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38.土砂崩れ 1


 図書館に到着し、リュウホの背から下り、金龍の前に立つ。


「金龍様!」

「アンゲリーナ、どうした?」


 アンゲリーナは度々図書館を訪れていた。もう金龍とは顔なじみである。


「土砂崩れが起こるかもしれないの! 昔の話を調べたくて」


 金龍は図書館の扉を開く。

 そして、迷うことなく一つの本棚へアンゲリーナを案内した。小走りでアンゲリーナとリュウホは金龍の後を追う。


 金龍が一冊の本を引き出した。厚くて古い歴史書だ。

 フワリとアンゲリーナの手に収まる。パラパラとページがめくられて、該当の箇所がキラキラと光る。

 アンゲリーナは木札を使って本を読んだ。


「あ、あった! 『紫微城に迫るほどの土砂崩れが及んだ境界に標樹を植えた。これより先に紫微城を広げてはならない』って」


 アンゲリーナはばっと顔を上げる。


「これって、北斗苑の!?」

「ああ、あの標樹だ」


 金龍が何でもないことのように答えた。


「昔、裏山が崩れ、あそこまで土砂崩れが流れてきたのだ。魔法の防壁が作られるようになってから、北斗苑が作られた。もうそこまで土砂が流れてくることはない」

「それじゃ、ダメなの! 紫微城の周りに土砂が流れる!」


 アンゲリーナの必死な顔に、金龍は目を細めた。


「天使の守護印を持つ者、皇女アンゲリーナ。私の背に乗るが良い」


 金龍は身体を大きくした。その背にアンゲリーナとリュウホがまたがる。

 ズルリと図書館の扉を抜けて、ドッと空へ駆け上がる。

 そのまま天鉞楼へ向かう。金龍は最上階をグルリと取り巻いた。皇帝執務室はざわめいた。


「皇帝陛下、金龍! 金龍です!!」


 フェイロンは窓に目をやる。すると金龍の背にまたがったアンゲリーナとリュウホがいた。フェイロンの横に立っていたユーエンは目を見張る。

 ユーエンの父である宰相から、事情は聞いていたが信じ切れなかった。しかし、実物を目にし、恐れと羨望の混じった瞳でアンゲリーナを見た。

 ファイーナの面影の残る可憐な幼女が、皇族の守り神である金龍にまたがり、九階の窓の外にいるのだ。


 フェイロンは慌てて窓を開く。雨が執務室に入り込む。


「リーナ危ない!!」


 フェイロンは窓枠に足をかけ、金龍に飛び乗ろうとした。


「馬鹿者!! そこをどけ!! 皇女を届けに来たのだ。それでは中には入れない」


 金龍がフェイロンを叱責する。フェイロンは慌てて、窓枠から下りた。

 リュウホはアンゲリーナの襟を咥えて、ピョンと窓から執務室に入る。

 アンゲリーナは両手で本を抱えていた。


「とうたま!!」


 めったに父様と呼ばないアンゲリーナの声に、フェイロンは感動した。


「リーナ」

「とうたま! たいへんなの! どしゃくずれがおきる!!」


 アンゲリーナが濡れたまま叫ぶと、執務室が騒然となった。

 宰相がアンゲリーナをタオルで拭いてやる。すると、そのタオルをフェイロンが奪い、アンゲリーナを拭き直した。

 ユーエンはその様子に驚きを隠せない。フェイロンは子どもに情を注ぐタイプではなく、宰相も一族の子どもには厳しかったからだ。


「どういうことですか? 殿下?」


 宰相が優しげに問いかけた。

 アンゲリーナは持ってきた本を根拠に、土砂崩れが起こる可能性を指摘した。


「しかし、紫微城におれば安全です」


 宰相は宥めるように答えた。


「でも、外にいる人はどうなるの? こわれた田畑はどうなるの?」


 アンゲリーナの問いに、執務室はシンとなった。


「リーナ、以前の被害はどうだったかわかるか」


 フェイロンが尋ねる。アンゲリーナはフェイロンの机の上に地図を広げた。

 昔の被害図だ。

 

