02.リーディア・ヴェネスカの結婚2
ようやくゴーランに戻れたものの、私は領都ルツの領主館に留まっており、楡の木荘にはあまり帰れていない。
二ヶ月後に結婚式を控え、とにかく忙しかったのだ。
私とアルヴィンの結婚式には、東のロママイ国の王太子、南のスロラン国王、西のキルガル国の王太子、そして我が国の国王フィリップ陛下のご参列をたまわる予定である。
ロママイ国の王太子とスロラン国王とは、南部の戦いを通じ縁が出来た。
アルヴィンの母親はキルガル国の辺境伯家の長女だった方で、次女はキルガル国の王太子に嫁いだ。現在彼女は王妃となり、その息子、キルガル国王太子はアルヴィンの従弟に当たる。
国内の有力貴族達も列席を予定している。
王族の結婚でも滅多に集まらないくらい豪華な顔ぶれだ。
かつてない規模で執り行われることになった結婚式を目前に控え、領主館では誰もが慌ただしく駆け回っている。
まさに猫の手も借りたい有様なので、私ものんきに宿屋を営業している場合ではない。
「リーディア様、失礼します。アルヴィン様からリーディア様がロママイ語を話せると聞きましたがお手伝い頂けないでしょうか。通訳が足りないんです!」
といきなり文官が駆け込んで来るのも日常茶飯事だ。
彼は隣国ロママイの担当だ。確かロママイ国から使者が打ち合わせに来ていたな。
「話せるって言っても、ほんの片言ですよ」
と私は答えた。
ちなみにこれは謙遜でも何でもない。
だが文官は猛烈な勢いで詰め寄ってきた。
「それでもいいから来て頂けませんか? 本当に困ってるんです!」
西の辺境ゴーランは東国ロママイとはかなり距離があり、まったく縁がない。そのためロママイ語が話せる者が少なく、私までかり出された。
次にやって来たのが領主館の料理長で、「リーディア様、ご相談があって来たんです」と彼は悩み事を話し出した。
「結婚式のメニューのことです。主菜は満場一致で肉に決まりましたが……」
「ゴーランは肉が美味いですからね」
「ありがとうございます。夏は肉質が良くなくなる時期ですが、良い肉を確保出来そうです」
と料理長は胸を張った直後に、ため息をついた。
「ですが、それ以外のメニューがどうにも決まらなくて」
「それ以外ですか」
「どれもこれもインパクトが薄いというか、ありきたりというか……。特にデザートで悩んでおります。リーディア様、ご来賓の皆様をあっと言わせるようなお菓子はないでしょうか?」
「うーん、あっと言わせられるかどうかは分かりませんが、結婚式は夏ですよね」
「はい。それも悩みの種です。気温が高いとクリームがいい状態に仕上がらない」
と料理長はこぼした。
「暑いからアイスクリームが食べたいです。美味しいやつ」
夏のデザートといえばアイスである。
「アイスクリーム!」
私欲の限りを尽くした一言であったが、料理長は目を輝かした。
「それです! それで行きましょう!」
「そうですね! それで行きましょう!」
と私の背後からも声が上がる。
護衛役の騎士ラズロだった。
私の護衛はゴーラン騎士団が持ち回りで勤めてくれている。
今日の担当は六番隊だった。
ゴーラン騎士団の中でも騎馬戦を得意とする部隊で、戦場では彼らが真っ先に敵に突撃し、切り込んでいく。
若く勇猛果敢な強者揃いだが、平時の彼らは単なるお調子者である。
「楽しみですね、アイスクリーム」
ラズロがにんまり笑って言うと、隣でもう一人の護衛ジェームズが「うんうん」と頷く。
彼らはアイスが大好物なのだ。
料理長は警戒した目つきでラズロ達を睨んだ。
「一般兵に配る分はないぞ。アイスクリームは作るのが大変なんだからな」
「そんな殺生な」
「俺らも食いたいです」
二人は盛大に不平を訴えた。
「リーディアさん……じゃなかったリーディア様は俺らに良く作ってくれましたよね、アイス」
ふとラズロが言った。
彼らは以前楡の木荘近くのゴーラン騎士団の駐屯地、通称『砦』に勤務しており、よく客として来ていた。
確かに私は去年の夏、彼らに良くアイスを作った。
だが。
「料理長が話しているのは本物のアイスクリームのことで、私が作ったのは、同じアイスでもアイスキャンディーって呼ばれるものなんだ。アイスクリームはアイスの素を凍らせながら何度もかき混ぜて作るもので、アイスキャンディーはアイスの素をそのまま凍らす。材料も少し違って、アイスキャンディーの方がより簡単に作ることが出来るんだよ」
私が説明すると、
「へー」
「へー」
「へー」
と二人の騎士以外に料理長まで感心した。
「リーディア様はアイスキャンディーをお作りになったことがあるんですか」
料理長は興味をそそられたようだ。
アイスは真冬以外は氷が保管出来る氷室か、氷の魔法が使える魔法使いが必要だ。
