52...じゃあどこから逃げてきたの?
翌朝。オレとギョーセーは王都内にある湖で小舟に乗っていた。人目のあるところでは話せない内容の、積もり積もった話があるから。怪しくないように釣り糸でもぽちょんと垂らしながら。
ちなみにジウはまだ本調子じゃないために今日は共同住居で過ごすらしい。
ビレイはあの後、夜遅くに帰ってきた。しかしいつも通りに起きて「おはよう。今日も寝癖酷いわよ」と変わらない挨拶を告げてくれる。朝の会話も取り立てて補足する点もないが、「昨日はありがと。少し落ち着いたわ」と眉尻を下げて笑っていたから何とか自分の中で折り合いをつけようとしているのだろう。
「人間の生活はどうですか?」
「果てしなく不便で面倒極まりないね」
ぷかぷか。波のない湖面に浮かんだ小舟の上で向かい合ったオレたちは、世間話の軽さで紡ぐ。釣り糸はぴくりとも動かない。
「魔族は滅ぶ運命であとは人間だけなのに、あんまり平和じゃないみたいだし。なんだか想像と違った」
日除けに被った帽子の下で、そっとまつ毛を下ろす。水面で照り返された日光が眩しい。
「そうですね」
返事をするギョーセーの桶の中身もまた空っぽ。オレたちに釣りの才能はない。
「ねえ。オレ結構いろいろ情報持ってきててさぁ。聞いてよ」
「ええ、そのつもりです」
オレは人間に化けてからあったことの全てをギョーセーに話した。ヨカの親の話、ジウと向こう側の世界に行くまでの話、ビレイとの任務の話、カンライたちとの冒険の話、ヨギリと勇者の話、元魔族であるジュソーの話……。
この短期間でオレの人生には既にたくさんの物語が詰め込まれているもんだから、単純にギョーセーも驚いていた。
そうして釣りの所作はそのままに湖面を見つめて考え込んでいた。オレに無かった気付きが、ギョーセーにはあるかもしれない。
「何か分かること、ある?」
「……とりあえず、あなたは出逢いに恵まれています」
思ってもない切り口に瞳がぱちくりと素っ頓狂に瞬いた。
「そうなの?」
「あなたの飾らない内面がそうさせているのでしょう」
「内面? ……内面なんて魔族の頃から変わってないよ。でも、きっと、魔族として出会っていたらこんな風に話せてなかった。結局大事なのは外面なんじゃない?」
「人間同士でも争う、さっき話していたじゃないですか。確かに外面は判断材料の一部を担っていますが、数多の人間から目の前の抜きん出た個になるには、その個の内面が重要なんでしょう」
「ふうん。……けどやっぱり、人間じゃなかったらこうはならなかった」
「そうですね。種族の偏見が蔓延った今、それは前提条件かもしれません」
種族が魔族。それだけでオレとみんなの間には大きな溝が生まれる。……ジウはどうだろう。出会ってしまった今となっては、魔族と知っても手を差し伸べてくれたけど。魔族として出会っていても変わらなかったかな……ジウは変わらなそう。
「それにしても、僕たち以外にも元魔族がいたなんて……」
ギョーセーが釣り糸を湖面に跳ねさせながら呟く。オレは同意するべく顔を上げた。
「びっくりだよね。ジュソー、知ってる?」
「見たことはあります。噂を聞いたことも。青い髪をした魔族ですよね。一つの村を一瞬で滅ぼしたことがあるとかどうとか……本当かは知りませんが」
「え、待って。青い髪? それ違うジュソーじゃない? オレの知ってるジュソーは赤い髪をしてたよ」
毛根からしっかり赤だった。染めたようには思えない。でもあのジュソーなら村くらい滅ぼしてそう。これは偏見? 感想? 確か、迫害されてたやつを助けた、みたいな話をしていたし……。そこでオレは何かに思い至りそうになるも、ギョーセーの声が割って入った。
「それは……もしかすると、人間に変わる際に髪の色が変わった……?」
「あ、……そうなのかな。だとすると、消えかけてた魔族。青い髪の魔族に生きてくれと伝えてほしいって言ってた。あれは目の前のジュソーって人間が、魔族のジュソーかもって気付いたんだ」
魔族時代の知り合いだった? 思えばジュソーはあの場で最もすぐに敵に食ってかかりそうでありながら、どうするのかと一旦場を預けていた。まあだからといって情けも掛けようとしていなかったけど。
「魔族と人間の転換薬……元の魔族の身体から大幅に変わるのかもしれませんね」
「ギョーセーも縮んじゃったし」
「ええ。あなたも容姿が変わっています」
ギョーセーの髪色だけは変わらずに銀色を成していたから、魔族から人間に変わるってこういうものかと別段気にしていなかった。こう、不規則で無作為な部分もあるんだって。種族がまるっと変わるわけだから。そもそも魔族はもとより見た目なんて気にしないし。
だけど冷静に考えてみると、ギョーセーは子どもの身体になっている。魔族の時のオレももう少し手や顔付きが硬そうで骨ばった感じだった。顔付きも柔らかめに、結構変わった気がする。髪だって今よりも短くて、色ももう少し濃かったはず。身長も少し縮んだ?
