1.婚約破棄は突然に
書籍化・コミカライズが決定しました!
情報は追ってお知らせいたします。
テーブルには山積みになった書類。
ガラクタみたいに乱雑に箱に入れられた素材たち。
後ろを振り向けば、ずらっと並べられた武器や防具。
鉄と埃の香りにも慣れてしまうほど、私はこの場所に居続けている。
ガギギギギ――
古びた扉が悲鳴みたいな音を立てて開く。
姿を見せたのは、宮廷の仕事を管理している秘書さんだった。
メガネをくいっと持ち上げて、いつものように偉そうな顔で言う。
「フィリスさん、お願いしていた仕事は終わっていますか?」
「すみません。まだもう少しかかります」
素直に現状を報告する。
納品の予定は明日だから、まだ遅れているわけじゃない。
だけど秘書さんは決まって、大きなため息をこぼす。
「しっかりしてくださいよ。毎回言っているはずです。納期はあくまでギリギリのラインです。その期日までに終わればいいというものではありませんよ」
「……」
そんなこと言われても……。
と、心の中ではぼやく。
現実で口に出そうものなら、すぐさま反撃が返ってくる。
だから私は申し訳なさそうな顔で謝る。
「すみません。すぐに終わらせます」
「頼みましたよ。あまり遅いようなら陛下にご報告させていただきます。あなたの代わりなんて、いくらでもいるんですから」
「……はい」
秘書は扉を閉めて去っていく。
嘆きのような音を立てた扉が閉まり、再び一人になったところで。
「はぁ~」
私はすべてを吐き出すように盛大な溜息を洩らした。
全身の力を抜いてだらんとする。
テーブルに顔をつけて、やる気のない顔が鎧に反射して映っていた。
「納期がギリギリって……そもそも一人でやる量じゃないのに……」
この倉庫に保管されている物すべてが、私に任された仕事だった。
私は付与術師として宮廷で働いている。
もう三年になる。
十五歳で宮廷入りした私は注目されていた。
なぜなら私が過去初めて、付与術師として宮廷の役職に就いたからだ。
薬師、魔導具師、鍛冶師……。
宮廷で働く者たちの役職は多岐にわたる。
しかし付与術師はその中に含まれていなかった。
なぜなのか。
それは単に、必要なかったからだ。
付与術とはその名の通り、能力をものに与える力。
魔法の一種であり、付与する対象は人間から無機物まで様々。
多様性はあるものの、基本的には効果は一時的なものであり、強弱にも術者によってムラが生じてしまう。
所詮はその場しのぎの力であるとされ、元から特別な効果をもつ道具を作る魔導具師が重宝され、付与術師は求められていなかった。
一番の問題は、効果が永続ではないということにある。
だから私は頑張って修行して、効果時間の延長と効果そのものの強化に励んだ。
効果時間の問題さえ解決すれば、付与術は極めて便利な力だ。
きっと王宮でも認められる。
そして私は付与術の有用性を証明して、この国で初めての宮廷付与術師になった。
「……まではよかったんだけどなぁ……」
華々しい始まり。
誰もがうらやむような宮廷で仕事ができる。
と、思っていたらこの現状。
明らかに一人で熟せる量ではない。
騎士団の鎧や剣をすべて一人で任され、期日までに特定の付与を施して納品しなければならない。
騎士団の人数は全体で五万人。
そのうち王都にいる騎士たちは一万五千人を、私一人で担当していることになる。
誰が聞いても無茶苦茶だと思うはずだ。
でも、これが現実に起こっている。
私もなんとか仕事を効率化させて、いつもギリギリで納品している。
おかげで休む暇もない。
一日の大半を仕事にあて、休日出勤は当たり前。
睡眠時間は一日二時間ほど。
人間らしい生活は送れていないと自覚している。
「はぁ……辞めたい。でも……」
辞められない理由がある。
私はどうしても、お金が必要なんだ。
なぜなら私には――
トントントン。
扉をノックする音が聞こえてくる。
秘書さんじゃない。
あの人はノックもなしに平然と入ってくるようになったから。
「フィリス、いるかい? 僕だよ」
「――! どうぞ」
ちゃんと確認してから扉を開けてくれる。
私は埃をかぶった服を手でパンパンと払い、できるだけぴしっとした姿勢で出迎える。
「いらっしゃいませ。サレーリオ様」
「ああ、こんにちは、フィリス」
さわやかな笑顔を向けてくれる彼は、サレーリオ・ラトラトス。
ラトラトス家の次期当主であり、私の婚約者でもある。
私の、唯一の理解者だ。
サレーリオ様は倉庫を右から左へぐるっと見渡す。
「相変わらず暗くて埃っぽい場所だね。こんな場所で仕事をしていて、体調は大丈夫なのかい?」
「あ、はい。もう慣れてしまいましたので」
「そうかい? 目の下にまたクマができているようだけど?」
「こ、これは……いつもです」
恥ずかしいところを見せてしまった。
サレーリオ様の前では、一人の女性として接したい。
この人にだけは嫌われたくないと思った。
それに彼には、彼の家には大きな恩がある。
「急に来てすまないね。仕事中だっただろう?」
「い、いえ、少し休憩しようと思っていたところです」
と、軽く嘘をつく。
本当は休憩なんてしている暇はないのに。
サレーリオ様と少しでも長く話をしていたいから。
「そうか。仕事のほうは頑張っているかい?」
「もちろんです。サレーリオ様やラトラトス家の皆様のご恩に報いるために頑張っています」
私には多額の借金がある。
元は王都でも有数の貴族だったけど、両親が不慮の事故で亡くなってしまい、手掛けていた事業がすべてご破算になった。
私には悲しんでいる暇すらなかった。
その責任を取らされ、多額のお金を要求された時、ラトラトス家がそのお金を肩代わりしてくれた。
昔から懇意にしていた間柄で、当時からサレーリオ様とは婚約をしていたことも理由だったのだろう。
身売りされる寸前だった私は、彼らによって救われた。
だから私は、その恩を返したい。
肩代わりしてもらったお金も自分で働いて返すために、宮廷付与術師になったんだ。
「そうか……忙しいとは思うけど、少しだけ時間がもらえないかな?」
「はい!」
サレーリオ様のためなら、何時間だって予定を空けよう。
私も話したい。
仕事ばかりでまともに会話する機会も久しぶりだ。
日ごろの疲れも、秘書さんから受けている辛らつな対応へのストレスも、彼との時間が癒してくれる。
「大事な話があるんだ」
「はい……」
大事な話?
一体何だろう。
いつもにこやかなサレーリオ様が暗い顔をしている。
何か悩みでもあるのだろうか。
だったら私も解決のために協力したい。
彼の助けになれるなら、と、前のめりになって彼の言葉に耳を傾ける。
そして――
「フィリス……君との婚約を破棄させてもらうことになったんだ」
「……え?」
告げられた一言に、私は言葉を失った。
【作者からのお願い】
新作投稿しました!
タイトルは――
『私はただの侍女ですので(大嘘) ~ひっそり暮らしたいのに公爵騎士様が逃がしてくれません~』
ページ下部にもリンクを用意してありますので、ぜひぜひ読んでみてください!
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