11.トリュフのオムレツ
その後、家に戻り、改めてトリュフ(仮)を確認するとゴツゴツとした黒いボールのような外見をしている。
鼻を近づけるとスパイスのようなニンニクのようななんとも複雑な匂いがした。
トリュフというのは、夏と冬に旬を迎える珍しいきのこらしい。
これは本物のトリュフのようだ。
しかし確証は持てない。
王都でトリュフは非常に高価で、私は今までほんのちいさな欠片を一、二度口にしたことがあるだけで、はっきり言って「これはトリュフである」と断言出来るほど詳しくない。
発見者のノアも食べたことはないらしい。
そこで宿の客で一番高級食材に詳しそうな黒髪男に聞いてみることにした。
ここはトリュフの産地で、黒髪男は階級が高い騎士のようだ。地元の名産品なのだから、口にする機会は多かろう。
トリュフ狩りの一週間後、黒髪男が珍しく茶髪男を伴い、やって来た。春が近づき、砦の仕事は一息ついたという。
トリュフ(仮)を見て、黒髪男はきっぱり言った。
「これはトリュフだな。良い匂いだ」
黒髪男は即答出来るほどトリュフを食べているらしい。
ちなみにおすすめのメニューはと聞くと、「なんでも旨かったぞ」と答えられた。
なんでも旨いってなんだ?
と思ったが、黒髪男曰く、パンにも合うし、パスタにも合う、肉料理にも合うし、チーズにも合う、意外なところでジャガイモ料理にも合う。と確かにそれは「なんでも旨い」と言って良いだろう。
中でも「一番好きなのはオムレツ」というので、急遽、ノア達も呼び、オムレツの上にスライスしたトリュフを乗せて皆で食べた。
オムレツの熱で温められたトリュフは一段とふくよかな薫りを辺りに漂わせる。
ごく普通のオムレツだが、トリュフが乗るだけで、こんなにも芳醇な薫りと風味に変わるのかと驚いた。実に美味しかった。
オムレツを食べ終わると、黒髪男は「土産だ」と私に石のようなものをくれた。
黒髪男は片手で軽々と持っていたが、私では両手にも余るような大きさと重さだった。
私はそれを「どうもありがとうございます」と何気なく受け取ったが、正体に気付いてハッと息を呑んだ。
「……これは魔水晶ですか?」
「そうだ、良く分かったな」
「こんなに上質なものを見たのは初めてです」
一見すると青みを帯びた水晶のようだが、ただの水晶ではない。
魔水晶というダンジョンの奥でしか産出されない魔石の一種で、かなり稀少なものだ。
私はあわてて黒髪男に突っ返した。
「こんなものを頂くわけにはいきません」
「君のために取ってきた。綺麗だと思うが……」
黒髪男は困ったように眉を寄せた。
「そりゃ綺麗ですが、おいそれといただけるものではありませんよ」
「今の君にこそ必要なものだ。受け取って欲しい。この前みたいなことはごめんだ」
黒髪男はいつになく強い調子で私の手を押し返す。
彼の言う「この前みたいな」とは調理中、黒髪男の目の前でちょっと火傷をした時のことだ。
私は弱い回復魔法なら使える。
というか、魔法使いの八割がごく弱い回復魔法の適性がある。魔法使いが真っ先に覚える魔法の一つなのだ。
もっとも間口は広いが極めるのは難しいのが回復魔法だ。ちょっとした怪我や病気を治せる初級の回復魔法の使い手は多いが、中級以降が使える本職の『回復魔法師』は数少ない。
かつての私は回復魔法を多重掛けして擬似的な中級魔法とし、小さな欠損ぐらいなら回復させることが出来たが、今は昔である。
単なる回復魔法ですら今の私では魔力不足が恐ろしいので、使用を躊躇う。
黒髪男は火傷を見て、「早く治せ」と焦ったが、
「勿体ないのでいいです」
と言った。
こんなものは冷やしておけば治る。
「君は回復魔法を使えるんだろう?」
「まあ、使えますが、勿体ないので」
と再度断ると、男は、「じゃあ私がやる」と回復魔法を掛けてくれた。
……が、妙な気配がした。
通常の回復魔法は治ろうとする力、自己修復の速度を速めるようなものだ。だから回復魔法を掛けられると患部は温かく感じるものだが、黒髪男の手はヒンヤリとした冷気を纏っていた。
回復し終えると、黒髪男は「ふう」と疲れたようにため息を吐き、呟いた。
「回復魔法は苦手なんだ……」
魔水晶は癒やしの魔石だ。癒やしの魔法の増幅器になる。
