04.リーディア・ヴェネスカの結婚4
楡の木荘に泊まった翌朝、私とシェインはアイスキャンディーのボックスを抱えて、ルツの領主館に戻り、その日も何のかんのと忙しく過ごす。
夕方になっても私の仕事は終わらない。
結婚式を控え、領主館を訪れる客は多く、彼らを晩餐でもてなすのも私の役目だ。
ウエディングドレスは既に採寸が終わり、仕立屋のマダムから「これ以後は一ミリたりともウェストサイズを変えないように」ときつく申し渡されたため、私の皿だけメインの肉が寂しいことになっている。
昔から社交の類いは得意とは言い難い私だが、私以外にも領主館の文官達も同席しているのでなんとかこなせる。
晩餐にはアルヴィンも参加の予定だったが、彼は「用事があって、手が離せない」とかで執務室に閉じこもっていた。
……ここ数日、執務室近辺は非常に慌ただしく、私はアルヴィンにほとんど会っていない。
夕食が終わって部屋に戻り、部屋に一人になると、誰かが声をかけてきた。
「リーディアさん、リーディアさん」
振り返ると八十センチくらいの小さな老人が立っていた。
「クロックじゃないか」
彼は領主館に住む屋敷妖精ブラウニーの一人だ。
大きな柱時計を住処にしているので私は彼を「クロック」と呼んでいる。他に厨房に住む少しふくよかな女性のブラウニー「キッチン」もいる。
「リーディアさん、その箱をお探しかね」
クロックは小さな指で明日、料理長に渡そうと、とりあえずテーブルの上に置いたアイスキャンディーのボックスを指さした。
屋敷妖精は屋敷のことなら何でも知っているのだ。
「そうだよ」
「それならこの領主館にもございますよ」
「えっ、あるのか?」
「はい。本館ではなく、湖の別館の方ですが」
「別館……」
この領主館はかなり広く、領主館の敷地の中に湖がある。
その湖の真ん中の島に建っているのが、クロックが言う「別館」だ。
そしてクロックはとんでもないことを口にした。
「今から行ってみますか? ご案内しますぞ」
「えっ、今から?」
既に夜も更けている。
「行ってみたいけど、別館には行ったことがないんだ。行く方法も分からない」
そこに別館があるのだとその瀟洒な建物を対岸から見せてもらったことはあるが、中に入りはしなかった。
「湖はボートで行けます。すぐですよ」
「……」
私は少し考えた。
ブラウニーはこの領都でも見える人が少ない。また見えたら見えたで騒ぎになりそうだ。クロックもそれは望んではいないだろう。
彼に案内してもらうなら、夜の暗闇に紛れて行くのが一番いい方法に思えた。
「……よし、行ってみよう」
***
湖のほとりに行き、別館に行きたいと言うと、夜番の兵士は「では行きましょう」とあっさり私をボートに乗せてくれた。領主の婚約者特権である。
ボートにはこっそりクロックも乗り込んでいる。
ボートはすぐに別館のある湖の真ん中の島に辿り着き、別館を警備している兵士が慌てた様子でボートに駆け寄ってくる。
「何かありましたか?」
こんな時間に来たので驚かせてしまった。
「いやぁ、リーディア様が別館に用事があるらしいんだ」
ボートでここまで連れてきてくれた兵士にも詳しい事情は話していない。彼は頭を掻いて同僚にめちゃくちゃ胡乱な説明をした。
「こんな夜遅くですか?」
当然、兵士は怪しんだ。
「ちょっと探し物があるんだ。思い立ったら気になって、つい来てしまった。倉庫が見たいんだ」
と私は兵士に言った。
「はあ……」
我ながらすごく怪しいが、別館の、しかも倉庫に重要なものなどあるわけがないので、兵士は首を傾げただけで、私を倉庫に案内してくれた。
灯りを借りて「一人で探すよ」と言うと、兵士は戸惑ったように「本当によろしいんですか?」と返事をした。
「ああ」
「では、何かあったら呼んでください。私は先ほどのボート小屋におりますので」
兵士はそう言い残して、倉庫を後にした。
「で、クロック、どこにあるんだい?」
兵士が立ち去った後、クロックに声をかけると、彼は物陰からひょっこり顔を出す。
「こっちですよ」
と私を倉庫の奥へと案内する。
「ここです」
「どれどれ、あ、あった」
クロックの言葉通りにアイスキャンディーのボックスが見つかった。
「使えるといいなぁ」
私がボックスを抱えて呟いた、その時。
「何が『使える』といいんだ?」
耳のすぐ横で問いかけられて、私は心底驚いた。
「うわっ」
「俺だ。リーディア」
とっさに手にしたボックスでぶん殴ろうとしたが、さっとよけられ、灯りに照らし出された顔はなんとアルヴィンだった。
「アルヴィンでしたか。どうしてこんなところに?」
「それは俺のセリフだ」
「私はアイスキャンディーのボックスを手に入れようと思って」
「アイスキャンディーのボックス? あのアイスを作るやつか」
「はい。結婚式は夏ですから、アイスキャンディーは格別美味しいと思うんです」
私は料理長との会話をアルヴィンにも伝えた。
「……なるほど」
「しかし、なんでこれ、別館にあったんでしょうね」
