最終話
翠と麗華の結婚式は、ごくごく近親者でのみひっそりと行われた。
「どうして・・・?言ったでしょ、私はもう死んじゃうんだよ。」
・・・轟とのあの試合から少しして、麗華にプロポーズした翠に彼女はそう言った。
「ああ、良いんだ。・・・それにお前の気持ちもちゃんと分かってる。本当に愛しているのが誰なのかもな。・・・だから、別に幸せになろうとは言わない。その代わり・・・俺が死んでもお前を幸せにする。・・・例え限られた時間だとしても。」
そして少し悩んだ末、麗華はうなづいた。
「ええそれでは、新郎新婦に指輪の交換を・・・」
神父の言葉に従い、麗華と翠は指輪を交わす。
すると、皆は一斉に拍手を送った。
麗華は幸せだった。美しいドレスに身を包み、皆に祝福される・・・翠が居なければこの幸せを知る事は出来なかっただろう。
翠も幸せだった。会場にいる皆が幸せだった。
「おほん、ええと・・・儂と翠君が出会ったのは忘れもしない、正にワールドチャンピオンズファイトの会場じゃった・・・。」
満田会長がかしこまりつつスピーチをするのを聞きながら翠は麗華を見た。その美しい花嫁姿を・・・永遠に記憶に残したいと思った。
ふと、彼女が不思議な表情を浮かべているのに気付く。喜びとも悲しみとも違う・・・。その視線は一点に注がれていた。
それは・・・会場の端にある空席だった。
「・・・。」
翠は何も言わずに視線を前に戻した。
分かっている、全てわかっている事だ。
・・・轟は試合の後、姿を消した。
何も伝えずに・・・誰にも知られずにひっそりといなくなった。
翠も麗華もそこらじゅうを探したが、彼は何処にもいなかった。
生きているのか死んでいるのか・・・それすらも分からなかった。
「翠君、麗華さん・・・おめでとう!」
満田の長いスピーチが終わると同時に、翠は我に返った。
程なくして、麗華は亡くなった。
人里離れた・・・誰も寄り付かないような場所で、川か海か・・・水の見える所に墓を立ててほしい。それが彼女の希望だった。
希望通り、海の見える断崖絶壁に麗華の墓は作られた。
そこへは誰も足を踏み入れる事は無いが、翠だけは定期的に墓参りへと訪れた。
この日も・・・彼は花束を片手にそこを訪ねていた。
(麗華・・・聞いてくれ、俺はまた防衛戦に勝つ事ができたよ。ふふ、お前にも俺の試合を見せてやりたかったな・・・。)
一通り思いを語ると、翠は花束を置いた。
ふと、墓石の端を見ると・・・そこには一輪の花が添えられていた。
「・・・!」
それは、何処にでも咲くような花だった。汚れた町の片隅にも・・・あの川の土手にも咲いていた。
(来たのか、ここへ・・・。)
翠はその花を持ち込んだであろう主に思いを馳せた。
・・・ぶおおおん。
寂れた町を走るのは・・・およそそこに似つかわしくない高級車。
『チャンピオン、またも防衛!!ついに前人未到の記録、21年連続防衛に到達。』
助手席に置かれた新聞にはそう書かれていた。
「いやあ〜凄いですね!前のチャンピオンもとんでもなかったけど、御影さんはそれ以上だ!!」
運転手の男は、後部座席に座る翠に語り掛けた。
「いや、そうでもないさ・・・。」
呟くように答えながら、翠は窓から外を見ていた。
この辺りは・・・轟と厳八と暮らしたあの土手の近くだ。
「・・・。」
あれから何度かあのテントを訪れたが、やはりそこに轟の姿は無かった。そしてチャンピオン業が忙しくなるにつれ、次第に彼を探す事も無くなった。
やがてとうとう車は例の土手へ差し掛かった。
「済まない、少し止めてもらえないか。」
突然の申し出に、運転手は慌てて車を止める。
「しかし御影さん、ここは何もない土手ですよ?」
「構わない・・・すぐ戻る。」
そう言うと翠は車を降り土手を下った。
もう20年も経つ。生きていると思う方がおかしいのだが・・・。
テントやトレーニング器具は相変わらず放置されていた。人の手が入らないにも程がある。なまじ橋が屋根になっているお陰で、そう簡単に雨に晒され風化する事はないのだろう。案の定、轟の姿は無かったが・・・。
(懐かしいな・・・こんなボロボロの器具でよくトレーニングをしたものだな。)
翠はびよーんと筋トレ器具のバネを伸ばす。これがなかなか、それなりのトレーニングにはなりそうだ。
(ふふ。・・・ん、待てよ・・・!)
突然慌てたように翠は辺りに散らばる器具を一つ一つ見た。
・・・綺麗なのだ。勿論、古くてボロボロではあるのだが、それはバネが伸び切ってしまっていたり持ち手が削れてしまっていたり・・・人為的なものによる劣化だった。
油はきちんと挿されているし、なにより埃を被っているようなのは一つもない。
ハッとなり、翠はテントを勢い良く開けた。そこにはつい最近食べたようなカップ麺のゴミがあった。
「まさか・・・!」
翠は呆然と立ち尽くした。
・・・深夜の公園、そこでは不良達との喧嘩に勝利した少年が更なる相手に絡まれていた。
「んだよオッサン、なんか文句でもあるってのかよ?」
勇みでる少年に、みすぼらしい格好をした初老の男は首を縦に振った。
その様子は・・・どこか少し狂ってるような物を思わせる。
「ああ・・・大ありだね。腕っぷしに任せたひっでえ喧嘩しやがってよ・・・だが、なかなかセンスはあったぜ。・・・へへっ、どうだい。俺の元で、俺と一緒にファイトの世界に挑んではみねえかい?」
男は不敵に笑った。