要するに金持ち以外にあまり縁のない食べ物だ。
「私が買った家の物置に古いアイスキャンディーのボックスがあってそれで作ったんですよ」
「ボックス?」
「はい。外側は密閉性の高い箱になっていて、中のアイスを入れる部分は、ダンジョンに棲む魔物、鉄サソリの皮で作られています。内部は細かく仕切られていて、アイスの素に木の棒を刺しておき、氷の魔石で冷却した後、ひねって取り出せる仕組みなんです」
「ふむ、鉄サソリですか。皮は固いが中の身の部分は海老に似てジューシーです」
いらん豆知識を得た。
そうかー、美味しいのかぁ。
魔石とは、魔力が結晶化したものであり、魔素が集まりやすい場所や魔物の多い地域でよく採取される。
ゴーラン領には複数のダンジョンが存在し、そこから魔石を掘り出している。
ゴーランの特産品と言っても過言ではないだろう。
そのため、小さな魔石であれば庶民でも買うことが出来た。
「リーディア様、持ってきました!」
その時、いつの間にか姿を消していたジェームズが話題のアイスキャンディーのボックスを手に戻ってきた。
「えっ、なんでそんなもの、持ってるんだ?」
驚いて尋ねると、ジェームズは得意そうに答えた。
「もうすぐ夏なんでリーディア様にアイスの素を作ってもらおうと持ってきてたんですよ」
ゴーラン騎士団の本部は領主館の隣なので走って持ってきたという。
「ふーむ、これがアイスキャンディーのボックスか」
料理長は興味深げに眺めた。
アイスキャンディー用のボックスは調理用の魔法具である。
しかし、百五十年ほど前にあった魔法使い迫害の時代に魔法は廃れ、こうした身近な魔法具も破壊されたり捨てられたりして、今ではほとんど残っていない。
料理長はボックスをためつすがめつして。
「これは面白い! この箱と氷の魔石、それと魔法使いがいればアイスキャンディーが作れるのですね」
料理長が言う通り、仕掛けを発動させるのは魔法の力が必要だ。
「はい」
「この箱が沢山あれば、パーティーに参加する一般客にもアイスキャンディーを配れる! 早速鍛冶屋に相談してみます」
料理長が退出し、私はラズロに言った。
「シェインを呼んできてくれないか?」
「はっ」
しばらくしてラズロと一緒にゴーラン騎士団の騎士見習いの服を着た少年がやって来る。
白っぽい金髪で青色の瞳。年齢は十二歳で、この歳の少年にしては背が高い。ここより北方の民族の特徴だ。
シェインは私に一礼した。
「お呼びでしょうか? リーディア様」
「ああ、楡の木荘に行きたいんだ。連れて行ってくれないか」
シェインが私にアルヴィンが以前言った『私専属の魔法使い』である。
シェインは北の辺境伯の息子。しかも長子なので、次期辺境伯となる大事な子供だ。
「使ってくれ」と北の辺境伯はその子をアルヴィンに預けてきた。
アルヴィンとしてはめちゃくちゃ断りたかったが、王都の大広間の事件の時、北の辺境伯には大いに借りが出来た。断るわけにはいかない。
だがアルヴィンの周囲にはゴーランの最重要機密が集まってくる。いずれ他領に戻るシェインに聞かせられない話もある。
さらにアルヴィンの周囲はかなり危険だ。
暗殺などの物理的な攻撃の他にも、機密を知ろうとありとあらゆる懐柔をしてくる輩がいる。
まだ少年のシェインはそうした悪人のターゲットになりやすい。
そこでアルヴィンは「転移魔法が使えて丁度いいから」とシェインに私の専属魔法使い兼騎士見習いを命じたのだった。
シェイン自身は品良いお坊ちゃまという雰囲気の子だ。
父親であるロシェット伯が持つふてぶてしさや貫禄はまだなく、行儀の良い少年で皆に可愛がられている。
私の頼みにシェインは「はい」とすぐに頷いたが、側で聞いていたラズロが口を開く。
「あの、リーディア様、もしかして楡の木荘にアイスキャンディーのボックスを取りに行くおつもりですか?」
「察しがいいね。その通りだ」
何を隠そう六番隊が持っているのは、元々楡の木荘にあったものだ。
ボックスはもう一つあり、楡の木荘の納屋に保管している。
料理長は魔法具も作れる鍛冶職人にアイスキャンデーのボックス制作を依頼するようだが、ボックスの数が多ければ多いほど沢山アイスが作れる。いくらあっても困ることはない。
「俺達が代わりに行ってきましょうか?」
ラズロは転移魔法は使えないが、馬を走らせるのは得意だ。
そう申し出てくれたが、私は断った。
「いや、自分で行きたいんだ。そろそろ宿屋の皆に会いたくてね」
「そうですか、ではお気を付けて」
転移魔法は魔法陣を使う人数――というより質量が多ければ多いほど魔法コストが増す。
そのため、私とシェイン二人だけで転移した。
ようやく楡の木荘に戻ります。ごめんなさい、まだ結婚式に辿り着かない。