「これなら、人家に被害は出ないでしょう」


 宰相が答える。


「でも、このときは北斗苑がなかったの!」


 アンゲリーナは必死で訴えた。


 地図の上に指で、現在の紫微城の範囲を描く。

 土砂崩れの範囲に食い込んでいるのだ。紫微城の防壁のせいで、行き場を失った土砂が左右に分かれ、被害が広がることを説明した。


「たしかにその可能性は考えられます」


 宰相が唸る。


「しかし、土砂崩れが本当に起きるかは」


 宰相は周囲を見回した。宮人たちは信じられないと言ったように、かぶりを振る。


「ぼうへきの魔法をいちじてきに解いてください。それだけでいいんです」


 アンゲリーナは訴えた。使われていない北斗苑を守る意味はないのだ。

 防壁を北斗苑のなかった頃まで、皇宮側に下げるだけで被害は少なくなる。


「いや、しかし」

「信じられるか」

「防壁がなくなった隙をつかれたら」


 ヒソヒソと囁かれる声。ユーエンは黙って様子を窺っている。

 アンゲリーナは俯いた。


 たしかに、こんな子どもの言うこと信じられないよね……。

 

 落胆と諦念。アンゲリーナは窓の外を見た。まだ金龍がいる。


「……わかりました、もういいです」


 アンゲリーナは窓枠へ手をかけた。金龍に頼んで、自分ができることをしよう。


「いこ、リュウホ」


 そう言ってリュウホに振り返った瞬間、フェイロンに抱き上げられた。


「行くな」


 フェイロンはアンゲリーナを抱いたまま、指示を出す。

 もうアンゲリーナをガッカリさせたくなかったのだ。


「防壁を北斗苑の入り口まで至急下げよ! その作業が終わり次第、北斗苑の防壁にかかる魔法を解除する」

「しかし、そんな急には」

「北斗苑ができる前の防壁の遺構が残っているはずだ。そこへ新たな魔法をかける」

「魔道士が足りません」

「私とキリルが向かう」

「しかし、陛下! まだ土砂崩れが起こると決まったわけでは」

「決まってからで間に合うのか? ならばそれでもかまわない。しかし、北斗苑は使っていないではないか。そこを区画から外すのに何の問題があるのか!」


 怒鳴るフェイロンをアンゲリーナは驚き見上げた。


「とうたま、しんじてくれる?」


 フェイロンは照れたようにはにかんで頷いた。


「ユーエン! 騎士団をまとめ災害時の対応を検討せよ」

「は」


 ユーエンはフェイロンの命を受け、ただちに騎士団へ戻る。


 執務室は急激に忙しくなった。過去の防壁の地図を広げる者。魔道士の手配に動き出す者。


 金龍が窓から鼻先をヌッとつっこんだ。


「冷酷皇帝も天使の前ではかたなしか」


 そして、カカと笑う。執務室が金龍の息吹でゴウと揺れた。

 金龍は顔を抜き、グルリと窓に背を寄せた。


「アンゲリーナ、リュウホ。そして小僧よ、私に乗れ」

「小僧?」


 フェイロンは不愉快そうな顔をしてそれでも金龍の言葉に従った。

 金龍は三人を乗せ、空へ向かって飛び立つ。

 雨雲を突き抜け、青空に出る。そして、紫微城の裏にある石竜山せきりゅうざんの上まで来ると、再び雨雲を突き抜け、雨空に戻る。


「見えるか」


 金龍の声にフェイロンは頷いた。


「……地面に黒い龍が埋まっているみたい……」


 アンゲリーナが呆然として呟く。石竜山の中腹から、紫微城に向かって地面が黒くくすんで見える部分があるのだ。

 その先端はまっすぐに標樹に向かっている。


「これが、以前の土砂崩れの跡だ」


 金龍の答えにリュウホが身震いした。


「これって……わたしのせいなの?」


 アンゲリーナは誰に問うでもなく呟いた。土蔵で聞いた噂話が、耳にこびりついている。


(違う!)


 リュウホが吠える。


「だって、命名式を受けずに逆鱗を授かったから龍が怒っているのかも……」


 地面の黒い筋はまるで怒れる龍が攻め立ているように見えたのだ。

 フェイロンは顔をしかめた。

 金龍が笑う。


「私が授けたモノなのにか? 怒るくらいなら最初から授けん」


 ビュウと突風が吹いた。アンゲリーナのピンクの髪が舞い踊り、逆鱗があらわになる。同時にフェイロンの銀髪も舞い上がり、隠されていた左耳があらわになった。

 アンゲリーナとリュウホは驚いて息を呑む。

 フェイロンの逆鱗の周りは傷だらけだったのだ。

 何度もはがそうとしたかのように、傷跡がいくつも走っていた。


 フェイロンはそれに気付かず、土砂崩れの跡を目に焼き付けるかのように下界をジッと見つめていた。

 

「お前がやることはわかったな? 小僧」

「ああ」

「金龍に向かってなんたる物言い。まぁ、しかし、わかれば良い」


 金龍は機嫌良さそうに笑うと、石竜山をぐるりと一周し、天鉞楼へ戻った。





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