28.天使の日常 2
北斗苑から急に北辰宮へやってきて、慣れないアレのためにキリルは格段の配慮をしてくれた。
皇帝が帰ってくるまでは、紫微城内を自由に歩いて良いこととしたのだ。
護衛騎士は交代で一人ついてくる。
北斗苑内に限っては護衛の騎士もいらなかった。
アレは今日も紫微城内を歩いていた。リュウホの背中に乗っているので、移動には困らない。
今まで何度ループをしても紫微城内へ入城したことはなく、見るものすべてが目新しく面白い。
紫微城は一つの大きな町になっている。
一番北に北斗苑、その南に北辰宮、さらに南に天鉞楼を中心とした政務関連の施設がある。
そこから城門までは大きな道がまっすぐに伸び、東は紫微左垣と呼ばれ他国の要人の住む華蓋があり、西は紫微右垣と呼ばれジンロン帝国の役人たちの住む町がある。おのおのの町には、それぞれ店や病院、学校がある。
紫微左垣と紫微右垣にすむ人々は、互いに見下している空気があった。
アレは華蓋に来ていた。
華蓋は国際色豊かな町だ。飛び交う言葉も各国なまりで面白い。
アレは『天使』ということで、紫微城内の身分に囚われていなかった。皇女としては扱われず、自由気ままに過ごすことができたのだ。
今日の護衛騎士は、茶色い天然パーマの青年だ。ループして初めてミオンと対峙したときミオンの護衛としてついてきた騎士だった。
始めアレは警戒したが、騎士はとても好意的だった。アレに目線を合わせて話しかけ、できるだけアレの希望が通るようにしてくれる。挙げ句の果てに、リュウホからアレを抱き上げようとしてリュウホから吠え立てられた。
アレの目の前を、元気な子どもが走って行く。
アレと同じくらいの背格好の子どもは、リュウホを見て驚き転ぶ。
膝をすりむいて泣き出す子どもにアレは近づき、もっていた水で汚れを落としてやる。
「ちちんぷいぷい、いたいのいたいの、リュウホが食べちゃえ!」
アレはそう言って、傷に触れないように、天使の守護印を描いてから、クルクルと円を描いて、指先をリュウホに向ける。
リュウホはガウと痛みを食べる振りをした。
「ほんとだ! いたくない! おねえちゃん、トラちゃんありがとう!」
子どもはそう言って駆けだしていった。
「すごいですね、天使さま。治癒のお力も持っているのですか!?」
護衛騎士が驚く。
アレは戸惑った。そんな自覚はなかったからだ。
「かるいけがだったんだとおもう」
(お前、治癒の力あるぞ。俺の足もすぐ治ったし)
リュウホが言った。
アレはキョトンとする。
「リュウホのからだがつよいんでしょ?」
アレがコソコソとリュウホの耳に口づけて話す。
リュウホはそれがこそばゆい。
(俺は強いけど、アレには悪の魔力がかかってた。そんなのあんな簡単に治るか)
リュウホが言って、アレは過去の自分のことを思い出した。
確かにトラバサミに挟まれた足は化膿して大変だったのだ。
アレは釈然としない思いで、自分の手を閉じたり開いたりしてみた。
「天使さまはすごいです!」
目をキラキラとさせる騎士に、アレはちょっと引いた。
しばらく歩いて行くと、花売りがある屋敷の前で花を売っていた。アレはそれも新鮮で立ち止まってみる。
「あれ、新しい侍女さんかい?」
花売りは機嫌良さそうに話しかける。話しかけられた侍女は、モジモジとオドオドと、それでいてにこやかになまりのある言葉で答えた。ジンロン帝国の人々より、少しだけ浅黒い肌をしている。
「ハイ、来たばかりで、初めての遣いです」
「そうか、それじゃお近づきの印に」
花売りはそう言って、一振りの花を渡した。
「イエ、いけません」
「いいんだよ。売り物にならない花だから。その代わり花はうちで買ってね」
「ハイ」
嬉しそうに侍女は答えて、花売りに代金を渡した。行商人に払うには少し大きな紙幣だった。花売りは素知らぬ顔をして、釣り銭を誤魔化し侍女に渡す。
