに光と闇だ。光属性は自然四属性に比べると少し珍しく、国はこの保因者を積極的に保護している。回復魔法師になれる可能性があるからだ」
「回復魔法師って?」
「回復魔法の専門家だ。高位の回復魔法師になると、寿命以外の全ての怪我や病気を癒やせる」
「すごい!」
「まあ『どんな怪我も病気も治す』レベルのすごい奴は、国内でも一人か二人しかいないが、回復魔法師は強力な癒やしの力を持っているとても貴重な存在だ。貴重だから、見つかり次第、問答無用で魔法使い養成所に入学させられて魔法を習わされる」
ノアはワクワクした様子で問いかけてきた。
「じゃあリーディアさんは回復魔法師だったの?」
「いいや」
と私は頭を振る。
「そっちの適性はなくてね。結局私は魔法騎士になった」
「魔法騎士! すごい!」
とノアは飛び上がって歓声を上げる。
魔法騎士は男の子に人気の職業だ。
その時、「チリリン」とドアベルが鳴った。
私は椅子から立ち上がった。
「さて、お客さんが来たようだ。続きは明日にしよう、ノア」
ノアは弾むようして頷いた。
「はい、師匠」
***
キャシーは「ノアがやりたいなら」とあっさり魔法を習う許可を出した。
「じゃあ早速魔法の修行……」
そう言い掛けると、ノアは目を輝かせた。
「……の前に、話がある」
「ええっ、そんな」
「大事なことだからね、良く聞きなさい。ノアは私みたいになりたいんだね」
「うん、リーディアさんみたいになりたい」
「だったら、私はノアに一つ条件を出す」
「条件?」
「そう、ノアは私からある程度魔法を学んだら、王都の魔法使い養成所に行くんだ。魔法使いになるための学校だ」
「えっ、学校! 王都の?」
ノアは驚いたように目を見開く。
すぐに彼はうつむいた。
「……駄目だよ。うち、そんなお金ないし……」
「お金なんていらないよ。養成所には奨学金制度があって、優秀な生徒は小遣いも貰えた。私も無料で通ったよ」
「えっ、そうなの?」
「そう、私みたいになりたいなら、私と同じ経験を積みなさい。一度親元を離れて、本格的に魔法を学ぶんだ。魔法使い養成所で魔法を習ったら、色々な可能性が拓ける。魔法使いにも、魔法騎士にもなれる。魔法の研究をするためにもっと上の学校に行くのも、魔法を生かした職に就くことも出来る。ここに戻って宿屋になるのもいいさ。ノアの当面の目標は三年以内に魔法使い養成所に入学出来る学力と魔法力を身に付けることだ」
魔法使い養成所は入学資格に年齢は関係ない。そのため学校ではなく、養成所なのだ。
「リーディアさん……」
ノアは、途方に暮れたような表情になった。
急激に開かれた将来の可能性に、彼は喜ぶより戸惑っていた。
「僕、本当になれる? 魔法使いに?」
「学びなさい。選ぶのはノアだよ。修行を続けるのも、もう嫌だって修行を辞めるのも、ノアの自由だ。ただどんな選択をしても、私は君を応援するよ」
それからノアは私に弟子入りした。
学校の勉強の傍ら、宿屋の仕事を手伝うのは今まで通りだが、新たに魔法の修行の時間が出来た。
私とノアは、連れ立って牧草地に行く。
そこで瞑想をするのが、私達の日課となった。
ノアは原っぱに腰掛けて、目を閉じる。
「…………」
私はそっと彼に語りかけた。
「魔素を感じるんだ。魔素は外にあり、内にある。中から外に、外から中に、魔素を巡らせる」
ノアはかなり飲み込みの早い方だ。数日のうちに魔素を感じ始めた。
ただ、存在は掴めても『流す』のは難しいようだ。
どれ。
私は彼に近づき、そっと腹に手を当てた。
魔素は私の魔力を受けて、活性する。
「リーディアさん……」
ノアはそれを感じて呻いた。
「サポートする。……大丈夫、怖れることはない。力を抜いて」
「…………」
ノアの呼吸が大地のリズムに混じり合っていく。
「そうだ。いいよ。流れを感じろ」
ノアの中にゆっくりと、魔素が流れていく。
瞑想中は五感が研ぎ澄まされる。私は私達以外の魔力が近づいてくるのを感じ、振り返った。
「ここに居たのか、リーディア」
「アルヴィン様」
やって来たのはアルヴィンとその供デニスだった。
「……ノア、今日はここまでだ」
「えっ、師匠もう終わり?」
魔法の訓練は反復が重要だ。
いつもなら時間が許す限り、訓練を続けるのだが、今日は別だ。
「ああ、悪いが私はアルヴィン様に大事な話がある」
「さてと」
家に戻るノアを見送り、私はアルヴィン達に向き直る。
「何しに来たんですか?」
「早々にチョコレートの材料を届けに来ると言っただろう」
アルヴィンは丁度一週間前にここを訪れている。
「だからと言ってご自身で来ることはないでしょう。あなたのようなお方が」
アルヴィンは気まずそうに咳払いした。
「その様子だと私の正体に気付いたか」
「ええ、ゴーラン領主アルヴィン・アストラテート伯爵」