15.アルヴィン2
アルヴィンはゴーラン騎士団の本部に戻ると、トロナ石の調査とそれから宿屋楡の木荘の女主人のことを調べさせた。
素性を隠したがっている彼女には悪いが、中央貴族の間諜でないことを確かめねばならない。
フースの町の役場に残されていた売買契約から、宿屋の女主人の名前がリーディア・ヴェネスカであるのが分かり、そこからすぐに彼女の身元が判明した。
アルヴィンが睨んだ通り、リーディアの前職は王都の王宮騎士団マルアム・セントラル所属の女性騎士だった。非常に優秀で、こと魔術の腕前だけなら国内でも随一と謳われた騎士だ。
名前だけならアルヴィンも知っている。
ただし、顔は知らなかった。王宮魔法騎士や魔導師は人前では仮面を被って正体を知られないようにしている。
しかし。
アルヴィンは報告書を眺めながら、考える。
「何故、彼女はここにいるんだ?」
二十七歳。まだ引退という年齢ではない。それにこれほどの経歴の持ち主なら騎士を辞めても王都でもどこでも仕事があるだろうに。
なのに何故あんな場所で隠れ住むように暮らしている?
それに……。
リーディアからは並の魔道士以下の弱い魔力しか感じられない。国内有数の魔法使いの力でもってアルヴィンの目すら欺く魔力を隠す『偽装』をしているのだとすればつじつまが合うが、アルヴィンのカンは『否』と囁く。
リーディアの経歴の最後は「一身上の都合で騎士団を退団」とだけで記されていた。
何かあると感じたアルヴィンは詳しく調べるように指示した。
その後送られてきた報告書を読んでアルヴィンは眉をひそめた。
リーディアは王太子を庇い、再起不能な怪我を負ったらしい。
リーディアは王宮付きの魔法騎士であって、王族を守る近衛騎士ではない。にもかかわらず、王太子の暗殺を阻止したのはリーディアだった。
どこからか圧力が掛かり、この不祥事は全力で隠蔽されたので公式の記録には彼女の怪我すら記されていない。アルヴィンは王都の連中がますます嫌いになった。
***
アルヴィンは自分の執務室で執務に励みながら、ポリポリとクッキーを食べていた。
リーディアから貰ったクッキーは甘塩っぱいのとチーズ味の二種類で、眠気覚ましに摘まむのに丁度良い。
すっかり気に入ったアルヴィンは貰ったクッキーをちまちまと大事に食べていたが、十日も経つとなくなってしまった。
料理長に「同じものを作ってくれ」と頼んだが、出来上がったクッキーは、リーディアのものと比べ、どこか味気ない。
「……また行ってみるか」
アルヴィンは『重曹の礼を言いに行く』なる用件を無理矢理こしらえて、再び、楡の木荘に向かった。
「砦の騎士を紹介して欲しい」とリーディアに言われて、アルヴィンは自分が申し出たことなのに不快になった。他の男を紹介するのは――彼女がその男と恋仲になるのは――想像するだけで我慢がならない。
その時、アルヴィンはリーディアに対する恋心に気付いた。
自分は、彼女が好きなのだ。
本当はもう少しゆっくり出来る予定だったが、バンシーの流行病の予言を受けて対策を取るため、アルヴィン達はすぐにゴーラン騎士団の本部に戻る。
デニスはそこでの用意が調い次第、砦に向かう。アルヴィンは万が一にも流行病に罹るわけにはいかないので、デニスとはしばらく別行動だ。
馬を走らせながら、デニスはアルヴィンに話しかけた。
「アルヴィン様、リーディア嬢は男爵家のご令嬢だそうですね」
デニスは本人より早くアルヴィンの恋に気付いていた。
女性嫌いで有名なアルヴィンが、リーディアには自分から積極的に話しかけている。
長い付き合いの中でもそんなことは初めてで、デニスは二人の会話を「上手くいくといいな」と思いながら見ていた。
リーディアの意向を汲んで、アルヴィンはわずかな側近にしかリーディアの素性を知らせていない。デニスは報告書を読んだ数少ない人間の一人だった。
リーディアは地方の男爵家の娘だ。アルヴィンと釣り合いが取れているとは言い難いが、結婚出来ないほどの身分差はない。
何より、リーディアは優秀な元魔法騎士だ。その知見を持って二人でこのゴーラン領を盛り立てていって欲しいと思う。
「あの方ならアルヴィン様の奥方様も務まるでしょう」
短い付き合いだが、デニスはそう太鼓判を押す。
アルヴィンは二十七歳。若くして父親から地位を引き継いだため、結婚は後回しになっていたが、部下としては切実にそろそろ結婚して欲しい。
だがアルヴィンは憂鬱にため息をついた。
「リーディア嬢は……、彼女は、私との結婚は望まないだろう」
「えっ、どうしてですか?」
アルヴィンは地位も財産も実力もあるし、男ぶりも良い。ゴーランの地でこの男の求婚を断る女性などいるはずがない。
デニスは驚いた様子でアルヴィンを見るが、アルヴィンは眉間の皺を深くして答えた。
「突き詰めれば、私の取り柄は金と地位だけだ。どちらも彼女は打ち捨ててここにきた」
「あー」
デニスは納得した。
魔法騎士の身分は騎士より上で、一代限りだが男爵と同等であるとされている。魔法騎士でいる限りリーディア本人がれっきとした貴族だ。
怪我で退団を余儀なくされたとはいえ、いや事態が表沙汰に出来ないからこそ、上手く立ち回れば、金でも爵位でも望むものが手に入れられたはずだ。
報告書によるとリーディアは六歳で王都の魔法使い養成所に入学したため、今は兄が継いだ実家とは疎遠なようだが、それでも縁を辿れば、令嬢としてそこそこの結婚だって出来ただろうし、領地で何不自由なく暮らすことも可能だろう。
だがリーディアはいずれの選択肢も取らなかった。
「金にも地位にも興味がなければ、私は単に多忙な肉体労働者だからな」
「あー」
デニスは『そういう言い方はどうかな』と思うが、事実なので否定も出来なかった。
アルヴィンの見立てでは、リーディアはアルヴィンを嫌いではない。しかし男性として興味を持っているわけではない。
アルヴィンは当初、恋情の欠片もないリーディアの視線を心地良く感じたが、今となっては彼女の気を引きたくて仕方がない。
アルヴィンは己の矛盾に苦笑する。
家柄と財産目当てに寄ってこられるのが嫌だったはずなのに、それ以外の自分自身の魅力がとんと思いつかない。魔法騎士としての能力には自信があるが、リーディアは騎士であるアルヴィンを警戒している。
頭はそう悪くはないし、見目だってまあまあだと思うが、貴公子を見慣れたリーディアにとって田舎育ちのアルヴィンは粗野な野人にしか見えないだろう。
「彼女はもう表舞台に戻る気はないだろう。あの生活は、引退後の騎士としては理想的だ」
「……そうですか?」
「そうだ。私も隠居したら、木こりでもして暮らしてみたいと思っている」
とアルヴィンは真面目な顔で断言した。
「はあ……、木こりですか」
デニスは少し想像してみたが、微妙に似合いそうなのが困る。
「ではリーディア嬢のことは諦めるのですか?」
「いいや」
デニスの問いに、アルヴィンは首を横に振る。
「諦めはしないが、今、彼女に身分を明かし求婚したら間違いなく断られる。想いを伝えるのは、良き友人として信頼を得てからだ。それに……」
と呟くと、アルヴィンの瞳は見えぬ強敵に挑むように虚空を睨んだ。
「今は、疫病の流行を抑えないとな」