属国では、おのおの独自の貨幣があり、侍女はジンロン帝国の貨幣にまだ慣れておらず、計算もできないので、騙されたことに気がつかず朗らかに礼を言った。
「おじさん、おつり、まちがってる」
アレは思わず指摘した。ループ前で酒場で働いていた名残だ。下町の店には似つかわしくない大きな紙幣をわざと使う魔族にはよく困らされたのだ。それで、暗算は鍛えられた。
行商はキョロキョロとした。まさか、幼女に指摘されたと思わなかったからだ。
そして曖昧に笑い、逃げるように侍女にお辞儀をした。
「じゃ、じゃあ、また」
「おつり、まちがっているんですか? 五枚、紙幣が返ってくるって聞きました」
侍女が紙幣を数える。枚数は五枚だ。
「は? え?」
しどろもどろになる花売り。
「おつり、まちがってるよ」
アレがもう一度言えば、花売りと下女がギョッとしたようにアレを見た。
「おやおやおや、お嬢ちゃん、何を言っているのかな? お店屋さんごっこじゃないんだよ?」
花売りはヘラヘラ笑う。
「まさか、あなたもこんな子どもの言うことを信じるわけじゃないでしょう?」
侍女は挙動不審の花売りを怪訝に見た。
「おつり、まちがってるの。おはなは五百ロン。おねえさんが払ったのは、五千ロン。てにあるおつりは百ロン五枚だけど、本当は千ロン四枚と五百ロン一枚の五枚になるよ」
アレの説明を受け、侍女は紙幣をマジマジと見た。手元にあったのは同じ模様の紙幣が五枚だった。
騒ぎを聞きつけて、警備隊もやってくる。屋敷の中からも何人かやってくる。
「どうしましたか?」
警備隊が侍女に尋ねた。
「あの、おつりが間違っているとあの子が言って、でもどちらが合っているのか私にはわからなくて」
チラリとアレを見て、説明をする。警備隊は話を聞き頷いた。
「その子の言うことが正しい」
周囲に集まった人々は信じられないといった顔でアレを見た。そうしてから、花売りに疑いの目を向ける。
「騙そうとした?」
侍女が悲しげな顔で問う。
「いや、ちがう、騙すつもりじゃなかった、ほら、こんな大きい紙幣で花を買う人なんかいないから、いつものくせで、そう、いつものくせで、ごめんな、お姉さん。はい、これ、足りなかった分!」
花売りはそう言うと、残り四千ロンを侍女に押しつけ、そそくさと逃げ出していった。
「ありがとう、噂の『天使さま』ですね? お礼をさせて下さいな」
侍女の優しげな笑顔に、アレは頷こうとした。
その瞬間、リュウホがアレのスカートを咥えて押しとどめる。
(だめ!)
アレがリュウホを振り返る。
「どうしてダメなの?」
(どうしても!)
ここはナンラン国の屋敷前だったのだ。
リュウホにしてみれば、まだアレに何も説明していなかった。自分の口から何も話していないのに、ナンラン国のものから色々吹き込まれるのは嫌だった。
侍女はリュウホを見た。
「炎虎さまがダメだとおっしゃっているんですか?」
「うん」
「それでは、無理強いはできません」
(そうだ、だから、いくぞ!)
リュウホはそう言うと、アレを背中にヒョイと乗せて歩き出してしまった。
「リュウホ?」
リュウホはアレの声が聞こえないふりをしてズンズンと歩いた。
アレの噂は華蓋に一気に広がった。『天使』が、属国の侍女を助けたのだ。
ジンロン帝国の人間は、属国の人間を蛮族と見下している。花売りのしたようなことは、華蓋の中で今までもあったのだ。田舎からやってきた他国の若者を騙すようなやり方だ。しかし、騙されたことにすぐには気がつかず、気がついたときには「騙される方が悪い、勉強料だ」と開き直られる。
属国の、しかも下働きである彼らは、訴えることもできずに、不満を募らせていたのだ。
ジンロン帝国人に騙された恨み辛みは、そのままジンロン帝国に向かっていた。
そんな中、ジンロン帝国で『天使』と呼ばれる存在が、ジンロン帝国人から属国の侍女を守ったのだ。しかも、子どもの傷まで治すと噂も広がり、まさに『天使』と、噂がどんどん大きくなって広がった。