魔力不足が深刻な私でも、これがあれば回復魔法を唱えることが出来る。
ここは町から離れていて医者も呼ぶのも一苦労だ。今は小さな子供も居る我が家に是非とも欲しいアイテムだった。
しかしだ。
装備品の一部として配給されたのみで、個人的に買おうと思ったこともないので良く分からないが、多分、買うとものすごく高い。
「ですが……」
「持っていてくれ」
もう一度そう言われて私は受け取ることにした。
「貴重なものをありがとうございます」
礼を言うと黒髪男ははにかむように笑った。
「いや」
その後、黒髪男は私に「何か困ったことはないか」と聞いてきた。
騎士道には弱き者には手を差し伸べるという規律がある。
野中の一軒家に住む独居女性は彼にとって庇護の対象らしく、気遣ってくれる。
「困ったこと……ああ、ありましたが、何とかなりました」
と答えると、黒髪男はややガッカリした様子だった。
「それは良かったが、何を困っていた?」
「ノアとミレイの学校のことです」
そろそろ春の足音が聞こえてきたが、ノア一家は無事だ。バンシーの死の予言は覆せたと言っていいだろう。
ノアの母親キャシーの体の具合も良くなって今はバリバリ針仕事をしている。
数年前父親が亡くなったノア一家はキャシーの刺繍やレース編みのお針子の仕事で生計を立てていたが、キャシーが体の具合を悪くして、困窮したらしい。
キャシーが元気になった今、ノア一家は再び町で家を借り生活することも可能なのだが、彼らは私とここで一緒に暮らしていきたいと言う。
私も彼らが居てくれたら、心強い。
だがノアは九歳、ミレイは六歳。二人とも学校に通う年齢だ。
ここから町までは五キロ。子供の足での登下校は難しい。
私が馬車で毎日彼らを送り迎え出来れば良いが、宿屋の仕事もあり、毎日は厳しい。
どうすればいいか悩んでいたが、町の学校の教師が家庭学習と学校の授業を組み合わせたカリキュラムがあると教えてくれた。
週に二度ほど登校し、後は家で学習する方法らしい。
希望すれば教科書を家に貸し出したり、写本させたりしてくれるそうだ。
ちなみに紙が高価なため、本もかなり高価で、教科書は持ち出し厳禁の学校の重要な備品だ。貸し出しは破格の対応である。
毎日学校に通うことが難しい子供向けに領主が新たに作った制度らしい。
これならノア達も教育を受けることが出来る。実にありがたい。
「これもひとえに領主様のお陰です」
「そ、そうか」
何故か、二人の騎士――特に黒髪男――が照れ出した。
領主である辺境伯はゴーラン騎士団というこの土地の騎士団の団長である。
上司を褒められるのは、悪い気分ではないのだろう。
「良かったな、二人とも」
茶髪男デニスがノアとミレイに声を掛けると、二人は口々に言った。
「うん」
「はい、これからもよろしくお願いします」
当初は大人の男性に怯える様子を見せた二人だが、今は黒髪男にも茶髪男にも馴染んでいる。
もう一つ、黒髪男が「おすすめだ」というトリュフの食べ方も試してみた。パンにチーズとスライスしたトリュフを乗せて少し炙って食べるというシンプルなものだがこれも美味しい。
もぐもぐとトリュフパンを食べながら、黒髪男が言った。
「ところで主人、トリュフを良く見つけられたな。ブタか犬を飼ったのか?」
「……? いいえ、飼っておりませんが」
黒髪男曰く、トリュフ狩りにはブタか犬を使うのが一般的らしい。
「ああ、トリュフは牛が見つけました」
「牛が?」
「うちの牛に言い寄ってきた牛の魔獣のような精霊がおりまして、彼がくれたのです」
「……魔獣のような精霊?」
「魔獣」という言葉に黒髪男は強く反応した。
辺境領では人里離れた山林が多い。大抵の魔物はダンジョンに生息するが、ダンジョンから這い出た一部の魔物はこうした場所に隠れ住まうため、辺境地は中央よりずっと魔物の脅威にさらされている。
だが話していくうちに黒髪男の目から警戒心は薄れていった。
ウルは涙ぐましいほどケーラに尽くしているのだ。
牛舎の出入りを許されたウルは、会えなかった時間を埋めるように、ケーラと一緒にいる。
牧草地ではまるでエスコートするようにケーラの側に寄り添い、寒い日は大きな体で風除けになり、冬でも枯れない冬芝を見つけてはケーラに食べさせている。
