03.リーディア・ヴェネスカの結婚3
楡の木荘の転移魔法陣は母屋の隣の納屋にある。
「あ、リーディアさん、お帰りなさい」
納屋から出ると、そこにノアが立っていた。丁度馬小屋の掃除が終わったところらしい。
「はい、ただいま。戻ってきたよ。留守にしていて悪かったね」
ノアはゴーランに戻ってから、私と別れ、楡の木荘で母親と妹と一緒に過ごしている。
かれこれ二週間ぶりの再会にノアは嬉しそうに駆け寄って来た。
「今日は泊まっていけるの?」
「そのつもりだよ」
「良かった! 部屋はお母さんがいつでも使えるようにしてあるよ」
「どうもありがとう」
次にノアは私の隣にいたシェインにも挨拶した。
「シェインくんもいらっしゃい」
「……ああ」
「おや?」
ノアに短く挨拶をするシェインを見て、私は違和感を覚えた。
シェインとノアが会うのはこれで二回目だ。
一度目に彼らを引き合わせた時、シェインのノアに対する態度は少しよそよそしかった。
その時は緊張しているだけかと思ったが、どうやらシェインはノアが苦手のようだ。
「あら、お帰りなさい、リーディアさん」
「お帰りなさーい」
母屋に入ると、ノアの母親のキャシーと彼女の娘のミレイが出迎えてくれる。
「はい、ただいま」
彼女達と話をしていると、厨房の奥から「リーディア様、お帰りなさい」「さーい」「さーい」と野太い声が聞こえてくる。
「お仕事、ご苦労様」
彼らが領主館から派遣された料理人ジョーイ達だ。
夕食はジョーイ達が腕を振るってくれるそうだ。楽しみである。
「リーディアさん、ちょっといいかしら」
食事の前、私はキャシーに呼ばれた。
「わたしもー」
とミレイが付いて来たがったが、日頃優しいキャシーが断固してこれを許さなかった。
「駄目よ、ミレイ。談話室には入らない約束でしょう」
談話室?
連れて行かれたのは、キャシーの部屋でもなく、私の部屋でもない。一階の談話室だった。
食堂の隣に談話室があり、いつもは個室として使ったり、食事の後にゆっくり酒を飲めるように開放しているが、今は立ち入り禁止の札がぶら下がっている上、鍵まで掛かっている。
随分厳重だなと思いながら、部屋のドアを開けた私は「うわー」と思わず声を上げた。
大きなテーブルは端に寄せられ、代わって部屋の中央に鎮座しているのは帽子掛けだった。
そこに掛けられていたのは、白のロングベール。
長く垂れたレースが、白い波のように優雅に広がっていた。
キャシーは手袋をはめ、細心の注意を払ってレースを手に取った。
「これ、結婚式用のベールなの。ゴーランでは昔からベールは家族や友人が作るものなのよ。ドレスの仕立ての先生にお話はしてあるからドレスの雰囲気と合っていると思うけど……どうかしら?」
「すこく、いいと思う。ありがとう、キャシーさん」
結婚式用のドレスは、かつてアルヴィンの母がお気に入りだったという王都のデザイナーに発注済みだが、その老婦人は、その時私がたまたま着ていたキャシーお手製の服を大層褒めた。
「王都にいたらうちのお店にスカウトするわ」
と彼女の腕前はかなりのものらしい。
「まだ作りかけだけど」
そう言ってキャシーは私の頭にベールを被せてくれた。
「生地は領主様が手に入れてくれた最高級品よ。ベールの形自体は、シンプルでしょう。とっても贅沢で綺麗なレースをたっぷり使うから、あまりゴテゴテと飾らない方がいいと思うの。その代わり、花のコサージュをあしらって華やかさを出すわ。こちらも白一色だから統一感が出るし、リーディアさんのすっきりとした美しさに映えると思うの。いいわね、思った通り。私も鼻が高いわ」
キャシーは普段物静かな女性だが、好きな刺繍や裁縫のことなので饒舌だった。
「あっ、ありがとう」
私はちょっとたじろいだ。
「本当にいいレースだから、慎重に扱わないとね」
キャシーはそっと細心の注意を払って私の頭からベールを外す。
ふと、彼女はコサージュの一つを指さした。
その一つだけ、形が歪だ。
「このコサージュ、レファさんが刺したの」
「レファが?」
キャシーは「ふふっ」と可笑しそうに笑う。
「そう、レファさん、『私もリーディアさんのために何かしたい』っていうから、コサージュを作ってもらったの。レファさんの裁縫の腕前はリーディアさんと同じくらいだからとても苦労したと思うわ。今仮に止めているだけだから、別のもっと目立たないところに移動させるのも出来るけど……」
