第七十八話
「随分陰気臭い建物に連れてくるじゃねえか・・・ここに何があるってんだ。」
この日轟は蛭川に連れられ、郊外にある巨大な施設へと来ていた。
「ここは研究所兼、開発所です・・・例の薬のね。ウチの組はそういう技術に強くてね・・・まあ、いろいろあまり人には言えない研究をやってます。」
そう言うと蛭川は更に奥へと轟を連れていった。
薄暗い廊下のような、一直線の道。そして、目が慣れてくるとわかった・・・周囲には鉄格子に囲まれた檻がある。
「・・・ああううう。」
「おおおお・・・。」
轟達に気付いた檻の住民達が、ゾンビのように呻きながら近付いてくる。
がつん!彼等は見えていないかのように檻に激突した。
さしもの轟も同情の視線を送った。
「・・・ふん、障害者の引き取りでもやってんのか?ひでえもんだな・・・。」
「・・・惜しいですね。彼等は元々なんてことの無い健常者ですよ。まあ多重債権のどうしようもない奴等ではありましたがね。」
そう言うと蛭川は煙草に火を付けた。轟は事情を察した。
「実験台か・・・。」
「ええ・・・。どうしたら力が出るのか、どうしたら長続きするのか・・・色々試しましたよ。」
やはり気が乗らないという様に、蛭川はたった今付けた煙草を踏み消した。
「波風さん、あんたに見てもらいたかったのはこいつらだ。・・・そこの小柄なのは4回目の投薬で発狂した。そっちの骨太は良い個体で、実際にファイトにも出させたが6回目で駄目・・・。」
「つまり、俺もいつかこうなるって訳か・・・」
轟は微笑を浮かべながら軽く言った。蛭川は真剣な顔で頷く。
「はい・・・。そしてあんたの投薬回数は8・・・ここにいる誰よりも上だ。あんたが頑丈なのかその精神力で踏みとどまってるのかは分からないが・・・正直いつこうなってもおかしくはない。」
蛭川は轟の方を向き直し続けた。
「最初は軽い気持ちでした・・・不調のあんたに溌剌とした試合をまたして欲しかったのと、良い実験体になるだろうと思ったのと・・・半々って所かな。だが、この間のチャンピオンとの試合を見て思ったんだ、俺はとんだ間違いをしてしまったんじゃないかと・・・。ふっ、情けないでしょう・・・俺はしがないファイトのファンと極悪非道のヤクザと・・・どっちつかずの一番たちの悪い男なんです。」
「・・・。」
轟はただ黙って話を聞き続けた。すると蛭川はがっ、と轟の肩を掴んだ。
「火をつけたのは俺だ、止める権利は無いし最終的にはあんたの判断に任せるしかない・・・だが、今ならまだ間に合うかもしれねえんだ!今辞めればこうはならずに・・・!」
しかし轟は静かに首を横に振った。・・・彼の意思を確認した蛭川はそっとその手を離す。
「・・・そうですか、分かりました。・・・すいません。」
「謝る事はねえさ・・・言っただろ?俺はあんたに感謝してるって。あんたの力を借りなきゃ多分俺は一生翠と戦う事はできなかったさ。だから・・・」
轟は小さく微笑みながら、足元で這う実験体をじっと見た。
・・・轟を連れてきた日の深夜。
蛭川の突然の行動に研究所は騒然としていた。
「かしら・・・一体何を!」
「黙ってろ。」
ツギハギ顔の部下をひと睨みすると、蛭川は薬の入った瓶からパソコンから何から何までぶち壊して回った。
「ふうっ・・・ふうっ・・・ふうっ・・・。」
息を切らしながら、彼は最後の瓶を睨んだ。
(波風さん・・・あんたのようなファイターは二度と生み出しはしない。・・・あんたの愛したファイトには二度とこんなものを持ち込ませはしない。)
「おい・・・とっととここから出な。他の連中にも伝えるんだ、死にたくなければ急いでここを離れろとな。。」
「へ・・・へい。」
ツギハギ顔は大慌てで駆けていった。
最後に研究所を出た蛭川は・・・鞄を片手、煙草をくわえながら感慨深げに暗闇に佇む研究所を見た。
「・・・。」
ぴんと、短くなった煙草を放る。
するとそれは撒かれていた液体に引火し・・・広がり・・・やがて研究所を包んだ。
「ううおお・・・ああああああ!!」
言葉にならない悲鳴が奥深くからこだまする。
施設も・・・研究成果も・・・それによって生まれた悲劇の実験体達も、全てが炎に包まれた。
やがてそれを見届けた蛭川が、焼け落ちた跡から背を向ける。
終わった。これで何もかも・・・。
・・・その時だ。
ざくり。
突如暗がりから現れた何者かに、蛭川は脇腹を刺された。
「・・・っ!」
不意の衝撃に、彼は持っていた鞄を落とした。そして同様に彼も倒れる。辺りに血が広がっていく・・・。
こんな事をする者に心当たりは・・・正直数え切れぬ程あった。
当然の報いなのかもしれない・・・だがまだ死ぬ訳にはいかない。
蛭川は必死に血溜まりの中をもがき・・・這い進んだ。そして落ちていた鞄を抱えるようにその胸に抱き締める。
(何としてもこれは・・・こいつだけは・・・!)
思いとは裏腹に、蛭川の意識は薄れていった・・・。
・・・翌日、轟は早朝から起床していた。
この日はいよいよ翠との決戦の日だ。
その前に、蛭川から今日の分の薬を受け取らねばならない。
轟は土手の上へと登り・・・その時を待っていた。
そして時間を少し過ぎた頃に、その男は現れた。
「波風さん・・・波風さんですね!?」
それはいつぞや見た蛭川の連れのツギハギ顔の男だった。
「ああ・・・蛭川の旦那はどうしたんだ?」
「それが・・・かしらは・・・かしらは死んだ。」
「・・・何だと?」
男は俯き答えた。轟の目が点になる。
「どこの鉄砲玉か、はたまた恨みを持ったカタギの仕業かは知らねえが・・・昨日の夜遅くに・・・」
男は目に涙を貯めながら続けた。
「あっしは何か嫌な予感がして研究所に戻ったんです・・・そしたら、その時にはかしらはもう・・・。」
「・・・。」
轟は何も答えない。
「かしらはずっと固くこれを握り締めてたんだ。・・・波風さん、恐らくあんたに。」
そう言うとツギハギ顔は鞄から何かを取り出し、轟に手渡した。
それは例の薬の入った注射器だった。
「こいつを・・・。」
轟はじっとその注射器を見詰めた。
「かしらは最後までそいつを渡すべきか否か迷ってた・・・どれほど恨まれようとな。でも最後には決めたんだ、そいつをあんたに渡すって・・・。だから波風さん、勝ってくだせえよ。」
「ああ・・・。確かに受け取ったぜ。」
そっと頷くと、轟は歩き始めた。




