01.春の種まき
まさかの2年目突入です。
時系列的にはウルが出てきた直後。本編十話くらいの話になります。
暦の上では春間近だが、山の麓に建つ我が家はまだまだ寒い。
畑は白い霜に覆われ、土は硬く凍りついている。
冷たく乾いた北風が枯れた大地を撫でてゆく。
草原や森は冬の名残を色濃く残していた。
まだ春遠いこの時期から農家は畑仕事の準備を始める。
まずはジャガイモを植えるための土作り。灰を撒いたり、堆肥を入れたりして土の状態を良くしておく。
秋に撒いた豆類は越冬ののち、春に花を咲かせる。
少し寒さが弛んできた今頃から根が伸びてくるため、支柱を作ってやり、隣同士の苗の蔓が絡まないようにする。
そしてなんといっても大事なのは、キャベツやブロッコリー、ナス、トマト、ピーマン、その他葉物野菜の種まきである。
キャベツは春まき、夏まき、秋まきと、一年で三度種を撒くことが出来る。
おかげでほぼ一年中食べられる野菜だ。
直まきといって畑に直接種を蒔く方法もあるが、土の状態が適していないと発芽しにくい。そのため初心者は種を発芽させ、ある程度育ててから畑に植え替えるのがおすすめだ。
またトマトやナスなどの野菜も発芽率を高めるために直接地面に植えるのではなく、まず苗を育てる。
種まきの最初の行程は発芽だ。
種はほうれん草やレタスなどの低温で発芽する種を除き、ある程度温度が高くないと上手く発芽しないことが多い。具体的には安定して二十度前後あると発芽しやすい。
出来るだけ一定の温度で温めねばならないので、気温の高い夏や秋の種まきに比べ、春の種まきには少々コツがいる。
種を湿らした布でくるみ、囲炉裏端や暖炉の側に置く方法が一般的だが、近隣の農家のおかみさんは湿らせた種を懐に入れて発芽させると教えてくれた。
私はこの家に来るまで農業に携わったことがなかったのでこうした農家の種まきの工夫を聞いて驚いた。
「土っていらないんだな」
漠然と種とは土に植えないと発芽しないと思い込んでいたが、発芽に必要なのは、水、空気、そして適切な温度だけだそうだ。
種の中には、芽が出て最初の葉が開くまでに必要な養分が全て蓄えられている。
我が家では暖炉の近くに種を置いて発芽させた。
水に浸した布に種をくるんで待つだけなので、簡単といえば簡単だが、加減が分からない。
ノアから教わりながらの作業だ。
種まきをしてから数日。
ノアは布を手のひらに載せ、そっと開くと「あっ」と嬉しそうな声を上げた。笑顔で私に手を差し出してくる。
「リーディアさん、見て。根が出たよ」
布を覗き込んで、私も思わず笑った。
「本当だ。発芽した」
種から小さな白い根が出ていた。
このまま少しだけ湿らせた布や苔の上で根を育てる。
小さな葉っぱが出て、根が伸びた頃、ノアが言った。
「リーディアさん、苗を移し替えるよ。納屋に行こう」
「ああ、行こう」
私とノアは家のすぐ脇に建つ納屋に向かった。
根が出たら土に移し替えねばならないが、まだ小さな芽は風や寒さに負けてしまう。
育苗箱でもう少し大きな苗になるまで人間が苗を守り育てる必要がある。
各農家によって野外や納屋等、場所は異なるが、とにかく日当たりが良い暖かい場所で育苗を行う。
我が家の場合は納屋の一番日当たりの良い窓辺近くが育苗場所だ。
納屋は暖炉がないので、母屋ほどは暖かくない。
農家によっては完全に野外で育苗する。
まだ朝には霜が降りる時期だ。
「寒くないんだろうか」と思ったが、そこは農家の知恵で乗り切る。
育苗には温床と呼ばれる家畜の糞と藁を混ぜた堆肥を使う。
肥料にするのではなく、堆肥が発酵する際に発生する熱を利用して、地面を温めるのだ。
まずは納屋の一角に堆肥を運び込む。これが育苗に必要な放熱器の役割を果たす。
堆肥の発酵熱により、外気温が低くても土の中は二十度から三十度に保たれる。
原材料は家畜の糞なので発酵したてはかなり臭うが、発酵が落ち着く頃には臭くないというと嘘になるが、意外にも「鼻が曲がるような」臭気ではなくなる。
むしろ不快な腐敗臭がすると堆肥が上手く発酵せずに腐ってしまった合図なので即刻堆肥を入れ替える必要がある。
ツンとした刺激臭はあるが、森の奥を歩いている時に漂う、濃密な土の匂いだ。
その上に木製の底の浅い箱に土を敷き詰めた育苗箱を並べる。
育苗箱は少し横長で、大人が両手で抱えられるくらいのサイズ。ここにみっちり土を入れ、苗を植える。
苗は十分に日に当てないと上手く育たない。
そのため育苗には日当たりが良い場所が選ばれる。ここは納屋で一番日当たりが良い場所だが、天気の良い昼間には外に運び、日光浴をさせる。
更に寒さも大敵なので、夜は上から藁のマットを被せて保温する。
こうして農家は大切に苗を育てるのだ。
