22.ベラフの秋3
「リーディア様、こちらでしたか」
シェインが、私の元に駆け寄ってくる。
学校から戻ってきたようだ。
「ああ、シェイン、学校はどうだった?」
そう聞くと、シェインは目を輝かして答えた。
「今日も楽しかったです。老師は本当に物知りですね」
ここには学校がない。
そこで私の恩師ルイン老師や元魔法使い養成所の教師達が先生となり、臨時の学校が作られた。
文字も読めない幼い子からシェインくらいの年頃の子まで皆で学んでいる。
読み書き計算の他に才能のある子には魔法も教えている。彼ら一流の教師に鍛えられ、シェインは、めきめきと腕を上げた。
学校が終わると生徒達は連れ立って、この『紅の人魚亭』に向かう。
おやつをもらい、皿洗いなどの手伝いを一時間ほどこなして、母親達と一緒に帰宅するのだ。
今日用意したおやつはジャガイモのガレットだった。
材料は、すりおろしたジャガイモ、少量のライ麦粉、そして塩。
熱した鉄板に油を引き、混ぜ合わせたタネを落として手のひらほどの大きさに広げる。火が通ったら出来上がりだ。
外側はこんがりとバリバリに焼け、中はしっとりと柔らかい。
「はいどうぞ」
「リーディア様、ありがとう!」
厨房は火を使っていて危ないので、私は食堂で子供達におやつを配った。一人一個ずつ。
何故か老師達も列に並んだので、彼らにもおやつを渡す。
「はい、シェインも」
「あっ、ありがとうございます」
逆に遠慮して並ばなかったシェインに無理矢理手渡した。
「……?」
ふと、視線を感じて振り返るとアルヴィン達がこっちを見ている。
騎士団の皆が集まって会議中らしい。大事な会議は別室でやるが、そうでもない会議はこの食堂を使うことが多い。
ガレットの匂いが気になるようだ。丁度小腹が空く時間だしな。
「皆も食べませんか?」
ガレットを手渡すと、アルヴィンは「いいのか?」と思ったより嬉しそうな顔で受け取った。
「はい、しっかり食べて頑張ってください」
おやつを食べた子供達は畑の世話や掃除、皿洗いなど、己の得意分野の仕事を自主的にこなす。
ご婦人達も夕食の仕込みとバスティ作りに精を出し、帰りがけに持参の鍋に今晩の夕食を詰めてそれぞれの家路につく。
『紅の人魚亭』で働く人は、家族の夕食分を持ち帰ることが許されている。
ベラフではまだ七百人近くの人がテントや仮設住居で暮らしており、そうした住居では調理場が整っていない。家で作れない代わりにここで作ったものを持ち帰っているのだ。
「ではこれで失礼します。リーディア様」
「ご苦労様です。明日もよろしくお願いします」
「じゃあねー、リーディア様ー」
とご婦人と子供達が帰っていく。
「リーディア様、行ってまいります」
「はい、お仕事頑張って。夜間の作業は危険だから皆、気をつけて。あ、軽食を持っていってくれ。一人、二個ずつあるよ」
こしらえたパスティを持って夜番がそれぞれの持ち場に向かう。
騎士達は町の見守りやトルクの夜間討伐に、職人達は造船工房で夜遅くまで二号船、三号船の建造に励んでいる。
そして彼らとはまた違う任務に出かける者達がいる。
「さてわしらも行こうか」
お茶を飲んでいたルイン老師が立ち上がり、他の者達もそれに続いた。シェインも一緒だ。
「リーディア、行ってくるよ」
ルイン老師は振り返って私に言った。
「はい、いってらっしゃい。よろしくお願いします」
老師達とシェイン、そしてゴーラン騎士団の風魔法使い達がトルク処理の作業場に向かう。
トルクに限らず魚や獣の肥料作りは作業中にかなりの臭気を発する。
そのため作業場は町から少し離れた場所にあるのが普通だが、まだ町の郊外は危険なので、作業場は町の中心部からあまり遠くない場所に作られた。
老師達は現場に着くと、まず今日の作業を終えた作業員達に清浄魔法という浄化魔法の一種を掛ける。
清浄魔法はその名の通り、体や服の表層の汚れを落とす魔法で、風呂でも入ったようにサッパリする。
体の表面だけに作用する魔法なので、魔法コストは低い方だが、作業員全員に掛けるので、手間がかかる。
老師やシェイン達がこの作業に協力してくれて大いに助かっているそうだ。
作業員達は体や衣服に染み付いたひどい臭気を除去され、すぐに家路につくことが出来る。
魔法使い達は作業員達と入れ違いにトルク処理の作業場に入り、浄化魔法を掛けてゆく。
トルク処理の作業場にもひどい匂いが染みついており、この匂いや細かな汚れを集め、風魔法使い達が力を合わせ、一気に沖へと飛ばす。