冬場の飼料用に作っておいた冬カブも、ウルは口にしない。全てをケーラに与えようとする。
愛である。
カブを植えたのは私とノアだが、ウルはその礼を述べるかのごとく、我々を見ると「ブモブモ」と鳴き、トリュフのありかまで導いてくれる。
「健気なものだな」
と黒髪男も感動しているようだ。
「はい、最初は黒くて厳ついのでつい危険視してしまいましたが、ケーラは良い伴侶をみつけたようです」
と言うと、黒髪男は感慨深げに呟いた。
「そうか、牛は黒いのか……」
黒髪男の髪は黒い。体色が同じ者同士親近感が芽生えたようだ。
「ところで、主人は未婚だな」と彼は唐突に言った。
「はい、独り身ですよ」
その言葉に私は少し、動揺した。
宿屋をやっていると、よく聞かれる質問である。しかし黒髪男にそれを問われたのは初めてだった。
通りすがりの旅人と、ここに住む土地の者に問われてもどうとも思わない。
だが黒髪男達は、騎士だ。
彼らは私の前歴を探り出すことが出来る。今となっては別段彼らに知られたところで不具合があるわけではない。だが――。
引退を余儀なくされた過去は、未だに私の心をじくじくと痛ませる。
「そうか、私も独身だ」
と黒髪男は言った。
私も素性を隠したかったが、それは黒髪男も同じだ。黒髪男は自分を「騎士」と名乗ったが、それ以上詳しい話はしなかった。
我々は暗黙の了解として、素性に関する話題を避けていた。
なのにどういう心境の変化か、矢継ぎ早に聞かれた。
「年齢は?」
「二十七歳です」
「奇遇だな。私も二十七歳だ」
「……そうですか」
同じ年なのは少々意外だ。
漠然と自分より年上だと思っていたからだ。
王宮魔法騎士は貴族のお坊ちゃんが多く、歳よりも幼く見える者が多い。
黒髪男は彼らと比べると、三十歳以上のベテラン騎士にしか出せない風格がある。
黒髪男は少し歯切れが悪い口調で尋ねてきた。
「主人は、婚約者はいたのだろうか? あるいは王都に想い人を残してきたか?」
「いえ、そういう相手はさっぱり……」
言っててむなしくなった。
いや、私は職務にとても忠実な魔法騎士だったのだと思おう。
「そうか、私も婚約者はいない」
と答える黒髪男は何故か得意気だった。
「はあ……」
これは結構珍しい。騎士は大抵結婚が早いのだ。
二十七歳にもなって結婚していないとどこかおかしいと思われるくらい結婚率は高い。
もっとも男性の適齢期は三十代半ばまで。貴族階級では財や地位を成してから結婚相手を選ぶ者もいる。
黒髪男はそちら側なのかも知れない。
一方で女性の二十七歳はというと、完全なる行き遅れ。
そろそろ後妻も倦厭される年齢である。
しかし我々はなんでこんな話をしているのだろうか?
側で聞いている茶髪男もキャシーも引いているではないか。
ノアとミレイは話に飽きて遊びに行ってしまったのがせめてもの救いだ。
「ところで厳つい男はどう思う?」
と黒髪男はさらに意味の分からない質問をして来た。
「どう……と言われても」
私は黒髪男を見上げた。
ここにきて驚いたのは、ゴーラン騎士団の騎士達の逞しさだ。
彼らは王都で私が接していた宮廷付きの騎士達より遙かに大柄でガタイが良い。鍛え上げ方が違うのだろう。
眼前の黒髪男も大柄で筋肉質な男だ。
王宮騎士が所属する騎士団マルアム・セントラルは、国名であるマルアムを冠した騎士団で、国内では最も上位の騎士団に位置し、稀少な魔法騎士を数多く抱えたこの騎士団は国内最強と誉れ高い。
そのため、セントラルの騎士達は地方騎士団を下に見ていたが、ここに来て私は自分が、「随分と世間知らずだったな」と反省した。
ここには砦の兵達も立ち寄る。
ゴーラン騎士団の騎士達はセントラルの騎士達に比べ平民出身も多く、物腰は決して洗練されてはいなかったが、総じて身体能力が高く、特に即応能力に優れている。
魔法騎士が少ないからといって、侮ることは出来ない相手だ。
彼らの鋼鉄のような肉体は、鍛錬と経験の証左である。
黒髪男の問いには、
「……鍛えてないよりは鍛えていた方がいいんじゃないでしょうか」
と答えた。
「そ、そうか」
と気が抜けたようなそれでいてほっとしたような返事が返ってきた。