14.アルヴィン1
黒髪男こと、アルヴィン視点です。
山道を下り終えたところで、鉛色をした空からポトリと雨粒が落ちる。
「ちっ」
アルヴィンは天を睨んで舌打ちした。
雨が降り出す前にと、早めに視察先である砦を出発したが、間に合わなかったようだ。
町まで五キロ。このまま馬を駆り、町まで行こうとしたアルヴィンだったが、ふと、街道沿いの農家に目をとめた。
主が亡くなり無人だったはずの農家に、宿屋を表す看板が掛かっていた。
宿屋の名は『楡の木荘』。
農家の敷地に大きなニレの木があった。そこから名付けたのだろう。
「デニス」
アルヴィンは少し後ろを駆ける供の騎士デニスに向かって大声で怒鳴り、看板を指さす。
雨はまたたく間にバラバラと叩きつけるような大雨となった。声を張り上げないと会話もままならない。
デニスは了承するように頷き、二人の騎士は出来たばかりの宿屋の門を潜った。
馬をデニスに預け、アルヴィンは先に母屋に向かう。
「さて、どんな人物か……」
無人も困るが、新しい主が良からぬ人物であってはなお困る。
アルヴィンは警戒心満々で宿屋の玄関のドアを開いたのだが、
「いらっしゃい」
驚いたことに挨拶に出てきたのは、女性だった。
後ろで一つに束ねた金髪の巻き毛に空色の瞳。
歳は二十代半ばというところか。
「土地の者ではないようだな」とアルヴィンは女性を観察し、そう推測する。
隣国と混血が進んだこの辺りでは、暗色の髪色が多く、金色の髪は珍しい。
女性はアルヴィンとまったく同様に、すなわち無礼にならない程度に警戒した目つきで彼を見つめ返していた。
彼女はアルヴィンが何者だか分からない様子だった。
二言三言話をした後、彼女は「よろしければ」と乾燥室なるところにアルヴィンを案内した。
屋根に打ち付ける雨音以外、宿屋は静まりかえっていて、人の気配はない。
案内の口調はよどみない。てっきりこの女性には夫がいて、夫婦で宿屋を経営しているのだと思ったが、違うようだとアルヴィンは気付く。
彼女がこの宿の主人らしい。
随分と不用心だな、というのがアルヴィンの感想だった。
理性的な瞳をした女性だ。どこか垢抜けた雰囲気もあり、田舎町では目立つ美人だ。
ここは町から離れているし、ごろつきなんかには恰好の獲物だ。
役場の人間は何を考えて彼女にここを斡旋したのだ?
思わず罵りたくなったが、売買が成立した以上、もう領主も介入出来ない。
だが、炎と風の魔石を壁中に貼り付けて作ったという乾燥室を見せられてアルヴィンは考えを変えた。
「ではあなたは魔法使い殿か」
「もう大した力はありませんが、以前はそうした職についていました」
と彼女は答えた。
魔法使いなら、不意打ちされない限り、大の男とも互角に戦える。集団で来られたらマズいが、彼女は聡明だ。何か手立てを講じているに違いない。
アルヴィンは安心すると同時に、彼女の前職が気になった。
魔法使い?いや、違うな。
背は平均より少し高い程度。体格は特段良いとは言えないが、『同業』の匂いがする。
彼女は常にさりげなく、剣の間合いから外れるように、間に障害物を置くように動いている。
とすれば、魔法騎士か……。
一体何があってこんなところに流れ着いたのだろう。
聞いてみたくなったが、彼女はそれには触れられたくない様子だった。
素性を明かしたくないのはアルヴィンも同じなのだ。結局、アルヴィンはそれ以上は聞かずに黙った。
食堂に戻ると女主人は、「ごゆっくり」とすぐにキッチンに引っ込んでしまった。
女嫌いで有名なアルヴィンだったが、彼女の後ろ姿を見送って物足りない気分になった。
もっと彼女と話したいと思ったが彼女は戻ってこず、仕方なくアルヴィンは食堂の椅子に腰掛け、辺りを見回した。
食堂の中はランプがいくつも灯されていて明るい。
内装は農家だった頃とさして変わりなく、決して豪華でも洒落てもいないのだが、清潔で居心地の良い温かみに包まれている。
テーブルには土地の名産品である刺繍リネンのテーブルクロスが掛けられいた。
ここで食べる料理はきっと旨いだろうとアルヴィンはひそかに思った。
ランプの明かりは蝋燭ではなかった。
「これは、魔石だな」
一つ一つはクズに近いすでに劣化が始まった魔石なので明るさはいまいちだが、一つのランプにいくつも魔石を使い、さらによく磨かれたランプには小さな鏡が入っている。鏡で反射させることで明るさを補っているようだ。
よく考えられているなとアルヴィンは感心した。
貴族の家などでも魔石のランプが使われているが、名家であればある程、魔石が買える財力を誇る意味合いもあるので、こうした工夫はあまりしないのだ。
本当に、何者なんだ?彼女は?
