01.リーディア・ヴェネスカの結婚1
本編の続き。
辺境の地ゴーランの領主夫人になったリーディアですが、今度は海辺の町で宿舎の管理人兼料理人をすることになります。
海の魔物クラーケンに海を取られた港町。町とは名ばかりの限界集落と化した廃村すれすれの土地で、町おこし&魔物退治です!
ひょんなことから私、リーディア・ヴェネスカは西部の国境を守るゴーラン辺境伯アルヴィン・アストラテートと結婚することになった。
私の年齢は二十八歳。
かなり長いこと独身だったので、自分でも「もう一生結婚しないかもな」と思っていた矢先の出来事である。
周囲も驚いただろうが、本人も驚いている。
今は彼と婚約中で、二ヶ月後の夏に結婚式を執り行う予定だ。
それが済めば、私はアルヴィンの妻となる。
結婚を決めた時から、私が営む宿屋『楡の木荘』の営業は続けられないだろうと覚悟していた。
楡の木荘は騎士を辞め、傷心だった私を癒やしてくれた大事な場所だ。
アルヴィンとの結婚に後悔は一つもないが、あの場所に未練を残すのは仕方あるまい。
楡の木荘にはノア一家や家畜達以外に、妖精まで住み着いている。せめて住人達に不自由がないように、誰かに良い人に譲れたら……と思い、アルヴィンに相談してみると、
「このままリーディアが続ければいいじゃないか」
彼はあっさりとそう言った。
元王妃キャサリンを倒し、国王フィリップ陛下の即位を見届けた我々が、王都からゴーランに帰る旅の休憩中のことである。
一行は既にゴーラン領内に入っていたが、ゴーランは広く、領都ルツまで駿馬を駆ってもまだ丸一日掛かる。
「は? いいんですか?」
「いいぞ。楡の木荘にずっと住むのは無理だが、週に何度か行く程度なら問題ないだろう」
アルヴィンはかなり軽い調子だったので驚いた。
「……領主夫人ってそんなんでいいんですか?」
私の思っていた領主夫人生活とはちょっと違う。
領主夫人ともなれば社交だのなんだので忙しいはずだ。……多分。
「ゴーランでは領主夫人は十年以上不在だった。だから領主夫人がいなくてもなんとか回るようになっているんだ」
アルヴィンは先代領主夫妻である両親の暗殺で失い、十代半ばで領主の地位を継いだ。
その後二十九歳となった現在まで彼は独身だったので、確かにその間ずっとゴーランに領主夫人は存在していなかった。
「なるほど」
アルヴィンと私は同じ年生まれだが、先日彼が誕生日を迎えたため、現在は私の方が一歳年下ということになる。
「リーディア様には普段領主の館がある領都ルツにお住まい頂きますが、週に一日か二日楡の木荘に行かれる時間は確保してあります」
とアルヴィンの又従弟にして側近のデニスが言った。
既に話は付いていたようだ。私抜きで。
「それはありがたいです。しかしルツから楡の木荘は結構距離があるでしょう」
領都ルツはゴーラン領のちょうど真ん中あり、楡の木荘があるのは領の端っこ、隣国との国境近くの山の麓だ。
歩いて二日から三日は掛かるし、馬を飛ばしても一日は掛かる。
「そのために楡の木荘には転移魔法陣を設置してある」
アルヴィンは自信たっぷりに言った。
「あー」
アルヴィンは楡の木荘の納屋に転移魔法陣を作っていた。転移先は、領都ルツの領主の館だ。
確かに転移魔法陣を使えば一瞬で移動可能だが、問題はまだある。
「私一人では転移魔法陣を作動させられません」
かつては魔法騎士――魔法が使える騎士だった私だが、人の身体に備わっている魔法を発動させる器官、通称魔術回路を損傷し、魔力を体内に貯めることが出来ない身体となった。今ではごく小さな魔法しか行使出来ない。
人一人を転移させる転移魔法は大きな魔力を必要とするため、私一人では転移魔法陣があっても発動させることが不可能なのだ。
アルヴィンは魔力が豊富で転移魔法の使い手と条件は揃っているが、辺境伯である。
多忙な彼がいちいち私に同行するのは現実的ではない。
「週に一度は俺も一緒に行くが、リーディアには専属の魔法使いと護衛騎士が付く。魔法使いの方は転移魔法が使える」
「魔法使いと護衛騎士……」
……率直に言って「面倒くさい」と思った。
騎士時代に護衛任務は幾度も『した』が、どこに行くにもいちいち人が付いてくる生活は大変そうだ。
アルヴィンは私の心を読んだように言う。
