08.マシュマロと焼き林檎2
昼食ともろもろの準備をしにキッチンに戻ると、
「主人」
と声を掛けられる。
「!?」
昼とはいえ明かりに乏しいキッチンに立っていたのは黒髪男である。全然気配がなかったのでめちゃくちゃ驚いた。
「ああ、お客さん、どうしましたか?」
黒髪男は食堂を気にしながら小声で尋ねてきた。
「彼らはここで食事をしていくのか?」
「はい、そのようで」
「……私はここにいていいか? 部屋でもいいんだが、一人だと退屈でな」
「そりゃ、構いませんよ」
――ですが彼ら、同じゴーラン騎士団の騎士なんじゃないですか?
という一言は口に出す前に飲み込んだ。
黒髪男は黒いサーコートに揃いのスラックスを着ている。サーコートは騎士服とも呼ばれる上着で、騎士団の制服によく採用される。
とはいえ馬に乗るには最適なデザインなので騎士に限らず旅人もよく着る服だ。
ゴーラン騎士団の制服は黒のサーコートなんだが、黒髪男のそれは良く似ているが実は少し違いがある。
彼は通常団員が装備するゴーラン騎士団の象徴である剣と盾の紋章が入った革製の紋章を付けていない。
その他所属を表す徽章も付けていない。
黒髪男は実は彼の身分を示すようなものを何も持っていないのだ。
彼の話す内容は明らかにゴーラン騎士団内部の人間のものだし、国境を守るゴーラン騎士団がよその騎士がうろうろするのを許すわけはないので、黒髪男がゴーラン騎士団の人間であるのは間違いないのだが。
私はチラリと黒髪男を見て思う。
この人、一般の騎士っぽくないんだな。
知ったら面倒そうなので聞かないが、おそらく彼は諜報に関わっている騎士だ。
『身内』である砦の騎士にも自分の姿を見せたがらないのも多分そのせいだ。
「こんなむさ苦しいところでよろしいのなら」
と言うと黒髪男は破顔した。
「ありがとう、助かる」
***
さて、料理の続きだ。
オニオングラタンスープはオーブンに入れて、温野菜サラダもオーブンに。後は出来上がるのを待つだけだ。
「リーディアさん、全員来ました」
若手騎士達が揃ったようだ。食堂から声が掛かる。
「はーい、料理が出来ましたよ」
料理をノアに運んでもらい、私はメインデッシュのベーコンときのこのクリームパスタを作る。
オリーブオイルでまずは角切りのベーコン、ベーコンが少々炒まったら、次にポルチーニ茸を炒め、そこに卵黄、生クリーム、すりおろしたチーズにコショウを混ぜたものを加え、茹で上がったパスタを絡めれば出来上がり。
大人も子供も皆好きな人気メニューなのだが、ポイントは卵黄をたくさん使うことで、我が家の鶏が良く卵を産んだ日の限定品である。
料理が終われば、アイスキャンディ作り。
といってもこちらも簡単だ。
牛乳に蜂蜜を加えて沸騰させたのを冷ましてアイスキャンディ用の容器に入れ、木の棒を指すだけ。
後は氷の魔石に魔力を流して冷やす作業だが、そこは騎士団の騎士達の担当だ。
アイスキャンディを見て何故か黒髪男が驚いた様子で呟いた。
「アイスキャンディはこの家で作っていたのか」
「何か?」
「いや、何でもない。このムラサキ色のものはなんだ? こっちのは随分白いな」
黒髪男は私が貯蔵庫から取り出した瓶を見て興味津々で尋ねてきた。
「これはマシュマロです。こっちの白いのはメレンゲクッキーです」
「マシュマロとメレンゲクッキー?」
「はい」
秋になると『こってり系』が人気になり、さっきのパスタもそうだが卵黄を使ったレシピが多くなり、卵白の方は余りがちになっていた。
そこで作ったのが、メレンゲクッキーとマシュマロである。
メレンゲクッキーは卵白を泡立て蜂蜜を入れてツノが立つまでまた泡立てる。そこにアーモンド粉を加えて混ぜ合わせたものを絞り袋に入れ、オイルを塗った天板に搾る。
天板を100度のオーブンで一時間焼いたら出来上がりだ。
卵白で作ると真っ白なクッキーが出来上がる。
普段食べるクッキーとはまた違う、口の中で溶けるような淡い食感だ。
