《中編》 サクラコ
かなり昔の先祖なのだと思う。
女の子は古い映画の中でしか見たことのない、セーラー服と呼ばれる制服を着ている。場所も、同じく現代では見ない建物の屋上。きっと学校だ。
女の子が泣きそうな表情で言う。
「だってカエノじゃないから付き合えない!あなたに相応しいのは私じゃない!」
すると先祖は隠し持っていたナイフで彼女のお腹を刺す。
彼女が地面に崩れ落ちる。
僕が見る夢はこれだけ。
彼女の名前が『サクラコ』だとは知っている。
この夢について不思議なことが二つ。
一つは、カエノたる遺伝子操作は基本的に誰でも受けられるのだけど、唯一受けられないのが殺人を犯したことのある人間だ。故意でも過失でも、ダメ。万が一殺人の記憶が積み重なって快楽殺人鬼になったらいけないからだ。
もしこれを隠して遺伝子操作ベビーをつくると、子のほうが処分されると法律で決められている。
と、なると先祖はどうしたのだろう。当時、殺人事件をもみ消すだけの力を持っていたのか。それともこの法律が出来る前のことなのか。
もしくは彼女が一命をとりとめたのか。だが僕の感触では、かなり深く刺している。助かるとはとても思えない。
それからもう一つの疑問。この遺伝子操作が引き継げるのは知識と経験だけ。感情は無理だ。
なのにこの夢を見るとき、確実に自分のものではない感情がある。
こんなに恐ろしい夢を見ているのに、目覚めるときに僕が感じているのは恐怖じゃない。深い悲しみだ。そして僕は必ず泣いているのだ。
◇◇
大学入って初の夏休み。僕はこの《経験》を探ることにした。
理由のひとつは、人を刺すリアルな感触が怖いからだ。病院へ行けばこのようなオマケケースの対処をしてもらえるのだが、内容が内容だ。僕が処分される可能性が大きいから、自力で解決しないといけない。
そしてもう一つの理由。
僕はサクラコに会ってみたい。
彼女はとても美しい。
勿論、不可能な望みだ。だからせめてサクラコの子孫に会いたい。直系は無理だろうけど。兄弟姉妹親戚、いずれかに望みはあるんじゃないだろうか。
こんなセンチメンタルで理屈に合わない衝動に行動を支配されるなんて、滑稽なことだ。だから僕は一つ目の理由を自分自身への言い訳にして、この《経験》を探るのだ。
カエノの僕の祖先とカエノではないサクラコが同じ学校、恐らくは高校に通っていることから、ある程度の年代までは遡れるだろう。
それからセーラー服の胸元にある校章らしきバッジで学校が特定できるかもしれない。
屋上からの遠景にビル群が見えるから、わりと都会に違いない。
そんなヒントを頼りに、図書館に通い古い資料を探したり、ツテを頼って服飾歴史の専門家にセーラー服について尋ねたり。思い付く策を片端から試し、だけれど何の成果もないまま長い夏休みは終わりに近づいた。
そんな時、僕の祖父が亡くなり、調査は一旦休まなければならなくなってしまった。
祖父は両親とも凡カエノだったらしいけれど、鳶が鷹を産んだのだろう、彼自身は素晴らしいカエノだった。一代で世界に通用する企業を作り上げ、カエノであろうがなかろうが優秀な人材を多数育てて独立の支援もした。
とても聡明な人で自分が作った企業を同族経営にもせず、優秀な後継者に託した。
そんな祖父の通夜も葬儀も、芸能人のお別れ会か、という程の参列者が訪れた。
祖父とは違い凡カエノの両親、そして凡カエノの僕は彼の凄さに親族席で改めておののいたのだった。
そうだ、祖父は大層な愛妻家でもあった。相手は高校の同級生。
二人の仲睦まじさは見ているほうが幸せを感じるほどで、世の中にこれほどお似合いのカップルはいないとあちこちからの賛辞を貰っていた。
そんな祖父の死に祖母は一晩で別人のように老いていた。
最愛の伴侶を失った祖母のことは気の毒に思う。
だけど…。
僕もあのサクラコとそんな真摯な恋をしてみたい。
不可能な望みだと分かっているけど、何もしないで諦めるのは嫌なのだ。
だけど今のところひとつの手掛かりも見つかっていない。誰のものか分からない《経験》を、これ以上どうやって調べればいいのだろう。
僕は疲れて、何気なく外を見た。
親族の僕は葬儀会場となっている寺の本堂に座っている。そして外には、本堂に入りきれない関係者が。更にその向こうに、祖父を偲んで来てくれた人の為の席がある。
その席に座らず、端に立っている女性が目に入った。
…サクラコだ!!
僕は立ち上がると本堂を飛び出した。
必死に走る僕の目的など気付いていないのだろう、彼女はこちらに背を向け去っていく。境内を出て表の通りへ…。
「待って!サクラコ!」
思わず叫ぶと彼女は足を止めて振り向いた。着ているのはセーラーではなく喪服。だけど顔は夢で見るサクラコそのものだ。年齢も同じぐらい。これは一体どういうことだろう。
彼女の元にたどり着くと、サクラコは不思議そうに尋ねた。
「祖母をご存知なのですか?」
そうして傍らの車椅子の女性を見る。
その車椅子は旧式で、映画でしか見たことのないものだった。そこに祖父母と同年代の女性がちょこんと座り、僕を見上げていた。
「えっと。彼女も『サクラコ』さん?」
僕の質問に女性……というより女の子は首をかしげ
「『彼女も』?」
と質問を返した。
「あなたは?」
と車椅子の老婦人が尋ねた。僕は寺を振り返り、
「孫です」
と答えた。
彼女は眩しそうに目を細めて、そうなの、と呟いた。
「私は彼と奥様と高校の同級生だったの」
『高校』。
目前の老婦人をまじまじと見る。彼女の名前は『サクラコ』らしい。
それならあの夢の元になる体験は祖父のもので、彼女はこの老婦人なのだろうか?
だけれど辻褄が合わなさすぎる。
時代も合わないし、あれだけ深く刺されて死なないなんてことがあるとは思えない。
「……高校はセーラー服でしたか?」
僕の唐突な質問に、彼女はうなずいた。
「……祖父に……刺されたことなんて、ないですよね?」
老婦人は目を見張った。
それから優しい笑みを浮かべた。
「ええ、刺されましたとも」