ピーマンとナスの苗はとりわけ寒さに弱い。
これらの苗は納屋でなく、母屋一階の温室に置いて育てる。
温室といっても、貴族の家なんかにある全面ガラス張りの洒落たものではなく、単に日当たりが良くて窓の大きいだけの部屋だ。
大きなガラス窓は高価なので庶民には贅沢品だが、もちろん必要があって作られている。
窓からの日射しだけではなく、火鉢も入れて部屋を暖め、苗や寒さに弱い野菜を育てたりする。農家にとっては重要な場所だ。
この温室があるおかげで、冬の間でもハープや葉物野菜が食べられた。
ここなら野外や納屋より温度を一定に保てる。
苗は多めに作ることにした。
我が家は田舎なのでご近所からよくお裾分けをもらう。育てるのが難しい苗はそのお返しにうってつけなのだ。
今日の夕食も近所の猟師からお裾分けされた猪肉である。
***
この辺りの山は大体『ご領主様』――ゴーラン辺境伯の所有だ。
我が家の山向こうは国境である。
我が国と隣国との関係は良好だが、もし戦争になるとしたら、隣国はこの街道を通り、攻めてくる。
そういう特別な土地なので、ゴーラン辺境伯はこの辺りの土地を自ら管理する直轄地に指定している。
我が家はギリギリ民間人が買える境界内にあるが、ここから国境までの山は全てゴーラン辺境伯のものだ。
他領では領主の土地に足を踏み入れるのを厳しく禁じるところもあるが、ゴーラン辺境伯は領民が彼の山に立ち入ることを許している。いくつかの決まり事を守れば山林に入り、その幸を摘み取ることは認められている。
木を切り倒すことは許されないが、落ちた枝を拾ったり、花や実を摘んだり、茸を取ることは許されている。
雉や兎といった鳥獣を捕るのも許されているが、大型の獣である鹿や猪は許可を得た狩人しか狩ることが出来ないといった具合だ。
その狩人が捕った猪の肉をくれた。塊で。
冬の間は生の肉があまり手に入らない。
豚は秋に締めて、ベーコンやハムにしたのがあるし、鶏、ガチョウやアヒルの肉も売っているので、肉そのものが市場から消えるわけではないが、種類は限られる。
ダンジョンがあるこの土地の人々は冬はもっぱらダンジョンの魔獣肉を食べるそうだが、街道沿いの宿屋である我が家は他領の人や隣国の人も客としてやってくるので、魔獣肉は出さないことにしている。
猟師から分けて貰う鹿や猪の肉はこの時期の貴重な食材だ。
ただ、野生動物の肉は癖が強いので良く処理しないと美味しくない。
まず肉をよく洗い、筋切りをする。肉の状態によっては一晩水に浸ける。その後酒やヨーグルトや牛乳などに一晩付け込んで臭みを消す。
我が家ではワインビネガーに漬けている。
ワインは熟成に失敗すると美味しくなくなるが、腐ってなければ酢に転用することが出来る。
再発酵させて作るワインビネガーはワインより安価な上、酢の効果で臭みが消え、肉質が柔らかくなる。
その後、しっかり肉の水分を拭き取り、焼く。
今日の夕食はステーキにしよう。
塩胡椒、ニンニクで下味を付けて、ローズマリーなどのハーブを振る。
火を通すと硬くなりやすいので、薄めに切ったものを焼く。
味はやや硬いが脂身が美味い豚肉という感じだ。
肉から脂が出てくるのでそれをスプーンで掬って焼き上げる。
肉が焼き上がる直前に火を弱め、蜂蜜とワインビネガー、クランベリーとカシスのジャムを加えると出来上がりだ。
付け合わせはレタスにルッコラ、セージ、ラデッシュ、ローズマリーの若芽のグリーンサラダ。
どれも温室で育てた野菜だ。そこに刻んだクルミを散らす。
味付けは塩とオリーブオイルだけで良い。
もう一品はチーズと卵のココット焼き。
小さな陶器の底にマッシュポテトとチーズを敷いて卵を割り入れる。少量のクリームと温室のローズマリーを一枝のせて、暖炉の脇で白身が固まるまで焼く。シンプルだが、猪肉やパンに絡めて食べても美味しい。
「はいどうぞ」
食卓に料理を並べるとノアとミレイが目を輝かす。
「美味しそう! いただきます」
「いただきまーす。お母さん、リーディアさん、わたし、このたまごの好き!」
二人の様子を見て母親のキャシーが目を細める。
「そうね。美味しそうね」
今日は真冬に逆戻りしたような寒い日だったので、皆、外出は控えたのだろう。夕食客も泊まり客もやってこない。
そのため皆揃って食堂で食事を取った。
春になると人の往来が激しくなるから、こんな贅沢は今の時期だけだ。
そう考えると、冬も悪くない……。一瞬そう思う私だが、すぐに思い直した。
いや、寒いのはなぁ。
『退役魔法騎士は辺境で宿屋を営業中』が漫画になりました!(松本蜜柑先生著)
これも皆様の応援のおかげです。
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