馬の世話をしていたデニスがやって来て、彼にも水を貰おうと、アルヴィンは立ち上がった。
「自分で呼びますよ」
とデニスは焦ったが、彼女に話しかけるチャンスだ。
アルヴィンは「いや、私が行く」と上機嫌で断った。
キッチンに引っ込んだ彼女が誰かと話し込んでいる。
誰だろうか?と覗き込むと、相手は身の丈一メートルほどの小人だった。
妖精と会話しているのか?
驚きのあまり、「……今のは妖精か?」と話しかけると、さっと小人は姿を消し、女主人だけがひとりキッチンに残った。
「はい。屋敷妖精ですよ。大きな家なら大抵彼らが住んでいるようですよ?」
アルヴィンにそう答えながら、彼女はせっせと手を動かし続ける。
なんとなく目が離せなくなり、アルヴィンはじっと彼女の作業を見守った。
パンか何かを作っている最中だろうか。彼女は作業台の上に置かれたクリーム色の生地を抜き型で丸くくり抜いていく。出来上がった小さな丸い生地は天板の上に等間隔に乗せられた。
天板をオーブンに入れると、彼女は満足そうに「これでよし」と呟いた。
「何を作っている」と尋ねると、「スコーンですよ」という返事だった。
聞いたことがない食べ物だったので、アルヴィンは興味をそそられた。
飲み食いするつもりはなかったが自分達の分も作るよう頼み、ついでに珈琲もオーダーした。
焼き上がったスコーンと飲み物を置き、さっさと離れようとする女主人を呼び止めて、三人でスコーンを食べた。
スコーンは美味かった。
口の中でホロホロと崩れる。パンとケーキの間のような食感だった。アルヴィンは出される食事に文句を言うことはないが、美味いものはもちろん好きだ。
特に砦でマズい食事を食べた後なので、身に沁みるような旨さだった。
砦は山奥の辺鄙な場所にあるので使用人が居着かず、万年人手不足である。少ない料理人で食事を作っているため、食事の質は決して良くなく、ゴーラン騎士団の中で砦勤務は泣いて嫌がられるくらい不人気な派遣地だった。
その後の会話の中で、彼女はスコーンに重曹を使っており、重曹はトロナ石を精製して出来るのだと話した。
思わずアルヴィンとデニスは顔を見合わせた。
以前から作物も育たない荒れ野を中央貴族達が欲しがるのを訝しんでいたが、思わぬところで尻尾が掴めた。
彼らは地下に眠るトロナ石が目当てだ。
夕食の支度があるとかで彼女が立ち去ると、デニスは小声でアルヴィンに囁いた。
「やりましたね、アルヴィン様」
デニスは非常に喜んだが、アルヴィンは「ああ」と頷きながらも、「一体彼女は何者なんだろう」とそればかり気になった。