33.執務室にて
フェイロンは皇帝の執務室にいた。
遠征の事後処理と称して、北辰宮には寝に帰るだけの日々を送っている。
キリルから、控えめに『天使』について話しかけられたが、まだ心の整理はついていなかった。
会いたいと思う反面、どんな顔をして会えばいいのかわからないのだ。
結局、天使は天使として黙認し、問題を先送りにしている。
夜、子どもたちが寝静まった後、こっそりと寝顔を覗きに行く。
そうして、名前を明かさずに娘に贈り物を届ける。
アレは次々と送られてくる匿名の贈り物に戸惑っていた。
クローゼットに増える宝石類、机には最新の魔法書や、色とりどりの紙。青白く光る鳥の羽根ペンがペン立てに無造作に挿さっていたときは、キリルでさえのけぞった。
「これは、東方の青鷺火の羽根……」
不器用な父の行き過ぎた行動にキリルは苦笑いしつつ、安心した。父は会いには来ないが妹を邪険にしようと思っていないとわかったからだ。
アレは、ただただ困り果てた。土蔵住まいだったアレには価値がわからない。ただ、希少なものなのだろうと思うからおいそれと使えない。そもそもプレゼントなど、三歳の誕生日にマルファからもらった服とケーキが初めてで、知らない誰かからもらっていいと思えなかった。
「こんな、たくさん、りっぱなもの、こまる」
プレゼントを受け取り慣れていない妹の様子に、キリルは心を痛めた。
「気にせず使ってっていいんだよ。そうした方が相手も喜ぶ」
そして、戸惑うアレに気にせず使うように勧める。
「よろこぶ?」
「うん、使ってくれたら嬉しい」
「うん、わたしもいっぱいうれしい!」
アレが笑ってキリルも笑った。
この笑顔を見られないなんて、父上は少し不憫だ。
そして、不器用すぎる父に思いをはせた。
フェイロンは今日も執務室にいる。
戦後処理を理由にして、ミオンの面会も拒み続けてきたのだが、それも限界に来ていた。
ミオンが執務室に入ってくる。
困り果てたというような沈痛な面持ちだった。
フェイロンの脇には宰相が立っていた。
「皇帝陛下、女官長より後宮内の問題について報告があるとのことです」
宰相は業務的に告げる。フェイロンも業務的にミオンを見た。
ミオンはその業務的な表情に、フェイロンの情のなさを感じ取り安心する。
ミオン自身はたっぷりと感情を込めた切実な声で話し始めた。
「私の監督不行き届きで、『アレ』が北辰宮におります」
「そうか」
フェイロンの答えはミオンの想像からはかけ離れていた。
事実を伝えれば、怒り出すと思っていたのだ。
あまりにも素っ気ない様子に、ミオンは戸惑う。
「キリル皇太子殿下がおかわいそうに『天使』などと騙されて、客人としてもてなすとおっしゃいまして……。私はそれに逆らえず」
「わかった、下がれ」
フェイロンはそれだけ言うとミオンに手を振って下がらせようとする。
ミオンは焦り、食い下がる。
「しかし、陛下、このままでは皇太子殿下に悪影響がございます。勉学の時間にまで、アレを同席させ、虎と遊びながら過ごすとのことですわ」
フェイロンの眉がピクリと動く。
「虎?」
「はい。オレンジの虎です。恐ろしく獰猛な虎で、アレの言うことしか聞かず手を焼いております。私も恐ろしくて恐ろしくて……」
フェイロンは、自分の剣を爪で弾いたオレンジの虎を思い出し、苦々しく思いつつ、興味もあった。
「報告では、炎虎だと聞いた」
「炎虎とアレが嘘をついているのです。……炎虎はナンラン国の聖獣です。そんなものを信じていらっしゃるのですか? アレが騙っているだけです」
フェイロンはチラリとミオンを見た。
「金龍も存在しないと?」
ミオンは言葉を選び答える。
「いえ、ジンロン帝国の聖獣と、蛮族の聖獣を同列においてはいけませんわ。仮に、蛮族の聖獣がいたとしても、紫微城内にいるわけがございません」
ミオンの言うことにも一理あった。炎虎の出現はにわかには信じがたい。
炎虎であれば私の剣を弾くこともあろう。ただの虎の子にそんなことが可能か? しかし、伝説上の炎虎は誰の下にもつかないはずだが、なぜアレを守った?
フェイロンは宰相を見た。
「まずは客人という『天使様』にお会いになってはいかがでしょうか」
宰相は表情も変えずに答えた。
フェイロンは黙る。
いつまでもこのままというわけにはいかない。わかっているが、自分が父であることを知られるのが怖かった。
無言のフェイロンを見てミオンは安心した。
やはり、アレを見たいとは思ってはいないようね。
「お忙しい皇帝陛下を煩わせる必要はありませんわ。陛下の視界に入らぬよう、私がいたします。ただ、皇太子殿下に逆らうことになることをお許しいただければと存じます」
フェイロンは黙ったままだった。
ミオンに任せれば、以前と同じ状況に戻るだろう。
学ぶことも許されず、粗末な衣食住を強いられる。そうなった原因はフェイロンにある。
指先でカツカツと机を弾く。
あの子のくれた『天使の守護印』は、何度も我が軍を救ってくれた。戦いが早く決着したのも、金龍とあの子のおかげだ。
しかし私が誰か知ったら彼女は怯えるだろう。
冷酷非道な父のことを恨み憎んでいるはずだ。
アレの空色の瞳が、憎しみで燃える姿を想像して、フェイロンは唇を噛んだ。
すべて自分の蒔いた種だが……。
ミオンと宰相がフェイロンの判断を待っていた。
フェイロンは顔を上げた。
「わかった」
そう呟くと、ミオンはパッと微笑んだ。宰相は目をそらす。
「それでは、」
「ああ、天使、そして炎虎をここへ呼べ」
ミオンはほくそ笑む。
「ただいま、私が行って参ります!」
ミオンの退出を確認し、フェイロンは宰相に問いかけた。
「女官長は北斗苑の管理に積極的なのか?」
「元々真面目な性分ですので」
宰相は気まずい気持ちでそう答えた。