【2】
「陽奈、忘れ物ない? ──まあ何かあってもママがまた届けるけど、すぐには無理だからね!」
「もう何回もチェックしたから! もし忘れてても、東京で何でも買えるよ」
陽奈は高校を卒業して、四月から東京の大学に通うことになったのだ。
東京から愛知県に転居して、そこで小学五年生の夏休み明けから高校まで過ごした。
本当は嫌だった。来たくなどなかった。知らない街。
けれど、実際に暮らしたこの土地に悪い想い出はない。陽奈にとっては「第二の故郷」とさえ呼べる場所になった。
「陽奈ちゃん、休みには『帰って』来るよね? 連絡してよ、絶対会おう!」
「夏休みになるかもだけど決まったら知らせる! みんな地元の大学だもんね〜」
こちらでできた友人も、今の陽奈にとって大切な存在だ。なんの希望もなかった新生活を彩ってくれた彼女たち。
両親は今後もこの街で生きていくのだろう。
その覚悟があるからこそ、最初に入った社宅を出て今のこの家を買ったのだろうから。
だから陽奈にとっての実家は今もこれからもここ愛知なのだ。
受験に発表の合間を縫って、母と二人東京での住居も探した。無事合格し部屋の正式な契約も済ませて、もう明日から一人暮らしが始まる。
狭いワンルームマンションには、大層な家具など必要ない。ベッドと机、本棚は家電類と共に向こうで買って配達してもらうことになっている。
この家から持って行くのは、着替えや寝具、本に勉強道具等「小物」ばかりだ。
引越し業者を頼むと高く付くため、宅配便を利用することにした。
リビングルームに並んだ大きな段ボールは、このあと集荷に来てもらうことになっている。
荷物を送り出したら、明日の朝には陽奈自身も東京に向けて出発する予定だ。
そして午後到着指定にした家具・家電や宅配便を新居で受け取って、新たな生活が始まる。
──受験や何かで何度も行ってるから、久しぶりの東京、ってわけじゃないけど。でも「住む」のはもう八年ぶりくらいになるんだよね。
転校して以来、ずっと細く長く連絡を取り続けている数人の友人とも、また会える。
本当に会いたかった「彼」とは、あの日別れたきりだ。
住所を知らせることもできないまま、終業式にペンを押し付けたまま。
もうすっかり忘れられているだろう。陽奈にしても、この八年近く常に彼のことを考えていたとは言えない。
かと言って、決して忘れ去ったわけではなかった。淡く苦い、──しかし温かで甘い、初恋の記憶。
会うこともあるだろうか。
今どこでどうしているかもしれない、……東京にいるのかさえ定かではない、彼と。
あの頃の幼かった自分たちには、「距離」が絶望するほどに大きかった。いや、今も本質的には変わらないのかもしれない。
久しぶりではあっても、生まれて十年を過ごした土地。とはいえ新生活の始まりには、期待と同じくらい不安もあった。
◇ ◇ ◇
《陽奈ちゃん、今案内送ったけど今度小学校の同窓会があるの。五月の連休に。来るよね?》
まだ馴染んだとは言えない、東京の自分の部屋で受け取ったメッセージ。
転校してからもずっとやり取りが続いている一人、有香の誘いに動揺する。
《え、行きたいけど、……いいのかな?》
もちろん行きたかった。しかし卒業もしていない陽奈が顔を出していい場だろうか、と迷ってしまう。
《いいに決まってんじゃーん! 出欠はこれからだけど、あたしが直接聞いた限りでは結構集まりそうな感じよ。》
《奈々子も来るって! まどかみたいに遠くの大学行った子なんかは無理だけどさあ。》
明るく不安を消してくれる有香のメッセージに、自然笑みが溢れた。
《ありがとう。じゃあ行くわ。》
念の為にメールで送られて来た「同窓会の案内」に目を通し、不都合がないことを確認して承諾の返事を送った。
小学校の同窓会。
彼、は来るだろうか。
もし来たとしても、向こうが陽奈を覚えているか、……気にしているかもわからない。
それでも、こうして東京に「戻った」からこそ巡って来た機会には違いなかった。
同窓会当日。
幹事を引き受けている有香と、もう一人付き合いの続いている友人である奈々子と、待ち合わせて訪れた会場の店。
くじ引きで割り当てられた席につき、何も聞かされていなかったようで突然の懐かしい顔の登場に驚く元クラスメイトと挨拶を交わす。
「三倉さん、久しぶり」
そこへ背後から掛けられた低い声。
あの頃とは違う声の主は、振り向いて顔を見るまでまったく誰かも思い当たらなかった。
……見てすぐにわかった。「彼」だ。時間も距離も一気に飛び越えたかのような、不思議な感覚。
「わぁ、小野寺くん」
上手くさり気なさを装えているだろうか。
とりあえず声が上擦ったりはしなかった。表情もおそらくは自然、なはず。
「遠く離れた」ことで、すべてが終わった気になっていた。諦めていた。
けれど、打ち合わせも何もしてないのに本当に会えた。こんなに早く。
──これも運命なの?
~END~