「レファが」
レファは一時私の宿屋に下宿していたゴーランの騎士だ。
美青年にしか見えないが実は女性で、既に失われたと言われていたライカンスロープの末裔だった。
ライカンスロープは、動物に変身出来る魔法使いのことを指す。
ライカンスロープの魔法体系は迫害の時代に失われ、変化の魔法はたまたま親の得意魔法を受け継くという形で細々と伝わっていた。
大鹿に変身出来るレファは一族最後のライカンスロープだった。
南部の戦いの後、私とアルヴィンは当時はまだ王太子だったフィリップ陛下と共に王都に凱旋したが、レファはそのまま南部ルミノーの辺境伯キラーニーの護衛として留まった。
南部ではその中枢にまで王妃派が入り込んでいた。
そんな中、キラーニーを守りきれるのは、レファだけだ。
しばらく経った後、南部より「キラーニー、倒れる」の一報が届き、ゴーラン騎士団に激震が走った。
犯人は王妃派の暗殺者……ではなく、レファだったからだ。
騎士としては優秀なレファだが、料理の腕前はからっきしで、殺人レベルの料理を作る。
こともあろうにそのレファが作った菓子を! キラーニーは食べたという。
側にいたら絶対止めたが、あいにく私は王都にいた。
レファはキラーニーを初めて見た時から、「あの人、いいなぁ」と思っていたそうだ。
キラーニーと私は十年ほど前からの知り合いで、彼はおおらかで気が優しい、一言で言うと好人物である。
むしろいい人過ぎて「ないな」と思っていたが、レファはそのまっすぐな気性が良かったらしい。
逆にレファはアルヴィンの何事にも用意周到で貪狼とまで称される抜け目のなさが「ない」らしい。
私はアルヴィンのそういうところは嫌いじゃないので、好みとは人それそれである。
キラーニーも自身を助けたレファに猛烈に惚れ込んだ。
キラーニーは若い頃に一度結婚していたが、王都育ちの令嬢だった夫人は南部に馴染めなかったため、離婚し、その後は独り身を貫いていた。
周囲から話を聞くと、二人はしばらくもだもだとお互いに片思いをしていたようだが、この殺人未遂菓子事件でレファはキラーニーを泣きながら看病し、キラーニーはそんなレファに想いを伝えた。
二人はすぐにささやかな式を挙げ、正式に結婚した。
そしてすぐにレファは第一子を身ごもった。
そんなわけで私達の結婚式にキラーニーは列席するが、レファは来られない。
初めての出産に再建中の南部の辺境伯を支える夫人としての仕事。
忙しい日々を過ごしているレファだが、そんな中でも私のことを気にかけてくれていたらしい。
私のドレスのどこか目立たないところに使って欲しいと、キャシーにこのコサージュを託した。
「いや……、このままで」
私と同じくらいの腕前なら、このコサージュをこしらえるのは本当に大変だったはずだ。
レファと私の道は別れてしまった。今までのように毎日顔を合わせる生活はもうもう出来ない。
だが、私達のどこかは今も繋がっている。
***
楡の木荘はただいま限定営業中だ。
朝と昼に少しお客を入れているが、夕食も泊まりも提供していない。
そのため夕方には客足も途絶え、一同は食堂に集まり、夕食を共にした。
夕食のメニューは、まず今が旬の畑の野菜達。
ソラ豆、ルッコラ、フェンネルにパセリ、キャベツにセロリにラデッシュ。新鮮な野菜に苺とバルサミコ酢のソースをかけて食べる。
バルサミコ酢は葡萄の果汁を煮詰めて長期間発酵させたものだ。
長期間というのは本当に長く、出来上がるまでに子供が生まれて成人するぐらいの間くらいかかるそうだ。感謝して食べるとしよう。
スープはグリーンピース、ベーコンやソーセージ、その他野菜を煮込んだ豆のスープだ。じきに夏になるが、山裾にある楡の木荘は日が暮れると少し冷える。
温かくて濃厚なスープは何よりのご馳走である。
メインディッシュはこの時期旬を迎える子豚肉。柔らかくて美味しいこの肉に玉葱ソースをたっぷりかけて食べる。
領主館でも野菜は食べているが、やっぱり我が家のものが一番美味しいと感じる。何せそこの畑から採ってくるものだ。鮮度が違う。
「リーディア様、まだお忙しいんですかい?」
