01.退役魔法騎士は辺境で宿屋を営業中1
最後に一度だけ。
大門をくぐり抜けた私は、万感の思いで王城を振り返った。
己で決めた退役だったが、見習いの頃から数えれば十四年の長きに勤めた職場である。
心のどこかで未練があったらしい。
「リーディア」
振り返った先には、ここにいてはならぬ方のお姿があった。
「フィリップ様……」
礼は執らぬ。
今もここでは大勢の人々が行き交っている。彼らにこの方が誰か、気付かれてはいけない。
彼も一応変装をなさっておられた。どこからどうみても育ちの良い貴族のお坊ちゃまだが、王子の装束ではない。
フィリップ様は私の側に駆け寄ってくる。
「やはり行くのか」
憂いを含んだ悲しげな声で彼は呟いた。
私は馬に乗ったまま、なれど深く頭を下げる。
「はい。お見送り頂き、幸甚の至りでございます」
とてつもなく高貴な身分であるこの方が、別れを惜しんで下さるのは騎士の誉れであるが、正直に言ってよければ早く城に戻って欲しい。
王城の大門は警護にとっては鬼門である。人通りが多い上に死角がそこら中にある。
数々の暗殺事件の舞台となった場所だ。
「私は、そなたにここに残って欲しかった」
殿下は幾度となく私をお引き留め下さったが、私はこれ以外の答えは持たぬ。
「光栄に存じます。ですが、これが私の望みでございます。お暇を頂戴致します」
「殿下、もうお戻りを」
背後の騎士がそっとフィリップ様にお声掛けし、
「ああ」
とフィリップ様は応じる。
「ご健勝をお祈り申し上げます、フィリップ様」
それが私と王太子殿下の別れであった。
***
王都を出た私は西へと馬を走らせた。
私の愛馬オリビアがそちらに顔を向けた。それだけの理由だった。
七日目に辿り着いた町に、私は居を構えることにした。
これより先に行くと国境を超えてしまう。
元騎士である私が外国に出る時は許可がいる。
手続きが出来るのは、今は遙か遠い王都の騎士団本部だけだ。出て行ったばかりの王都に再び戻るのはごめんだった。
辺境といってもここは国境から十分に離れているので、物騒なことはない。一帯は田畑が広がり森深い田舎町といった具合だ。
この辺りはゴーラン辺境伯の領地だ。
フースという名のその町はほどよい活気に包まれて、居心地良く暮らせるように思えた。
私は役場に行き、条件に合う家の斡旋を頼んだ。
土地や建物の売買、それに関する証文作成は彼らの仕事の一つである。
私が求めたのは、静かな場所にあり畑が付いた一軒家だ。
役場の青年は私の条件に合う家を何件か紹介してくれ、最終的に私が選んだのは、町から五キロほど離れた今は無人となった農家だ。
夫が亡くなり寡婦になった老婦人が家を手放すことに決め、無人になったのはつい一月前だった。
家はどこも修繕の必要がなく、畑は直前まで老婦人が耕していたそうなので、土は良い状態で残っているという。私にとっては理想の物件だ。
私は土地の代金と、ついでに領主に納める今年分の税金も支払った。
税金は金でも払えるが、豚だの蜂蜜などといった物納も可能だそうだ。
家屋に畑に近隣の山付きと想定の十倍ぐらい広い敷地だが、不便な場所にあるため代金は思ったより安くすんだ。
これまでの蓄えがあるので私の懐具合は悪くないが、人生何があるか分からない。予算内で収まったのはありがたかった。
何せ私は当分働かないつもりなのだ。
証文を交わした私に役場の青年が心配そうな視線をおくって寄越す。
「この辺りは町から離れると少々危険です。本当にお一人で暮らされるのですか?」
女性の一人暮らしとなる私を案じての言葉だった。
元騎士の身分は伝えていない。それは振り捨ててきた過去である。
調べればすぐに明らかになることだが、私は前職を自分から話すつもりはなかった。
女性騎士は鍛えても男性騎士ほど筋肉が付かない。怪我が治るまでは療養に努めていたので、私の体は衰え、もう騎士らしいところといえば一般女性に比べて少し背が高い程度だ。
「少しだけ魔法が使えるんだ」
青年は感心したように私を見る。
「魔法使い様でしたか」
「そんな大したものではない。だが身を守るくらいのことは出来る」
怪我をしてそれまでやっていた商売を引退し、ここには晴耕雨読の生活を求めてやって来たと青年にはそれだけ伝えた。
青年は私の前職を魔法使いと誤認したかも知れないが、当たらずとも遠からずといったところだ。嘘はついていない。
「しかし、あそこは何もありませんよ」
「何もないところがいいんだ。引退して、静かに暮らしたいと思ってね」
私は少々恥じらいながら、それを口にした。
「……自分で作った野菜で料理を作ろうと思っている」
「そうでしたか。ならばあそこは打って付けでしょう」
青年にとっては良くある田舎暮らしの理由だろう。しかし『リーディア・ヴェネスカ』を知る人間にとっては度肝を抜くような発言だ。
何より、本人が一番戸惑っている。
私の照れに気付いた様子もなく彼は言った。
「困ったことがあればいつでもお越し下さい」
「ご親切にどうもありがとう」
私は礼を言い、彼と別れた。
次に私は町の市場に向かい、当面必要なものを買い込んだ。
市場は思ったより賑わっている。役場の青年によると、フースの町は近くにダンジョンがあるそうだ。
冒険者とその家族が住み、ダンジョンから採取される様々な物品を求めて、商人が立ち寄る、この辺りの貿易の拠点らしい。そのため珍しいものが手に入りやすいそうだ。
まず行ったのは、料理器具と食材の店だ。
それから鶏を数羽とミルヒィ種の牛を一頭手に入れた。
ミルヒィ種は魔牛と牛の交雑種だ。
ミルヒィ種は丈夫で、子を産まなくても乳が出る。加えてその乳は質が良いことで知られている。
良いことずくめに思えるが、気性が荒いため、飼うには従魔契約を交わさねばならない。
要するに魔力がない相手には懐かないので、魔力が少ない庶民には扱いにくい。さらに繁殖力があまり高くない点も、家畜にするには不向きだ。
どちらも私にとっては大したデメリットではなかったので、私はミルヒィ種の牛を買い求め、その美しい茶色と白のぶち模様の牛をテイムした。
最後に訪れた店で、私は荷馬車を手に入れた。
農家では一般的に使われている一頭立ての荷物運搬用の荷馬車である。値段は金貨八枚。
なかなか高価な買い物だが、王都で買えば多分この倍はする。
ここゴーラン領は林業が盛んで、高度な木工製品を作る職工が大勢いる。だからこんなに安く買えるのだ。
買った荷馬車いっぱいの荷物と鶏と牛と共に私とオリビアは新居に向かった。
家は五キロほど街道を山に向かって進んだ場所にあった。
「……思ったより立派な家だな」
誰も側に居なかったので、私はオリビアに感想を漏らした。
オリビアは「ぶるる」と同意するように鳴いてくれた。
かつての主は手広くやっていたらしい。
二階建ての大きな母屋に納屋、さらに馬小屋と牛小屋、鶏小屋、奥にはサイロまである。
畑も広々としている。
こんな家にはきっと先住者がいるはずだ。
屋敷妖精が。