▼scene.01 心配からくる皮肉、だと信じたい。
助けてくれてありがとう、なんで毎回怖い目にあってからくるの、本気出したらもっといけるでしょ、などなど。
感謝と不満と、さっきまでの恐怖と安心と、いろんな感情でこんがらがっていた私は、むくれるという何とも幼稚な表情で歩いている。
「…あんくらい、私でも倒せるし。もう少しで急所蹴り上げてたし」
「阿呆、いや馬鹿ですか」
「―……。な、え、今私愚弄されたの」
夕暮れ色に明るく染まっている商店街を、二人斜めに並んで歩く。いつも通り、私の斜め後ろにきれいな顔の男が淡々と皮肉を吐きながら。
ちなみに先ほどの薄暗い雑居ビルの隙間には、伸び上がった男たちが残され、彼らは私の家の怖い顔をした方々に引き取られた。らしい。
きっと今回の指示を出した親玉がだれか聞きださない限り、彼らは日の目は見られないだろう。
引き取られたらしい、というのは、家の人を手配した国立は、握りしめて冷たくなった私の手をつかんで早々に現場から離脱したからだ。
国立は私の斜め後ろを歩いていて表情が分からなかったけど、今の言葉ばかりは聞き逃せない。思わず足を止めて振り返った。
後ろの夕陽の逆光になって、やっぱり顔はよく見えなかったけれど。
最近じわじわと初夏の兆しが感じられ、衣替えで濃いグレーのブレザー姿から真っ白なシャツに代わったばかりだ。国立のシャツが、夕暮れでオレンジに染まっている。
国立は私の隣に追いつくと溜め息をひとつ吐く。むかつく。
そして、生まれる前に神様に大量の賄賂を渡して得たとしか思えないほど整った顔で、私の唖然とした顔を覗きこんだ。
…や、やめて、見せつけなくていいよ悲しくなる。
「そんなことも分からないんですねお嬢様」
「…ねぇ、私って貴方に守られてる立場の人だよね? 今、その守ってるはずの人に絶賛傷つけられてるんだけど」
「気のせいでしょ」
気のせいではない。だって心ってここにあるんだってくらい、胸がずきずきする。貴様はこの私の胸の痛みをないことにするつもりか。 泣くよ?いたいけな女の子を泣かせた男として、きまり悪い思いをぜひともしていただきたいところだ。
「まあもし、本気でお嬢様がさっきの野蛮人たちをひとりで相手にできるなら、俺は必要ないし、お嬢様は女子プロレスかなにかの才能があるからぜひ選手登録したらいいんじゃないですか」
「格闘技はそんな甘いもんじゃないわよ、なめんな」
「なめて、自分で倒せるとか言ってる張本人が目の前にいるんですけど」
顔を近づけて舌戦を繰り広げる私たちの隣を買い物帰りのおばさんが「仲良しねぇ」と笑いながら通りすぎた。
それに愛想笑いをしながら、私は内心どこが仲良し?と考える。
すかした顔のその男。その顔を見れば、「――何ですか。顔に穴開きそうだ。石になる」とこれまたすかした顔で抜かしやが……おっしゃった。
…くっ、余裕を持たなくてどうする私。
こんなあんぽんたんに調子を崩されるな。そうだよ、私はこいつを雇う側でしょうが。気品を失うな、璃宝っ。
私が内心憤りに満ち満ちている間に気が逸れたのだろう、「…空、赤ー」と私そっちのけで夕焼けを眺めて余裕綽々なそいつ。目を細めて空を見上げる様がこれまた決まってて、それにまたむかつく。
ふんっ、と勢いよく前に向き直って、私はずんずん歩き始めた。
数歩歩いて、ちら、と後ろを見ると、きっちり1メートル開けて国立が着いてきていた。
その手には、いつのまにか私のサブバッグ。自分の荷物は自分で持つから、とメインのスクールバッグはいつも譲らない。
然り気無いんだよな、あーもう。今までの彼女には、さぞ気の遣える男として認識されていたんだろう。今はいない、と思う。いたら、”こんなこと”できないだろうし。
「…不機嫌なとこ悪いですけど、さっさと歩いてくれないと俺が帰れない」
「………」
ずんずん、すごい顔で大股で歩く私と、変わらず一定の距離を保って涼しい顔で歩く国立。
「…あ、お嬢」
「その呼び方やめてくださらないですか。……何」
「段差」
「へ、」
「転ける…って、もう転けてるか」
段差に気付かず勢いよく躓いた私、の腕を、くいっと後ろから引っ張った国立は呆れ顔だった。
「―……アリガトウゴザイマス」
「そんな心の込もってない感謝の言葉、はじめて聞いた。……貴重な体験を、こちらこそどうも有難うございました」
―――なっっんてうざいの…。私の死んだ顔を見て、国立はにっこり王子スマイル。嫌味か。
「にしても、ご自宅の目の前でお嬢様が転ける姿を見逃したのは残念で残念で仕方ないです」
…はーい嫌味決定。
だけど、自分がもう家の目の前にいたことをその言葉でようやく気付いた私も私。門の目の前の僅かな段に足を引っ掛けたらしい。
家の前だからか知らないけど、わざわざ敬語で言う辺りがかなりいらっとする。ついでに皮肉っぽい「お嬢様」っていう呼び方も。
全てが気に食わないわ国立……下の名前なんだっけ。後で携帯のアドレスで調べよう。また馬鹿にされかねない。
私は、門の中に入るとくるり後ろを振り返って国立を見る。
「……お疲れ様でした。また明日」
そして、早足で石畳の上を歩いて玄関に向かった。
後ろで国立がくすり笑ったのがなんとなく分かった。それに気付かないフリをして、無駄に長い玄関までの道をひたすら歩く。
携帯を開いて、「―……はい、只今到着されました。…いえ、……はい、では」と報告しているのが聞こえる。たぶん山野さん…父の側近とか辺りに。
私と国立は、ほんの1か月前までただの同級生だった。それまで交わした会話はほとんどないと言っていいくらい“ただの”。
ところが、ある日から彼と私は毎日一緒に登下校して、たまに校内でも顔を合わせて話すことがある。
こんなことになったのは、私達がそれぞれ生まれた家に関わる理由。
きっかけは、いろいろな理由、条件、立場、思惑…様々なものが重なって生まれた偶然だった。