料理に舌鼓を打っていると、今日の料理を作った料理人、ジョーイが私に尋ねる。
「申し訳ないがその通りだ。来て早々頼りっぱなしで済まない」
「いや、それはいいんでさぁ。仕事ですし、仕事以外でも楽しませてもらってます。広々厨房を使って好きなように料理出来るなんて料理人にとっちゃあ夢みたいな環境ですから」
「そう言ってくれるとありがたい。だが本格的な営業再開になると忙しくなるよ。夏は人の往来がかなり増える」
そう言うと彼は肩をすくめる。
「今も十分忙しいですよ。パンケーキ狙いのお客さんで昼は一杯です」
「パンケーキ、まだ流行ってるんだ……」
パンケーキは昼と夜の間の軽食用に出したメニューだったが、我が家の鄙びた立地も相まって、人気を博した。
我が家はフースの町から五キロの距離と、とても鄙びている。
徒歩はもちろん、馬車を使っても行き来に時間が掛かるこの立地は、恋人と二人きりになりたい若者にとっては理想のシチュエーションで、デートに使うのに丁度いいのだ。
「パンケーキ……」
とシェインは呟いた。
「あの、ゴーランでは庶民もそんなものを食べているのですか」
パンケーキは砂糖を使ったお菓子なので割合高価だ。それを庶民が口にするのかと驚いているらしい。
サトウキビから作った砂糖は外国からの輸入品で高価だ。
「この辺りは輸送ルートの途中にあるから砂糖が少しだけ安く手に入れられてね。他にも生地にライ麦を使ったり、樹液のシロップを使ったりと、安価に食べられるように工夫しているんだ」
「それでも、すごいですね。ゴーランは豊かだ」
シェインはしみじみため息をつく。
「ここでもパンケーキは到底毎日食べられるようなものじゃないよ。庶民にとってはたまの贅沢だ」
と私はシェインに説明した。
それを受けてジョージが言う。
「高いものだからこそ、『食べて良かった』と思って貰えるように俺達も努力しております」
ジョーイの言葉に下働きという若い青年二人も頷いた。
領主館とはまた違った制約がある中、ジョーイ達はここで料理をするのを楽しんでくれているようだ。
夕食後、私は一人裏庭に向かった。
「ふん、帰ったのか」
「リーディア、お帰り」
「お帰り」
「お帰りなさい」
洗濯場の影から我が家に住む屋敷妖精ブラウニーとバンシー達から声をかけられた。
「ああ、戻ったよ。明日には領主館に戻らないといけないけど」
「えー、残念だね」
「私もだ。一月半後の結婚式が終わったらもう少しここにいられるようになる」
「分かったわ、じゃあ私達待ってる。リーディアも身体に気をつけてね」
「ああ、ありがとう」
――と、その時私はしばらくしたら楡の木荘に戻るつもりだったのだ。
次の事件が待ち受けているだなんて、知るよしもなかった。
彼らと話した後、私は奥へと進む。
我が家の裏手は畑になっている。
途中でガサガサと豆のツルが揺れたかと思うと、ぬっと黒い大きな塊が顔を出す。
闇に溶けるような漆黒の生き物は「ブモッ」と鳴いた。
牛の姿をした精霊のウルだ。
「モー」
よく見ると側に彼の妻にして我が家の牛、ケーラもいる。
「帰ってきたよ。この前は本当にどうもありがとう」
危険なのにウルもケーラも南部に同行し、彼らは私の危機に駆けつけてくれたのだ。
声をかけると彼らは嬉しげに「ブモ」「モー」と鳴いて返事をしてくれた。
ピョーンと変な音がして魔法かかし、ジャック・オー・ランタンがやって来る。
「元気かい?」
と尋ねると、彼はカランと一度頭を振る。
「皆無事かい?」
重ねて尋ねるともう一度カランと音がする。
「そりゃ良かった」
ジョーイ達には「うちの裏庭には変な生き物がいるし、牛小屋にいるのは魔物ではなく精霊」と説明してある。
下働きの青年達が料理の傍ら畑仕事もこなしてくれているが、なんとなく棲み分けて、お互いあまり接触しないで生活しているようだ。
ありがたい。
野菜畑の向こうは収穫を間近に控えた小麦畑。
私は随分背の高くなった小麦畑の真ん中で大きく息を吸い込んだ。
季節は春が終わり、夏になろうとしている。
土と緑の香りが濃密に漂う。
力強い大地の営み。その恵みを授けられ、人は生きている。
顔を上げると空には星が輝いている。
「帰ってきたんだなぁ」
私は畑の真ん中で、一人、しみじみと帰還を噛みしめた。






