13.特製回復軟膏
「軟膏のせいでしょうか……?」
犯してしまった罪は恐ろしいが、きちんと聞かねばならない。
黒髪男は深刻そうな顔で頷いた。
「それしか考えられない」
私の罪は確定らしい。怪我人は無事なのだろうか?
「怪我人の容態は……?」
重ねて聞くと、黒髪男の答えは。
「全快した」
「は? 悪化したのではなく?」
「いや、結構ひどい怪我だったが、全快した。どう考えても、君の軟膏が原因だ。何があったのか知りたい。教えてくれ。君が塗ったという軟膏はなんだ?」
あの怪我人のことは気になっていた。もっと普通の状況で知りたかったが、怪我が良くなったのは喜ばしい。
私は脱力しながら、答えた。
「私が作った手製の軟膏ですよ。ただ主成分が強薬草なんです」
強薬草というのは、ダンジョンでしか生えないという薬草だ。最近、ウルが持ってきてくれた。
この薬草はちょっとした病気や怪我なら何にでも効く。
命に関わるような重篤な病気や怪我を治す力はないので、万能薬とは言い難いが、それでもとても便利な薬草なので、重宝されている。高値で取引されるので、この薬草を目当てにダンジョンに潜る冒険者も少なくないと聞く。
町の薬屋に持っていったら薬にしてくれるはずだが、ここに来てから私は野菜作りも肥料作りも自分でやれるものは自分で作っている。
軟膏作りは魔法使い養成所で習ったきりで、かなりうろ覚えだが、手順は覚えている。
……うっすらと。
私はこの十年以上前のうっすらとした知識を元に、軟膏を作ることにした。
作り方は簡単である。薬草数種類を用途に合わせてブレンドし、魔法精製するだけだ。
魔法精製というのは、魔力を使い、必要なエキスを抽出するというもので、我々魔法使いにとっては基本中の基本の理念だ。
例えば炎を出すには、大気中から火のエーテルだけを取り出し、使役する。魔法とはまさに抽出の作業である。
数種類の薬草が何だったか思い出せなかったので、オオバコやローズマリー、アロエ、オリーブ、その他諸々、家にある薬草全部と強薬草を混ぜ合わせ、魔法精製した。
魔法精製の特徴は本来なら混ざり合わないものも混ざり、かつ高濃度で精製出来るということだ。そのためあまり失敗がない。
最悪適当な野草を摘んで魔法精製するだけでそこそこ効く軟膏は作れると、錬金術師の教師は講義したが、「魔法使いには無用の長物である」とも言った。
なにせ、八割近い魔法使いは回復魔法が唱えられる。
魔法精製して軟膏を作るより、回復魔法を使う方が早く、効果も高い。
だがもはや私はかつてのように回復魔法を唱えられないし、ウルがくれたのは高い効能で知られる強薬草だ。それに軟膏にしておけば、私だけではなく、皆が使える。
魔法精製した薬草は緑色のドロドロしたゼリー状の液体に変質した。
なんか毒々しい色合いだが、効きそうといえば効きそうな感じもする。
上手くいったようだが、鑑定魔法を使えず、学生の時以来ほぼ初めて自力で魔法精製した私に確証なんてものはない。
そこで私は念には念を入れてもう一つの癒やしの成分を持つもの、魔水晶を魔法精製し、薬草エキスに混ぜたのだ。
すると薬は今度は乳白色のクリームに変化した。
そうして出来上がったものを、私はあかぎれになっていた手に塗った。
手はすぐにすべすべになった。
気を良くした私は、次に樹液を取るために穴を開けてしまった木の幹に使った。
一晩経った後に見に行くと、穴は無事に塞がっていたが、塞がっているだけに中がどうなったかは分からない。
ただ、外側は完全に塞がっているように見えた。
怪我人が来たのは、その翌日のことだ。
私は彼に自作の軟膏を使った。
話を聞いて、黒髪男も茶髪男も呆れたような表情になった。
「なんでそんなこと? 強薬草と魔水晶を混ぜ合わせる薬など聞いたことがない」
「大体、何故、木に軟膏を塗ったんです?」
「なんとなく?」
樹木の傷口にニカワなどを塗ると良いと聞いたが、ニカワがなかったので、軟膏を塗ってみた。
魔水晶は魔法を増幅させる媒介物としても使用されるので、強薬草のブースターにならないかな?という目論みからだった。
「というか、私は薬に魔石を用いるのを聞いたことがない」
と黒髪男は呻くように言った。
魔水晶に限らず魔石はもっぱら魔法の媒体物として魔法使いが使用するものとされていて、薬としてはあまり使われない。
「……まあ、そうですね」
言われてみると、私も聞いたことがない。
周辺諸国全てでそうなのだが、薬学と医学はあまり研究されていない分野だ。回復魔法で重篤な怪我や病気を瞬時に癒やしてしまえるため、回復魔法師が少ないこうした辺境の土地の方が盛んである。
「おそらくはその二つを混ぜ合わせた効果だろうな」
と黒髪男は言った。
強薬草も魔水晶も高価なので、大抵の薬師は勿体なくて絶対やらないというレシピだそうだ。