その時立つ、「ボフッ」という音は『紅の人魚亭』にいても聞こえるくらい大きなものだ。
作業場の清潔を保つ以上にこの魔法には重要な意味がある。
クラーケンは自らの餌であるトルクが減ると異変に感づき、湾へとやって来る。
四十数年前、そうしてベラフの町は滅んだ。
今はまだクラーケンを迎え撃つ用意が調っていない。
「クラーケンは、何らかの器官でトルクの存在を感じとっているようだ」
とアルヴィンは私に説明した。
多年に渡りクラーケンと対峙してきたゴーラン人には、この強大な海の化け物と戦う知恵がある。
「トルク処理で出た臭気や肉、骨片の残滓をクラーケンの近くに飛ばすと、クラーケンは『近くにトルクがいる』と誤認する。これでしばらく時間が稼げるはずだ」
つまり、この作業はトルクが減っていることをクラーケンに知られないための作戦の一つなのだ。
そうこうしているうちに、昼番のトルク狩りから兵達が戻ってくる。
「リーディア様、ただいま戻りました」
「はい、お帰りなさい。今夜はコロッケですよ」
トルク料理の一番人気はコロッケだ。
「おおっ!」
「やったー!」
男達は野太い歓声を上げたが。
「うるせぇ、お前ら。夕食の前にまず風呂だ、風呂! さっさと行け!」
と熊男に秒で黙らされていた。
『紅の人魚亭』には大きな共用風呂があり、そこで風呂に入ることが出来た。
真水は貴重なので、風呂の水には海水を濾過したものを使っているが、この濾過になんと魔物を利用している。
使役しているのはウォータースライムという種類のスライムで、スライムは本来雑食性なのだが、このスライムは水しか飲まない。
水の中にわずかに含まれる栄養分を食べて生きているというこのウォータースライムに海水を与えると、体の中で濾過し、真水を排出する。
スライムの中でも珍しい希少種で、騎士団が総出で腕にものを言わせてダンジョンから狩ってきたそうだ。
ただウォータースライムにも欠点があり、濾過出来るのが一日バケツ五杯くらいと、濾過能力だけを見ると決してその性能は高くない。
少し質の悪い水か光の魔石でも同じことが可能だ。
しかしウォータースライムは、海水を与えると体内で塩の結晶を作り出す。
微々たるものだが、ローコストで塩と水が手に入るので、かつてのベラフでは重宝されていた魔物らしい。
どういう仕組みなのか、深く考えたくないので、出来上がった塩は食用ではなく保存のための塩漬けの塩などに利用している。
水の方も、飲料可能だそうだが、『紅の人魚亭』では風呂水に使用している。念のため。
夕食のメニューは、メインはトルク肉のコロッケ。
副菜は、町民が山から採ってきたというポルチーニ茸とマッシュルームをバターとバルサミコ酢で炒めたきのこのソテー。
それと一昨日仕込んでおいた焼きサバの酢漬け。これは新作料理だ。
生のサバに粗塩をまぶし、1時間ほど置いて水分を抜く。
水気を拭いたサバを炭火で皮目に火を当て香ばしく焼く。中まで火が通ったら、酢、白ワイン、玉葱、胡椒、タイム、セージ、ローリエ、ちょっぴり蜂蜜を入れて作った酢液に漬け込む。これを二晩じっくり味を馴染ませたものだ。
漁が始まり、色々な魚料理を味わえるようになってきた。
厨房では好評だったが、皆の反応はどうだろう?
最後の一品は、チキンと根菜のロースト。
塩をすり込んだ骨付きのチキンと、にんじん、白にんじん、ビーツ、じゃがいも、玉葱といった根菜をオリーブオイル、ニンニク、ローズマリーとタイムと一緒に三十分寝かす。
風味が馴染んだ頃、白ワインを回しかけ、余熱したオーブンに入れて、五十分ほどローストすれば出来上がりだ。
ちなみにこの鶏肉は全員分はない。
役職を持つ上級騎士や職工達、後はトルク討伐で手柄を立てたとか、その日難しい作業を任されたなど活躍した者のみが食せる。
トルク肉のコロッケと付け合わせのパンはおかわり自由の食べ放題なので若手はそれで腹を膨らます。
豆と野菜のスープを添えて、デザートは梨のコンポート。
皆で食事を取り、風呂に入って、洗い立ての寝具にくるまって寝る。
賑やかな一日がようやく終わろうとしている。
ベッドに潜り込むと、昼間はさして気にならなかった波の音がひどく大きく聞こえた。
潮騒は心穏やかな時は優しく、心乱れる時は胸をざわつかせる。
今夜は特に、不安な気持ちを掻き立てられた。
私はベッドの中で身を縮こめる。
ふと、私は誰かの腕に抱き締められていた。
アルヴィンだ。
「リーディア」
「アルヴィン」
そうだ。私達は一人ではない。
彼のぬくもりが心地よく、私はすぐに眠ってしまった。







