06.海辺の町ベラフ1
私の結婚を知って、ルイン老師がお祝いに来て下さった。
彼は私を見出した師匠で、かつては国中を巡り、魔法使いの素質を持つ子供たちを探し出しては、一人前の魔法使いに育て上げる仕事をしていた。
引退後、彼は忽然と姿を消したため、皆、もう亡くなったのだろうと思っていた。
その老師が、ひょっこり訪ねて来たのだ。
私は嬉しかった。
消息不明だった恩師に無事会えた喜びもさることながら、私は今とても知りたいことがあり、彼はとても物知りだからだ。
挨拶も早々に私は老師に質問した。
「先生、質問があります! ベラフ地方について教えてください!」
老師は目をしょぼしょぼさせ、「リーディアのことだからもう調査済みだろう?」と私に言った。
私は頷いた。
「はい。調べました。でもどうにも分からない」
アルヴィンはベラフに行ったきりで、もう二週間近く顔を見てない。
アルヴィンのベラフ行きは極秘扱いで、領主館の人間でも彼の行く先を知らない人間がほとんどだ。
護衛連中の話では、アルヴィンには側近のデニスと二百人近くの兵が同行しているから「心配はいらない」らしいが、逆に「そんな数の兵とアルヴィンは何しに行ったんだ?」と疑問が増えただけだった。
ベラフとはどんな土地なのか?
一応は王宮騎士団マルアム・セントラルに所属していた私は国内の事情にそこそこ明るいと自負している。
だがそんな私でも、ベラフ地方について何も知らない。
ベラフ地方は五十年前にゴーランから分割されたのち、今は亡きギール侯爵家の領地になったが、これという特産物があるわけではない。
あの辺りは海に面しているため、隣国との繋がりもなく、隣国から攻め込まれることもない。
土地は痩せており、あまり益がない土地であると聞いていた。
だがこのゴーランでは、ベラフ地方はベラフという名の港町があり、そこを中心に非常に栄えていたと記録にあるのだ。
――港町。
ベラフは確かに地図の上では海に面しているが、私はそこに港があると聞いたことがない。
そもそも我が国はベラフ地方と北の辺境伯が管轄する北西側の一部地域が海に面しているが、ベラフ地方に港はないと聞いていた。
ゴーランの後にベラフの領主となったギール家は秘密主義で、領の情報を外に出そうとしなかった。
だからベラフはなおさら忘れ去られた土地になった。
しかし、そもそもそんな益がない土地を王家に献上するだろうか?
五十年という時間は長く、ゴーランの人々も他領となったベラフについてはよく知らないらしい。
ギール家がゴーランの民がベラフに立ち入ることをきつく禁じたからだ。
ただ伝え聞くのには、「ベラフは港町で大層栄えていた」という、原状とかけ離れた話だけ。
一体これはどういうことなのだろうか。
老師はあっさりと言った。
「リーディアが調べた通りだよ。ベラフは五十年ほど前、ゴーラン領主が治めていた頃は大層栄えた港町だったが、その後、ギール侯爵家の所領となった後、ほんの数年で衰退した」
部屋にいたのは私と老師の他に、私の護衛係の騎士二人と、シェインだ。
話を聞いて彼らも息を呑んだ。
「そんなことがあるんでしょうか?」
「『あった』のだよ、リーディア」
老師は断言した。
五十年は長いが、老師はもっと長生きだ。おそらく、彼はベラフの栄枯盛衰のその目で見たのだろう。
「何があったのでしょうか」
「ふうむ」
と老師は顎をさする。
「まずは五十年前のことから話そう。このゴーランが我が国マルアム国から独立するのでは疑惑が持ち上がった。これは王家に対する謀反である。話し合いの末、時のゴーラン領主はベラフ地方を王家に返上することで矛は収められた。何故なら、独立の噂はこの港町ベラフが貿易で非常に栄えていたことにあったからだ」
「なるほど」
ベラフさえなければ、ゴーランは独立出来ない。
騒動の発端となったベラフを王家に渡し、ゴーラン領主は王家に対する恭順を表した。
「当時の状況を鑑みると、実際にゴーラン領主は独立するつもりだったのじゃろうよ。だがマルアム国と正面から事を構え、戦争することまでは望まなかった。ゴーランはベラフを渡し、我が国に留まった。中央にとっても良港ベラフを手に入れられることは非常に大きな意味を持つ。王はこれを中央部の貴族ギール侯爵家に与えたが、ギール家がこの土地を治めるようになってから十年足らずでベラフの町は廃墟と化した」
「そこがよく分かりません。一体何があったんでしょう」
「魔物だよ。海の魔物『クラーケン』が現れ、ベラフの海は閉ざされた」
「クラーケン!」
クラーケンとは、イカの姿をした海の巨大な魔物だ。
大型船でも一撃で破壊してしてしまう大きな触手を十本も持っている。
それだけでも恐ろしいのに、クラーケンは気象を操る能力を持ち、嵐を起こすのだという。
魔物対策の教本では、発見したら即時撤退。
絶対に戦ってはいけない相手だと記されている。
災害に匹敵するSランクの魔物だ。
ギール家がベラフを放棄したのも無理はない。
海に生息する魔物なので、陸上にくることはないのが、唯一の安心材料だ。
「ベラフの海は魔物どもに乗っ取られてしまった」
老師は沈痛な面持ちでため息をついた。
「これは我が国一国だけの問題に留まらない。北国シデデュラとの関係悪化はこのベラフを失ったことにある」
シデデュラとは我が国の北方に位置する隣国だ。
ちなみに仲はとても良くない。
老師の話を聞いていて、私は一つ引っかかるところがあった。
「あのー、先生。シデデュラと我が国が対立しているのは、北方の領土問題が原因ですよね?」
私は授業でそう習ったぞ。
シデデュラは自国より温暖な我が国を狙って侵攻を繰り返している。
この侵攻を食い止めるため、現役時代、私も北部に派遣されたことがある。
老師は言った。
「ある意味では正しい。だが、間違っている」
「とおっしゃいますと?」
「それはかかる事態の本質ではない。ギール家、ひいては王家の失態を隠す方便じゃよ。かつてシデデュラの船はベラフを経由し、自国の様々な品を船で輸出していた。シデデュラはベラフと共に繁栄し、その時はまだ両国の関係はここまでこじれてはいなかったんじゃ。だが四十数年前、ベラフが閉鎖されてからはこの有様だ」
引退した老師は自由の身を満喫しているようだ。国の批判を躊躇うことなく口にした。
現在の船の航行能力では、シデデュラからベラフを経由せず直接外国に輸送出来る船は限られている。
他の輸送ルートはあるにせよ、ベラフ閉鎖でシデデュラが窮地に陥ったのは容易に想像出来る。原因となった我が国との関係悪化は避けられないだろう。
でも我が国だって十分被害者の立場だ。
私は老師に主張した。
「ですが老師、相手はクラーケンです。我が国も好き好んでベラフを閉鎖したわけではありません。すべては魔物のせいなのですから、これは仕方がない事態では?」
「いやいや、リーディア、一つ大きなものを見落としているよ」
老師は首を横に振る。
「アステラテート家が治めていた時代のベラフはとても栄えていた。これがどういう意味か分かるかね?」
「あー、そうですね。ゴーランはベラフからクラーケンを遠ざける方法を知っていたということですか?」
老師は首肯した。
「おそらく。アステラテート家は多年に渡り、ベラフの海の安全を維持していた。王家もギール家も自分達にもそれが出来ると考えたのだろう。結果は大きな誤りだったがな」