黒髪男は少々真面目な顔で私に顔を寄せ、囁いた。
「君の軟膏で、強薬草では治せないはずの欠損部位が再生した」
「欠損が……」
怪我人は砦の騎士で、山火事を止めようとして、怪我を負い、何本かの指を失っていた。
大火事にならなかったのは、命がけで初期消火を行ってくれた彼らのお陰だ。
ひとたび大火になったらあっという間にここも焼失してしまう。
我が家が無事でも、森に住んでいるウルは怪我を負ったかも知れない。
そう考えると、私は私に出来ることは何でもしたいと思った。
黒髪男から貰った魔水晶は癒やしの効果があり苦痛を和らげるという。今だ切断部に痛みのある怪我人の騎士の指先に小さな魔水晶を砕いて貼り付け、その上からこんもりと軟膏を塗り、包帯を巻いた。
全身の火傷も軟膏を塗り、丁寧に包帯を巻き直した。
その後、初級の回復魔法を掛けた。
その程度しか今の私に出来ることはなかった。
だが。
「効いたんですね」
「効いた。指も魔水晶が媒体になったためか、完全に再生した。全身の火傷も癒えた。本人はここに礼を言いに来たがったが、まずは事実確認のため私とデニスが来た。君の軟膏のレシピが欲しい。出来れば現物も」
「あ、はい。ですが、レシピは一応書いておいた程度で、量などきちんと測ったわけではありません。正確じゃないですよ」
「それでいい。是非とも見せて欲しい」
元より原材料で一番高価な魔水晶は黒髪男がくれたものだ。一向に構わない。
軟膏はキッチンの棚に置いてあるが、多めに作った予備は部屋に保管してある。
瓶に詰めた軟膏を幾つか持って行き、「はい」と渡すと、黒髪男は目を瞬かせた。
「こんなに良いのか?」
「構いませんよ、原材料はあなたとウルから貰ったものですから。強薬草も魔水晶もまだありますから、またすぐに作れます」
「そうか、ありがとう」
と黒髪男は軟膏の瓶を受け取ると、それをじっと見つめた。
「……!?」
魔素が、黒髪男に集まる。
全身に、とりわけ、その青い瞳に。
「上級以上の回復軟膏だ」
黒髪男は魔法発動の残滓を纏いながら、言った。
「鑑定眼ですか……」
鑑定の能力は主に魔法人口の一割にも満たない闇属性に発現しやすい能力なので、珍しい魔法だ。鑑定眼は魔眼の一種で、中級以上の鑑定魔法を所持する魔法使いに発現する。
黒髪男は口ごもりながら、尋ねてきた。
「闇属性は怖くないか?」
「いえ、便利そうだなと思います」
私は闇属性の対になる光属性なので、鑑定系の能力は持たないのだ。
光と闇の属性は基本的に、どちらか一つしか持たないと言われている。
確かにこの国は王家が光属性なので、闇属性を嫌う傾向にあるが、鑑定能力がある魔法使いや騎士はいるととても便利なので、貴族はともかく現場でとやかく言う騎士なんていない。
そんなの王宮騎士くらいだ。
……そういえば、一応私は元王宮騎士だったな。
「そうか……」
と黒髪男はホッとしたように笑った。その後、彼と茶髪男は丁重に私に向かって頭を下げた。
「礼を言う。私の部下を助けてくれてありがとう」
「いえ、もったいないお言葉です。怪我をした騎士様が治って本当に良かったです」
と私は言った。
回復魔法師は地方には少ない。
強薬草はダンジョン内のみで生育する薬草で、ダンジョンはこの辺境地の選ばれた地域にある。
さらにもう一つの素材、魔水晶もダンジョンの深部から産出される。
どちらも簡単に手に入れるものではないが、より効果が高い薬が作れれば、地方の回復魔法師不足を補えるかも知れない。
黒髪男は金持ちの上に義理堅いので、「軟膏代を払う」と言い出したが、領内では薬師以外が薬を売るのを禁じている。商売には許可がいるのだ。
個人で作った軟膏や煎じ薬を領民同士で交換するくらいはお目こぼしを頂いているので、色んな意味で金は受け取れない。
「では、何か、私に出来ることはないか?」
と黒髪男から問われた。
「あ、では、鑑定の能力でクルミの木の傷がちゃんと治っているか見て貰えませんか?」
私は黒髪男と共にクルミの木のところに向かい、軟膏を塗った木が治っているのか、確認して貰った。
「……どこだ?」
「えっ、多分、ここです」
軟膏のお陰か、見た目は綺麗に治っている。私はクルミの木の傷があった場所を指さした。
「傷は完全に癒えている」
と断言されたので私はホッとした。
「上手くいったかどうか心配していたんです。ありがとうございます、お客さん」
黒髪男はじっと私を見つめ、言った。
「私の名はアルヴィンだ。リーディア」
黒髪男が私の名を呼んだのは初めてだ。
アルヴィンという黒髪男の名はもちろん知っていたが、私が彼をそう呼んだことはない。黒髪男も私を「主人」としか呼ばなかった。
だが、今黒髪男は私の腕を強く掴んで離さない。
「アルヴィンと呼んでくれ。リーディア」
アルヴィンは私をきつく抱き締めた。