アルヴィンは少し懐かしそうに倉庫の中を見回す。
「この別館は、元々領主の子供や隠居した先代などのために作った家だからだろう」
「そうだったんですか」
子供が夏にアイスキャンディー作ってもらったらそりゃ喜ぶだろう。
私は納得した。
「アルヴィンはなんでここに?」
「夕食を一緒に取れなかったから、せめて就寝前に挨拶ぐらいはしようと君の部屋に行ったら、『別館に行った』と聞いて来たんだ」
「そうでしたか、留守にしていてすみません」
「リーディアはなんでここにアイスキャンディーのボックスがあると知っていたんだ? 領主館にこんな物があると俺は知らなかったが」
とアルヴィンは不思議そうだ。
「屋敷妖精に聞いたんです。柱時計に住んでる『クロック』が教えてくれました」
クロックは私がこの領主館に来てすぐに挨拶に来てくれたが、二十九年もここに住んでいるアルヴィンはクロックに会ったことがないらしい。
「そうか」
微妙にがっかりした表情だったので、「会ってみます?」と聞いてみた。
「会えるのか?」
「はい、一緒に来てくれましたよ。クロック、出てきておくれ」
「は、はい」
クロックが物陰からおずおずと姿を見せる。
アルヴィンはクロックをまじまじと見つめ、呟いた。
「……遠い昔、見たことがある気がする。皆で遊んでいた時、柱時計の陰にいて、確かヘンリーが捕まえてみようと……」
「はい。化け物扱いされて退治されそうになりました」
「すまなかったな」
「いえいえ、領主様とデニスさんはあの悪ガキを止めようとなさった。あの、では、リーディアさん、領主様、わしはここで失礼を。後はお若い人だけでごゆっくり」
クロックはさっと姿を消してしまった。
私達は顔を見合わせる。
「気を遣われたんですかね?」
「……多分な」
二人でボートまでゆっくり並んで歩く。
アルヴィンは転移魔法で一人やって来たので、そのまま帰ればいいが、ボートで来た私の方は一言兵士に挨拶しないといけない。アルヴィンは一緒に来てくれるそうだ。
……多分兵士はすごく驚くだろう。
私はふと、先程のクロックとアルヴィンの会話を思い出した。
「あの、ヘンリーって誰ですか?」
「ヘンリーは俺の従兄弟だよ。俺より一つ年上で彼の父親と共に俺がこの手で処刑した」
アルヴィンは何でもないような顔でそう言った。
アルヴィンの両親は自身の弟であるアルヴィンの叔父に暗殺された。アルヴィンは父親の跡を継いで領主となり、その叔父の罪を暴き、彼を処刑した。叔父の妻も子も謀反を知っていたということで連座となった。
アルヴィンの叔父は折を見てアルヴィンも暗殺し、辺境伯家を乗っ取るつもりだったのだ。
慰めの言葉は何も思いつかず、「……仲、良かったんですね」と私は呟いた。
「良かったよ。俺は一人っ子だったから、彼とデニスとはよく遊んだ」
ランプの明かりに照らされた彼の顔を見上げると、ほんのわずか、彼の瞳が揺れたような気がした。
それを見て私は動揺のあまり、
「あ、あの、最近忙しそうですね」
とまったく関係がないことを口走った。
アルヴィンも急に話題を変えられ面食らった様子だが、返事をしてくれる。
「ああ、厄介なことがあったが、なんとかなりそうだ」
「厄介なこと?」
アルヴィンは左右を見回し、誰もいないことを確認すると私に囁いた。
「小麦の生育が良くない。このままでは少し不作になりそうなんだ」
私は愕然とした。
小麦は我々の主食である。もし不作なら大変なことになる。
だが。
「昨日、楡の木荘に行きましたが、うちの麦はあまり変わりなかったですよ」
「フースの町の周辺は例年並みだが、ゴーランのほとんどで不作だ。不作はゴーラン領に留まらず、東に行くほど深刻で、中央辺りはかなり不作になりそうだ」
「そんな」
それは近隣のどこの領からも麦を買うことが出来ないという意味だ。
だがアルヴィンは不敵に笑った。
「ところが南部は豊作でね」
「えっ、南部が?」
「西部や中央の不作を十分補える量だ。どの領にも行き渡るよう、今、価格と配分を調整している。それにようやく目処が立ったところだ」
「良かった」
私は胸を撫で下ろした。
そこで私はふと、気付いた。
去年の秋の終わり、南部の麦を植えるよう指示したのは、この男、アルヴィンだ。
「アルヴィン、このこと知ってました?」
「とんでもない。そんなことを知るわけない。だが、まったく予想してなかったわけではない。数年に一度、中央では麦が不作になる年がある。ここしばらくどこも豊作だったから、そろそろかも知れないと覚悟していた」
アルヴィンはさらりとそう答えた。
つくづく用意周到な男だと私は感心した。
抜け目ないし、自分が一番儲かるように動いているが、でもおかけで誰も飢えずに済みそうだし、これで南部の財政も潤うだろう。
「……やっぱりアルヴィンかなぁ」
私は思わず呟いた。
「何が『やっぱり』なんだ?」
「アルヴィンは私の好みだということです」
アルヴィンは少し頬を赤らめた。
「リーディアはそういうところが不意打ち過ぎる」