第八十三話
『へっ、いいか・・・・・・』
・・・ああ、聞こえてるよオッサン。
夢幻のようにぼんやりとした意識の中、轟は頭の中で思い起こされる言葉に答えた。
・・・呆然と立つ轟に、翠はトドメを仕掛けるべく駆け寄った。
『この技を打つ前に、お前は一旦ボコボコのズタズタにされるんだ。』
・・・そうだったな。まずは相手を油断させなきゃな。
翠のラッシュが、猛然と轟を追い詰めていく。
『我慢だ、我慢だぞ轟。だがここぞ・・・ここぞというタイミングを見極めれば、それは最強の必殺技になる。』
へへ・・・タイミングが難しいんだよな。・・・わかってる。わかってるさ。大丈夫、任せとけよ・・・
遂に、翠がフィニッシュのアッパーを仕掛ける。だが轟は・・・仰け反りそれを避けながら、そのまま後ろに回転した。
ムーンサルトを・・・最強の必殺技を放ったのだ。
一年ほど前・・・それは翠のチャンピオンとのタイトルマッチの前日だった。
決戦を目前に控えた翠は、川の土手に来ていた。
「・・・。」
別に轟や厳八に会うつもりは無かった。
ただ、緊張か焦燥か・・・つい何となく原点ともいえるこの場所に来てしまっていた。
・・・やがて彼が背を向け、立ち去ろうとしたその時だった。
「おめえ・・・翠じゃねえか。」
「オヤジ・・・。」
そこには買い物帰りか、袋を下げた厳八がいた。
積もる話もあったが、当然話は明日の事となった。
「すまねえな翠・・・正直今更おめえにアドバイス出来ることはねえ。」
「良いんだ・・・出来ることは全てやった。」
項垂れる厳八を慰める様に、翠は穏やかに言った。
「・・・そうだ、代わりと言っちゃなんだが・・・轟も試合の申し込みで暫く帰っちゃ来ねえし、ちょっくらわしとトレーニングしてかねえか?」
「トレーニング・・・?アドバイスは無いんじゃ・・・」
「ああ、だからチャンピオン戦に対してじゃなくてな・・・。わしから出来るのはムーンサルトの指導だけよ。・・・勿論、その攻略法もな。」
ニヤリと、厳八は轟ばりの不敵な笑みを浮かべた。翠も興味深く目を煌めかせる。
「・・・!そんな物があるのか!?」
「・・・うっ、それはだな・・・未完成というか・・・八割というか。すまねえな、へっぽこコーチでよ。でもお前と2人でなら完成させられる気がするんだ。・・・いやでも明日は大事なチャンピオン戦だし・・・ええと・・・」
厳八は困ったようにまごつく。翠はそれを見て・・・静かに笑った。
「・・・ふっ。いいよ、やろう。チャンピオンを倒して・・・轟と戦うその日の為にな・・・!」
それは翠の厳八との最後の記憶だった。
・・・轟が放ったムーンサルトに対して、翠は身構えた。轟も当然それに気づく。
相手は最強の天才・・・どれほど最高のタイミングでこちらが攻撃を放っても、恐らく何らかの手は打ってくるはずだ。
(良いぜ・・・こっちにはツインムーンサルトもムーンサルトドロップもある。お前が何をしてこようが・・・必ず俺が勝つ・・・!!)
「はああああっ!!」
迷い無く、轟はその右足を振り抜いた。
その瞬間・・・彼の予想通り、翠は行動を起こした。
そのまま地を蹴り、垂直に・・・大きく飛び上がったのだ。轟の右足のムーンサルトが空を切る。
(なるほどな・・・土壇場で高く飛び上がればムーンサルトを躱せるって訳か。なかなか考えたじゃねえか・・・だが俺にはまだ左のツインムーンサルトがあるぜ。落ちてきた所を貰う・・・!)
轟は回転速度を緩め、翠の落下を狙った。
すると翠は・・・空中で身を翻し轟に背を向け、そのまま後転した。
「うおおおおおっ!!」
・・・つまり、轟のムーンサルトの逆回転だ。
それこそが、翠が厳八と完成させた・・・ムーンサルト破りの必殺技であった。
一連の動きを見た轟は・・・敗北を悟った。
(なるほどな・・・これなら俺が何をしようが更に上からそれを叩き潰せるって事か。・・・正にムーンサルトを破る為の逆回転・・・ムーンサルトリバースって訳だな。・・・参ったぜ、俺の負けだ。やっぱりお前は最強で最高だった。最後の相手がお前でよかったよ・・・翠。)
二つのムーンサルトはぶつかり合い・・・やがて一つが落ちた。
戦いはここに決したのだ。




