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遺伝と恋と殺人事件  作者: 丹部柿太郎
3/3

《後編》 夢の終わり

「刺された…。だけど、あなたは生きている」

 呆然としている僕に彼女は首をかしげた。

「どのように聞いているのかしら?」

 少しだけ迷ったものの、好奇心が勝った。正直に打ち明けることにする。


「聞いてません。『オマケの経験』として僕が引き継いでしまったんです。あ、『オマケの経験』について、カエノでないあなたはご存知ないでしょうか」


 老婦人は少し困ったような笑みを浮かべている。

「祖母はカエノですが」

 サクラコ……の孫の言葉に驚いて彼女を見る。それから本物のサクラコを。

 彼女は笑みを浮かべたまま静かに言った。


「あなたはもしかしたら、私が言った『カエノじゃないから付き合えない。あなたに相応しいのは私じゃない』という言葉をご存知なのかしら」

「ええ!」

「そうなのね」

 サクラコの表情が変わった。苦しそうな哀しそうな。


「彼に交際を申し込まれたの。私はずっと彼が好きだったわ。だけど私は高い誇りと強い野心を持つ、可愛くない娘だったのよ」

 サクラコの孫が祖母の傍らにしゃがんで、その手を握った。

「父親が事業に失敗をして、私たち一家は旧人類の街に都落ち。いつか必ずカエノの街に帰る、自分はこんな古臭い街にいるような人間じゃない。……私はそう思っていた嫌なカエノだったの。だから旧人類だったあなたのお祖父様に、酷く傲慢な言葉を投げつけてふったのよ」


「…祖父が、旧人類?」

 そんなはずはない。僕は代々カエノの家系。その凡カエノばかりの中でとりわけ優秀だった祖父が旧人類だなんてありえない。


「確か」と老婦人。「お子さんが生まれてからは、彼は自分がどちらかを明言していないはずよ」


 僕の中で何かが崩れていく。

 信じていた血筋。カエノの自尊心。

 何より、『カエノ』ではないからと身を引いた美しいサクラコが、幻らしい……。



 ◇◇



 サクラコの話によると、僕が夢に見ているのは間違いなく祖父の経験だという。

 たった60年前で、予測していた年代よりずっと最近だ。

 僕は旧人類の街に行ったことはないし興味もなかったから知らなかったけれど、そこには夢で見たような古臭い学校が、今でも普通にあるという。


 そして問題の、『経験』。僕(=祖父)はナイフを彼女のお腹に確実に刺している。


 だけれど、これも違うのだそうだ。僕(=祖父)が手にしているのはペインティングナイフというもの。油絵を描くのに使うもので鋭利な刃物ではないらしい。


 あれは美術の授業中の出来事で、各々好きな場所で風景画を描いていた。屋上にはサクラコ、祖父、もう一人の女子の三人。

 何気ない会話から、祖父はサクラコに告白をし彼女はあのセリフで拒絶した。


 カエノではないことを理由にされたら、どうにもならない。


 祖父は理性を失い、たまたま手にしていたペインティングナイフでサクラコを刺そうとした。

 その時、三人目の彼女が咄嗟に分厚い画集を二人の間に差し出して、ナイフはそこに刺さったのだという。サクラコが崩れ落ちたのは、単に驚きから。


 画集とは何かと気になったが、昔は本という分厚い紙束があったのだそうだ。


 三人目の彼女のおかげで祖父は犯罪者にならずに済み、サクラコはケガをすることはなかった。


 その彼女もサクラコ風に言えば『都落ち』したカエノだった。サクラコからすれば、唯一同等と認められる存在で、友人だった。

 だけどサクラコと違って旧人類とその街を厭うことなく、自然と周りに馴染んでいたそうだ。


 その彼女は祖父に酷い言葉は浴びせたサクラコを叱り、祖父を励まし……。


 サクラコが気づいた時には、二人はお似合いの恋人同士になっていた。

 つまり三人目の彼女が祖母だという。


 祖父は高校の頃から抜きん出た存在だったらしいけど、卒業後にどんどんと頭角を表し、世界に通用する企業を作り上げるまでになった。そうして祖母の両親の故郷であるカエノの街に移り住んだそうだ。



 ◇◇



 長い昔話を終えたサクラコは、やはり苦しく哀しそうな表情だ。

 60年も前のことなのに。


 彼女が座るのは映画でしか見たことのない車イス。きっと今でも旧人類の街に住んでいるのだろう。


「私、本当に傲慢で意地っ張りで可愛くない娘だった」

 サクラコの目に光るものがあった。

「ずっと謝りたかったけれど、それも出来なかった」

「サクラコさん」僕はしゃがんで視線の高さを彼女に合わせた。「あなたのおかげで祖父は頑張れたのかもしれない」


 彼女はじっと僕の目を見つめていたが、やがて首を横に振った。

「ちっとも嬉しくない。そうね、私、謝りたかった訳じゃないみたい。私も好きだったと伝えたかったのね」


 サクラコは微かに笑みを浮かべた。

「ありがとう、お孫さん。あなたに伝えられて少し、気持ちが軽くなったわ」

 そうして傍らの孫に、行きましょうと声をかけた。


 夢に出てくるサクラコと瓜二つの孫が会釈をして、二人は僕に背を向けた。


「…サクラコさん!」

 二人は止まり、顔だけこちらに向けた。

「あなたがかつて本当に『傲慢で意地っ張りで可愛くない娘』だったのだとしても!今、遠出に付き添い、あなたの手を握りしめてくれる優しいお孫さんがいる!祖父は素敵な人を好きになったのだと、僕はそう思います!」


 サクラコとサクラコの孫はにこりとして、再び背を向け去って行った。







 僕は彼女たちの名前も連絡先も尋ねなかった。


 今夜はあの夢を見るだろうか。

 目覚めたときに泣いているだろうか。



 …だけれどきっとあの夢はもう見ない。そんな気がする。




お読み下さり、ありがとうございます。


数年前に読んだSFミステリー『ドローンランド』(トム・ヒレンブラント、河出書房新社)にとてつもない衝撃を受けて、あんなSFミステリーを書いてみたいと思ったのですが。

ほぼ恋の話になってしまいました。

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