「どんな基準で変わってるんだろう」
そもそも基準があるのか。法則もなくただ偶然にその容姿に変わるのか。薬の成分が分からないことには予測もつけられない。いや、成分が分かったとしてオレたちにこの現象を理解できるのだろうか。
ギョーセーもこの薬に関しては現時点で考察しても仕方ないと判断したらしく、話題は元魔族ジュソーに戻る。
「ジュソーは……何故ここにいるのでしょうか」
「それ、聞けなかったんだよね。てめーも逃げてきたのかみたいなこと言ってたから……魔族の土地から逃げてきたんじゃない?」
適当な予想を口にしながら釣り糸をあげてみる。餌だけ取られていて思わず半目になった。
「話を聞く限りでは、ジュソーが魔族を嫌っているようには思えません。嫌われている様子もまるでない」
「じゃあどこから逃げてきたの?」
針に餌を引っ掛けたあと、釣り糸と問いを同時に投げる。
釣竿を握り込んだギョーセーが考え込むように答えた。
「魔族じゃないなら……人間から逃げた、と考えるべきでしょう」
「人間から? 人間に捕まって……恨みや鬱憤の捌け口にでもされてた?」
「いやに具体的ですね……。それをされてた可能性まで否定できませんが、ジュソーは人間になっていたのでしょう?」
「うん、そう。その理由を考えるべき? ……ジュソーの考えを聞く限りだと、自ら人間になろうとした、とは考えにくいし……。見張りも付いてた。さらに言えば多分、あの感じだとジュソーも身体の中に鉱石を仕込まれてそうだから……人間になった……ううん、人間にされた?」
「恐らく、実験材料でしょうね。人間と魔族の転換薬の。よくよく考えれば、あり得る話です。薬を試さずに表に出すはずがない」
オレは思わずごきゅりと喉を上下させた。
薬の完成品。があるということは、完成に至るまでの過程があるということ。つまり、その薬を試してみなければならないということ。
指先が釣竿の振動を捉えるけれど、オレの意識はすでに話題の渦中に置かれている。
「実験……ねえ、それってさぁ……。じゃあ、魔族だけじゃなくて……」
「魔族も、人間も、実験対象とされていたのでしょう。天のあれに生贄を差し出すくらいです。そのくらいしていてもおかしくはない。転換薬を飲むのは、きっと魔王を殺せるくらいの実力者ばかりでしょうから。とても無駄死にはさせられません」
ギョーセーが淡々とした声音で世界の裏側を紡ぐ。
人間の死を命じる人間。何も知らずに今を生きる人間。魔族と戦い名誉の死を遂げた人間。誰も知らないところで、人類のために命を捧げた人間。
命の価値はいつ決まる? 生まれた瞬間? 死んだ時? その運命に天と地ほどの差があって、等しいとは思えない。




