18.戻りたいですか?
「フィリス、また次の依頼が来ているぞ」
「ありがとうございます。引き受けますね」
「まだ内容も言ってないんだが……」
「モーゲン大臣からの依頼ですよね? それならお受けしても大丈夫です。あの方はちゃんと私の生活のことも考えてくださっていますから」
いつもの茶会で殿下と二人、のんびり過ごしながら仕事の話をする。
モーゲン大臣からの依頼は、あれから定期的に来るようになった。
一度話をして、私の付与術を間近で見てもらったから、より信用して頂けたのだろう。
嬉しいことに騎士団からの評判も悪くない。
大臣や騎士団長は、私の生活を損なう仕事量は絶対に要求してこない。
また次もお願いしたいと言われたら、内容を聞くまでもなく頷ける。
「最近、少しずつ仕事が楽しいと思えるようになったんです」
「へぇ、前は違ったのか?」
「はい……お恥ずかしながら」
自分で選んだ仕事なのに、一度も楽しいなんて思えなかった。
余裕がなかったんだ。
仕事量の多さも理由の一つだけど、借金があったことも大きかった。
私が生活できるのは、借金を肩代わりしてもらったから。
一日も早く、少しでも早く恩を返さないといけない。
その危機感が、私の心を急かしていた。
今は、慌てる必要もない。
仮に仕事を断ったとしても、誰も私を責めたりしないだろうから。
「楽しんでいるなら止める必要もないな。じゃあ頼むぞ」
「はい。喜んで」
「感謝するよ。それじゃ俺はもう行く」
「もうですか?」
殿下が席を立つ。
お茶会は始まる時間は決まっているけど、終わりは決まっていない。
いつも一時間くらいはゆっくりしている。
最近は徐々に時間が短くなっていた。
今日は特に早い。
「すまないな。仕事が溜まっていて、すぐに戻らないと終わりそうにないんだ」
「そうなんですね……私もお手伝い出来たら」
「王子の仕事だ。他人に任せられるものじゃないし、そうするべきじゃない」
「――!」
ズキンと、胸が痛む。
どうして?
「気持ちだけ受け取っておくよ」
「はい。無理はなされないでくださいね」
「ああ」
去っていく後ろ姿を見つめながら、私は自分の胸に手を当てる。
どうしてショックを受けたのか。
考えて、すぐに答えはでた。
「他人……か」
その一言が悲しかった。
夫婦になっても、彼にとって私は他人でしかない。
少しずつ打ち解けているつもりだった。
心の距離も近づいている気がしていた。
だけど所詮、私たちの関係は……。
「形だけ、なのかな」
そう思うと、無性に悲しくなる。
わかっていたことじゃないか。
あの日、私たちは互いの利益のために手を取り合った。
利害の一致。
感情ではなく、勘定によって結ばれた縁。
好きだから、夫婦になった。
普通の関係とはそういうもので、私たちには縁遠い。
この先もずっと……。
「贅沢なのかな」
一つ先のことを思ってしまうんだ。
今が幸せだからこそ。
私は自分が思っているよりも、贅沢を求める性格だったらしい。
今よりも幸せな時間を、期待してしまうのだから。
◇◇◇
「此度の依頼も完璧にこなしていただきありがとうございます。騎士団の者たちも大満足しておりました」
「お役に立てたなら光栄です」
廊下を歩いている途中、偶然モーゲン大臣と出くわした。
軽い挨拶のつもりで話が始まって、大臣が私の仕事を褒めてくれた。
廊下の真ん中で少し恥ずかしいけど、褒められるのは嬉しい。
「また必要があれば依頼してください」
「ええ。フィリス様がこの国に来ていただいていいことばかりですね。フィリス様ほど優れた才能を持つ方もそういないでしょう」
「私はただ自分にできることをしているだけです」
「謙遜なされないでください。私も仕事柄、多くの者たちを見てきました。その中でもフィリス様は特別に優れた才をお持ちだ。しかも努力家で、その才をぐんと伸ばしていらっしゃる」
こんなにもベタ褒めしてもらえる機会は初めてで、恥ずかしさで反応に困る。
私としては当たり前の仕事をこなしただけだった。
宮廷では怒られてばかりいて、褒められることもなくて。
だからできて当然のことをしただけで、褒められることに戸惑いすらある。
果たしてどちらが普通なのか。
ただ一つハッキリしている事実は……。
褒められるほうが、次の仕事に取り組む姿勢も前向きになる。
「これだけの技術を持っているとなれば、さぞ困っているでしょうね。お隣の国も」
「それは……どうなんでしょう」
「おや、あまり居心地のよい場所ではなかったのですか?」
私が宮廷でどういう扱いを受けてきたか。
事情を完全に把握しているのは、この国でもレイン殿下ただ一人。
大臣は何も知らない。
だから、この質問にも悪意はない。
「そうですね」
「……ふと聞いてみたかったのですが、戻りたいとは思わないのですか?」
不意打ちの質問にびくっと身体が反応する。
「戻る……ですか?」
「ええ。こんな話、殿下の前ではできませんが、フィリス様はついこの間まで隣国で働いていらっしゃった。それが今、こうして生活が大きく変わっている。国には友人もいらしたでしょう。生まれ故郷なら思い入れもある。戻りたいと思っても不思議ではありませんので」
「私は……」
戻りたいなんて思ったことはない。
あの国には思い出がある。
けど、いい思い出よりも、辛かった思い出のほうが多かった。
そのほとんどが宮廷での思い出だ。
逆に言えば、宮廷時代を除けば、それほど悪くはなかったかもしれない。
両親がいて、幸せだった頃も確かにあった。
あの頃に……戻れるなら戻りたいと、思う時はある。
私の本物の家族は、もういない。
それでも、過ごした思い出は残っているから。