5.休み方がわからない
隣国へ来て一週間が経過した。
「……疲れたぁ」
私は自室のベッドで倒れこむ。
ここ数日、私に自由はなかった。
予想はしていたけど手続きやらあいさつ回りやら、披露宴もあって毎日が忙しくて。
宮廷で働いていた頃と同じか、それ以上に怒涛のような日々を送っていた。
ただの仕事じゃなくて、王族の妻として振る舞うのがこれほど大変だったとは……。
「思わなかったか?」
「――あ、殿下!」
慌てて立ち上がる。
はしたない姿を見られてしまった。
「気にするな。ここはお前の部屋だからな。自由にしていろ」
「は、はい……」
だったら勝手に入ってこないでほしいけど……。
まだ知り合って間もないけど、殿下のことが少しずつ分かってきた。
彼は王族とは思えないほど自由な人だ。
偉い人なのに、そう感じさせないように振る舞っている。
だから多くの人から慕われている。
貴族はもちろん、国民にも。
今さらながら、凄い人の妻になった……。
「忙しいのも今日までだ。明日からは特に予定はない。好きにダラダラしているといい」
「は、はぁ……」
「ああそうだ。一応聞いておくが、大臣からお前の付与術のことで相談を受けていてな。可能ならこっちでも多少仕事をしてほしいそうなんだが、どうする?」
「それは、私が決めていいんですか?」
「もちろんだ。お前はもう、俺の妻だ。決定権はお前にある」
仕事を受けるかどうか、自分で決められる?
そんな夢みたいなことがあるの?
「どうする?」
「受けます。何もしていないのも申し訳ないので」
「そう言うと思った。まじめな奴だなお前は。やりすぎないように注意しておけ」
「はい」
そう言って私に依頼内容の書かれた紙を手渡し、殿下は部屋を去っていった。
私と違って殿下はこれからも忙しい。
この後も会議があるそうだ。
「えっと……結構多い」
でも、これなら一日で終わって余裕もある。
宮廷で要求されていた量に比べたら全然大丈夫そうだ。
明日から……。
「うーん……今日からやっておこうかな」
どうせこの後の予定はないし。
殿下も頑張っているのに、私だけ寝ているのもなんだか申し訳ない。
翌日。
昼頃になって、私は殿下の執務室を訪ねた。
報告のために。
「殿下、ただいまよろしいでしょうか」
「いいぞ、どうした?」
「昨日いただいた依頼が終わったので報告に来ました」
「……な、もう終わったのか?」
殿下は酷く驚かれた。
嘘だと疑われているのかと思って、私は慌てて言う。
「ちゃんと終わっていますよ。倉庫にあるので見ますか?」
「いやいい。さすがに嘘だとは思っていないが……早すぎないか? 大臣からは十日後の遠征までにと言われていたんだが……」
「そうだったんですね。ですがあの量なら宮廷で受けていた頃よりずっと少ないので」
「なるほど……いや、ご苦労だったな」
「ありがとうございます。次はどうすればいいでしょう」
それは自然に出た言葉だった。
一つの仕事が終わったから、次もすぐに取り掛かろうと。
宮廷で習慣化していた仕事への姿勢が抜けていない。
殿下は呆れた顔でつぶやく。
「十日分の仕事は終わらせたんだ。あと九日は休んでもいいんだぞ?」
「さ、さすがにそこまで休むのは申し訳ないです」
「誰にだ? 俺はいいと言っている。お前はあれだな。働き過ぎて感覚がマヒしているのだろう」
そう言いながら彼は立ち上がり、私の隣に歩み寄る。
「よほど過酷な環境にいたんだな。思っていた以上に……」
「すみません……ですがその、今までちゃんと休んだことがなかったので、どうすればいいのかわからくて……」
「まぁ、頑張り屋は嫌いではない。ほどよく頑張って、しっかり休め。自分の身体も大切にするんだぞ?」
「ぇ……はい」
優しくささやかれ、彼の手が頬に触れる。
気遣われたことなんて今までなくて、どう反応していいのかわからない。
ただすごく、心が暖かくなって……。
ドクっと大きく心臓が動く。
これは政略結婚、私たちの間にあるのは利害で、それ以外はない。
けど……。
この選択は間違っていなかった。
そう思える気がして。
◇◇◇
同日、夜。
レイン王子が大臣に依頼完了を報告した。
「なんと、あの量をたった一日で!」
「ああ、向こうではもっと多い量を一人で熟していたそうだ」
「いやはや信じられません。私は正直なところ、あの量を十日は断られると思っておりました。私の知る限り、優秀な付与術師がなんとか終わる量だったのですが……」
「そうだったのか? あいつは余裕そうだったが……」
彼女が次の仕事さえすぐに要求してきたことを大臣に伝える。
大臣はさらに驚く。
「凄まじい速度ですな……あ、いやしかし大丈夫なのでしょうか? 付与術は効果が長く持続しない欠点がございます。十日に設定したのも作業が後ろに集中することを見越してだったわけで」
「ん? あいつが言うには二月は持つそうだぞ。ついでに他の付与も施しておいたという話だったから、あとで確認するといい」
「……は、はい。いえ、俄に信じがたいですが……それが事実なら殿下、あなたはとんでもないお方を妻に選ばれたのですね」
驚愕する大臣を見て、レインは冷静に分析する。
おそらく一般人が知っている付与術師のイメージから、フィリスが逸脱していることを。
かの宮廷の過酷な環境も、彼女だからこそ耐えられていたという事実。
過酷だったからこそ、磨かれた付与術師としての技能がある。
「ふ、ふふ……」
「殿下?」
「いやすまん、想像したら笑えてきたんだ」
「何をですか?」
「……あの国の今だ。彼女を失ったことは間違いなく大きな損失だっただろうからな」
「まさしく。今頃嘆いておるかもしれません」
天才というのは存在する。
どの分野にも、世界にも必ず。
しかし必ずしも、天才であることが知られているとは限らない。
彼女がそうであるように、環境のせいで埋もれてしまっていた才がある。
お宝でも掘り当てたように。
レインは大きな力を、価値あるものを手に入れた。
天才付与術師フィリス。
彼女がこれから成し遂げる偉業を……まだ誰も知らない。