「難しく考えないでくれ、リーディア。護衛は顔合わせを兼ねてゴーラン騎士団の騎士が持ち回りで勤める。魔法使いの方は新しく弟子が出来たと思ってくれればいい」
「弟子ですか?」
アルヴィンは酸っぱい葡萄を食べた時の顔で言った。
「北のロシェット辺境伯から使ってくれと託された。……シェインを」
「シェインって確か伯のご長男……」
北の辺境伯は我々より十歳ほど年上で、血のつながりはないが、アルヴィンにとっては兄のような存在だ。
兄のように頼もしく、兄のようにちょっと鬱陶しい。
アルヴィンが強気に出られない数少ない相手の一人である。
「分かりました」
私は了承した。
あまり気は進まないが、領主夫人になるのなら護衛は不可欠だ。強情を張ると周りに迷惑がかかる。
それもまた騎士生活で学んだことである。
しかしこうまで色々骨を折ってもらっても、結局私が楡の木荘に常駐出来ないなら、料理や客室を整える人間がいない。
「やっばり宿屋は営業出来ないなぁ」
私がいる時だけ営業するのはどうだろうと一瞬考えたが、不定期の宿屋ってちょっとあり得ない。
宿屋楡の木荘の営業はもう諦めた方が良さそうだ。
「…………」
ところが私のぼやきを聞いたアルヴィンとデニスは何故か顔を見合わせた。
「それなんだが、宿屋で料理人をしたいという者がいる」
「えっ、そんな人が?」
「領主館の料理人達です」
とデニスが言ったので私はさらに驚いた。
「本職の料理人が何故?」
地方の料理人にとって、領主館はかなり良い就職先だ。定期的に大小さまざまな宴会が催されるし、国内外からの賓客をもてなす機会があり、存分に腕を振るえる。
そんな良好な職場を捨てて、わざわざ田舎町からさらに五キロ離れた一軒宿で料理がしたい理由とは?
自慢ではないが、うちの周囲は本当に何もないぞ。
「実は以前からリーディアの元で修行がしたいという話があった」
とアルヴィンは言った。
「修行って私は独学で学んだ素人ですよ。本職の料理人に教えることなんて何もないでしょう。大体彼らとは会ったこともない」
実はアルヴィンを介して料理のことで幾度か彼らと手紙のやりとりをしたことがある。
そのためまったく知らない仲ではないが、実際に会ったことはなく、彼らの顔も知らない。
半年前の南部行きに領主館の料理人達も同行してくれたのだが、持ち場が違い、顔を会わせることはついぞなかった。
「レシピだ」
「レシピ?」
「料理人は読み書き出来る者が少ない。だからレシピを残す文化がほとんどないんだ」
「あー」
アルヴィンが言うのはその通りで、今だ我が国の識字率は高いとは言えず、料理人のほとんどが読み書き出来ない。
文字の代わりに、彼らは料理人に師事をして実際に料理を作る。いわば身体で技術を学んでいるのだ。
一方私は彼ら料理人から料理の作り方を教えてもらい、それをレシピをまとめた。
レシピとは元々医師が薬師に処方を指示する文書のことで、魔法学における伝承もまた、文献という形で記録、継承されている。
魔法使いである私にとっては、手順や材料をレシピの形で書き残すことはごく自然な習慣だ。
一方で料理人は感覚を頼りに試行錯誤を重ねて料理を学ぶが、その成果をレシピに記すという文化は根付いてなかった。
アルヴィンが楡の木荘に出入りするようになり、彼から私が書いたレシピを受け取った領主館の料理人達は衝撃を受けたという。
レシピに書かれた通りに作ればそこそこのものが作れるというのは、彼らにとってかなり画期的なことだったらしい。
今まで腕を磨くのが一番で、文字を学ぶことに積極的でなかった料理人達は、なんとレシピを読み解くために文字を学び始めたという。
更に彼らは私の元でより多くのレシピを学び取りたいのだという。
知り合った人に教えてもらった料理はすべて書き留めてあるので、私のレシピコレクションは今ではかなりの数になっている。
彼らはアルヴィンに楡の木荘が再開したら、厨房を手伝いたいと申し出ているそうだ。
「料理長が一番行きたがったんだが、彼がいなくなると色々困る」
「そりゃ困るでしょうね」
料理長だぞ。
「代わりに副料理長と下働きの若いのが数名が志願している。厨房の仕事だけでなく、掃除や洗濯などの雑用を言いつけてくれて構わないそうだ」
「それはありがたいです」
こうして、私が知らないうちに楡の木荘再開の準備はすっかり整っていたのだった。