「変わった菓子だな……」
黒髪男は興味をそそられたようだ。
「一つ、食べてもいいか?」
と聞かれたのでマシュマロとメレンゲクッキーの両方を一つずつやった。
「どうぞ」
「どちらも美味しいが、こちらは面白い味わいだな。これは材料はなんだ?」
と彼はマシュマロを指さす。
「ゼラチンと卵白をあわせたものです。甘みは蜂蜜と糖蜜とブラックベリーのジャムで付けています」
ブラックベリーは濃紫色なので、それで作ったマシュマロは紫色に染まっている。
「ゼラチン?」
「はい」
甘味料は必要だが、余り物を使っているので割合安価に作れる。
たくさん食べたい若手騎士達にはうってつけのお菓子だ。
黒髪男は詳しく聞きたそうだったが、お菓子の準備が整ってしまった。
若手騎士達にマシュマロとメレンゲクッキーが詰まった大瓶を二つとアイスキャンディのボックスを渡す。
一息ついたところでノアに食事を促す。
「ノア、キャシーさん達のところにお昼を持っていってくれ。君も一緒に食べておいで」
今日はまだキャシーが本調子ではないので、三人自室で取ってもらうことにする。
そうこうしているうちに客が来てその準備。
気づいたら一時間経っていたが、黒髪男はまだキッチンにいた。
「ああ、すみません」
食事はおろか、飲み物一つ出さずに客を放置してしまった。
私はあわてて謝った。
「いや、本も読んでいたし、退屈しなかった」
と彼は読んでいた本を閉じた。
彼が読んでいたのはこの辺りの風土記で、特に料理についてよく書かれている。お気に入りの一冊なので、キッチンに置いているのだ。
「私はこの土地で生まれ育ったが、案外知らないことも多くて面白かった」
「ゴーランは広いですからね。さてとお待たせしました。お食事をご用意します。食堂へどうぞ」
「それなんだが……君も食べるんだろう?」
「はあ、キッチンで、ですが」
「キッチンでいいから一緒に食べたい」
「それでいいなら私は助かりますが」
食堂に持って行く手間が省けてありがたいが、本当にいいのか?
「ああ、一人だとつまらないからな」
「そうですね」
宿屋を開く前は、好きな料理を作って、好きなだけ食べて。
それはそれで楽しかったが、時折寂しくもあった。
気持ちは分かる。
「ではご一緒します。食事中に席を立つこともありますが、ご容赦を」
「ああ、気にしない」
***
私達はキッチンで昼食を取った。
といっても二人だけではない。ブラウニーが四匹ともやって来て、
「仕事をするから何かくれ」
とねだってくる。
「じゃあ、食べ終わったら食事の後片付けを頼むよ。食堂の床やテーブルも汚れていたら拭いてくれ」
警戒心の強いブラウニー達だが、黒髪男の前には不思議とよく姿を見せる。
話題はさっきの続き――ゼラチンである。
ゼラチンというのは、牛や豚、魚の皮や骨からとれる。
「用はゼリーの材料です。テリーヌもこのゼラチンの作用で固まります」
「ああ、それなら分かる。だかさっきのマシュマロは肉や魚の匂いはしなかった」
「それはどうもありがとうございます。きちんと下処理出来た証です」
うちのゼラチンは主に豚皮から作っている。
肉屋で豚や牛の肉を買うとたまに皮や骨がついてくる。その皮が原材料だ。
動物の皮はなめして『革』となり、様々な革製品に加工される。
豚や牛の皮も革製品の材料の一つだが、皮を『革』になめす作業は知識が必要なため、革職人や猟師など専門職の仕事だ。
この辺りでは鹿やダンジョンの魔獣の皮も扱っており、それらの皮の処理が優先され、牛豚は皮を取らずに解体されることがあるのだ。
そういう皮付きの肉はどうするかというと、皮ごと食べる。
皮は焼くとパリッとなって美味しい。
だが皮を使わない料理もあって、そういう時は皮だけ煮てゼラチンを取る。
「ふうん」
興味をそそられた様子なので食事の後、私は黒髪男に言った。
「良かったらゼラチンを作るところを見てみますか?」
ちょうど豚皮付きの肉があるのだ。