第七十一話
いつもの川の橋の下。
轟はぼんやり川の方を見ていた。
・・・・・・・・・どくん!
「・・・ぐ、うおお・・・っっ!!!!」
突然、轟は呻き声を上げながら地面をのたうち回った。
・・・しばらくして、その動きが止まる。
「はあっ・・・はあっ・・・。」
呼吸を整えながら、何とか轟は身を起こした。
・・・薬の副作用だろうか、彼はこうして日に何度も胸を襲う激痛に苛まれる様になっていた。
そしてその頻度は、試合をすればする程に増していっていた・・・。
「轟・・・。」
不意に背後から掛けられた声に振り向く。
「・・・麗香。」
すぐ真後ろに、不安気な眼差しでこちらを見る麗香がいた。
「轟・・・見てたよ。」
「何をだ・・・。」
轟の言葉は冷ややかだった。麗華の知る以前のような快活さは無い。
体は痩せ細り・・・常に額に浮かぶ汗からは余裕の無さが伺える。
そして、殺意に塗れ・・・でもそのどこかにほんの少し寂しさを携えているような・・・そんな目をしていた。。
「もう君の体は限界なんでしょ・・・。どうしてそこまでして・・・。」
「消えろ・・・2度と来るなと言っただろうが。」
そう言うと轟は、自身に注射器をぶっ刺した。
どくん!その体に筋肉が戻る。
「・・・!!」
「消えねえなら・・・力ずくでも追い返してやる。」
しかし麗香は俯きながらも引かなかった。
「・・・帰らないよ。だってこのままじゃ轟は死んじゃうから・・・絶対にそんなのは嫌だから。」
「だったら・・・!」
次の瞬間、踏み込もうとした轟は動けなくなった。
麗香のステルスストリングスだ。どうやら事前にこうなる事を見越して仕掛けていたらしい。
そこまでされながら・・・轟は麗華の接近に気付かなかった。それ程までに薬の副作用に意識を奪われていたのだ。
麗華も、彼のその明らかな異変を認識していた。
「お願い・・・もう辞めてよ。どんなに勝ったって、今の君は少しも幸せそうじゃない。」
「・・・。」
轟は何も答えず、容易く全身を囲む糸を引き裂いた。
「・・・っ!!そんな・・・そんな簡単に・・・!」
ぺたりと、麗香は座り込んだ。
1歩ずつ、轟が彼女に歩み寄る。殺さんばかりの迫力だ。
すると、麗華は掻き消されそうな声で呟いた。
「・・・怖いんだ。」
ぴたり、轟は彼女のほんの少し手前で歩みを止めた。
「私、死ぬのなんて怖くなかった。幸せに死ねればそれでいいって・・・そう思ってた。でもね、君に会ってからは違うよ。・・・怖いんだ。いつまでも生きてたいって思うようになった。」
麗香の頬を涙が伝う。
「きっといつか轟もそんな人に会えると思うんだ。いつまでも一緒にいたいと思えるような人にね・・・。だから、生きていてよ・・・。」
「・・・。」
何も答えない。だが、彼の瞳はほんの少しだけ揺らいだ。
すると彼は、すっと麗香に手を差し伸べた。
「轟・・・!」
麗香は歓喜の表情を浮かべながらその手を取った。
もしほんの少しでも彼の心が揺らいだなら・・・
・・・だが次の瞬間、轟は麗香をそのまま川へ思い切り放り投げた。大砲のような音と共に、水しぶきが上がる。
いつまでも一緒にいたいと思えるような人にいつか出会える・・・麗華のその言葉がずっと轟の頭をうずめいていた。
・・・残念ながらもうそんな人物には・・・一生出会う事は無いのだ。
「・・・今度こそさよならだぜ、麗香。」
轟は寂しげに呟いた。
「はあっ・・・はあっ!」
(何処だ・・・麗香!)
突如ジムからいなくなった麗香を、翠は探していた。
・・・あの日、麗華との練習試合の後だ。麗華を追い掛けた翠は、彼女をその控え室の前で捕まえた。
「待て!・・・待ってくれ。」
くるりと、麗華は翠の方を見た。その淡く煌めく黒の瞳で・・・。
「どうしたのチャンピオン、試合ならもう十分でしょ?私じゃ君に勝てないよ。」
「・・・いや、そうじゃない。試合の事では無く・・・何ていうか・・・。」
翠は言葉に詰まった。何しろこんな事は初めてだ。・・・ある意味ではそれはチャンピオンになる事より難しいかもしれない。
シンプルに、彼は思いを告げた。
「好きなんだ・・・お前の事が。惚れたんだ、試合をしてそれに気づいた。だから・・・その・・・」
言いながら翠は惑った。それでどうしたいのか、自分でも分からない。
すると、麗華は沈黙を割き笑った。
「ふふっ、面白いんだねチャンピオンは。・・・ありがとう、とっても嬉しいよ。人にそんな事言われたのは初めてだから。・・・でもね、駄目なんだ。絶対に私を好きになっちゃいけないんだ。」
口元を緩めたまま・・・彼女はごく普通に続けた。
「私、死んじゃうんだ。病気でもうすぐね。・・・今日や明日じゃない、でも多分それはそんなに遠くないんだ。」
「何だと・・・!?」
逆に受けた衝撃の告白に、翠は目を丸くした。
彼女は何でもないように微笑み、こう付け加えた。
「それに・・・私には他に好きな人がいるんだ。誰よりも強い君と戦って・・・私もそれに気づけた。その人はね・・・」
そして彼女は・・・その名を告げた。翠もよく知る男の名を。
しかし光の速さで振られてなお、翠は彼女の事を諦める事は出来なかった。
長くはいられぬと分かっていても彼女と一緒にいたかった。
だからあの雨の日、彼女を連れて行った。
たとえそれが轟に対する裏切りと分かっていても・・・。
・・・翠には麗華の行先に心当たりがあった。
消えた彼女が行くとすれば、この川しかない。
「・・・!麗香!!」
彼の読みは当たっていた。轟のテントから少し離れた川辺に、彼女は打ち上げられていた。慌てて翠がだき抱える。
「おい、しっかりしろ!大丈夫か!?麗香!」
すると彼女は咳き込みながら応えた。
「ううっ、私・・・止められなかった・・・誰よりも大切な人なのに。」
「・・・!!」
翠は眉を顰めた。
(轟・・・。)
複雑な思いが、彼の胸を駆け巡った。




