第七話
ナインカウントギリギリ、轟は立ち上がった。
もう一度防御や避けを取り入れた堅実な攻めを見せる・・・が、やはり相手の伊武の方が上だ。躱し損ねた攻撃が次々決まる。
ぐらりと轟がまたもダウンしそうになった瞬間、ラウンド終了の合図が響く。
厳八がミサイルの如くリングに飛び込む。
「轟!!大丈夫か!?しっかりしろ・・・ああ・・・。」
厳八は虚ろな目の轟を支えながらリングサイドに戻った。
「翠、水を寄越せ。頭からぶっかけるんだ。」
慌てて翠が水のボトルを手渡すと、厳八はそれを轟の頭へと振りまいた。
冷たさに轟の朦朧とした意識がはっきりする。
「わっちち・・・何すんだよ。」
「轟・・・もうダメだ。余りにもテクニックっちゅうもんが違い過ぎる。まだあやつと戦うのは早すぎたんだ。」
厳八は俯き首を振った。
しかし轟はへっ、と笑いを浮かべた。
「何情けねえこと言ってんだよ。俺はまだまだ戦うぜ。」
「自惚れるのもいい加減にしねえか!わしの言う通り200位と戦ってれば・・・。文句を言っても仕方あるまい。こうなりゃやはりムーンサルトじゃ。あれだけの実力者ならむしろああいう奇策が功を成す・・・」
「言ったろ、今回アレは使わねえって。・・・おっと、怒るなよ。勝ちゃあ何の文句もねえだろ。・・・見てな、次のラウンドこそ奴のロボットじみた鉄仮面をぶっ壊してやるからよ。」
すくっ。轟が勢い良く立ち上がるとほぼ同時に三ラウンド開始の鐘が鳴った。
今度こそ試合を決するべく、伊武が轟に迫る。機械のように正確に相手のダメージを見極め測り、ここが勝機と見たのだ。
それに対し轟は不敵な笑みを浮かべながら構えを取った。
(さあて、どうするかねえ。攻めて駄目、正攻法でガッチリガードを固めても駄目・・・。八方塞がりって奴か。・・・けっ、これが喧嘩なら飛びかかっていってけちょんけちょんにしてやれるのによ。・・・ん、まてよ・・・?)
ずばん!考え込んでいた轟の顔面に強烈なパンチが入る。声にならない悲鳴をあげる厳八と翠。
だが、彼らと裏腹に轟はケロッとした顔で笑みを浮かべていた。
「ううっ・・・?」
思わず攻撃を放った伊武の方が顔を顰めた。
「おっ、初めて鉄仮面にヒビが入ったな。だったらこの調子で行かせて貰うぜ。」
ニタニタと気色の悪い笑みのまま轟が迫る。
伊武は動揺しながらも素早く背後に回り込むと、後ろから腕で首を絞めた。
『おおっと!?これは決まったか?強烈にロックされているぞーっ!』
叫ぶ実況の声にも熱が入る。厳八も頭を抱えながら叫んだ。
「ああっ!あっさり後ろに回られやがって。ダメだ轟の奴、もう反応する体力も残っちゃいねえんだ。ただでさえ組技を解くのは体力を使うっちゅうのに・・・轟!!がんばれ!脱出するんだ!!」
翠も固唾を飲んでその様子を見守った。
(轟・・・。)
「ぐぎゃあ!!」
次の瞬間、首を絞めていた筈の伊武が悲鳴を上げた。轟が伊武の腕に噛み付いたのだ。緩んだ隙に轟がその腕から脱出する。
「おおっ、轟・・・!」
厳八は息を呑んだ。
「へへっ、少しは効いたようだな。じゃあお次はこんなのはどうだい・・・!」
轟はふっと上体を屈め腰を丸くし迫る。
そのポーズにアッパーカットが飛んでくると読んだのだろう、伊武はガードを下に構えて迎え撃つ。だが・・・
ごきり・・・!
伊武の読みは外れた。轟は沈めた上体から頭突きを繰り出したのだ。伊武の鼻から血が伝う。
「うぐおっ・・・!」
「まだだぜ!たっぷりお返ししてやる!」
すかさず轟は飛び膝蹴りを放ち、肘打ちを放ち、怯んだところにかかと落としをぶち込み・・・
とにかく滅多打ちにした。
「うっ、喧嘩だ・・・これは。」
呆気に取られその様子を眺めていた翠がぼそりと呟く。
「は?今何といったんだ?」
厳八はそっと聞き返した。
「喧嘩だよ。・・・轟の奴は喧嘩をしてやがるんだ。」
「喧嘩・・・だと?・・・そうか、そうか・・・なるほどな。」
「・・・?」
一人うんうんと頷く厳八に、今度は翠が聞き返した。
「あれほど完璧に轟の攻撃を躱していた伊武に何でいきなり攻撃が命中するようになったと思う?・・・さっきも言ったがディフェンスってのは攻める事の数倍難しいんだよ。あの伊武だって何も轟の攻撃の全てを見切ってるわけじゃない。・・・読みだ。奴の長年の勘っちゅうもんからくる的確な読みが轟の攻撃を予測しきってたんだ。たかだか半年足らずのにわか仕込みの轟の攻めが伊武の十年以上の経験から来る読みに通用するはずはないわい。・・・だが!」
ぎゅっ!厳八は先程の水のボトルを握り潰した。
「だがそれがファイトの基本から外れためちゃくちゃな喧嘩殺法ならどうかな?無論伊武も一流、生半可な素人の喧嘩殺法なんて子猫を撫でるかの如くひとひねりじゃ。だがこと喧嘩っちゅうもんにおいてはあの轟は超一流。・・・後はずっと奴を見てきたお前のが詳しいじゃろう。なまじファイトの基本戦術に慣れ親しんだ伊武にはあの道理を外れ一見無駄な動きの多い喧嘩殺法が刺さるという訳よ。」
二人は再びリングに視線を移した。轟がもはや虫の息の伊武の顔を掴み何度も頭突きを繰り出している。
「全く・・・ちょっとやられたくらいで半年かけて身につけたはずのファイトの極意をほっぽり出しやがって・・・また基本からめっきり指導せねばならんな。・・・だが、今回ばかりはそれが生きおったんじゃ。綺麗さや道理など度外視して、型にハマったファイターをぶち壊す・・・無茶苦茶な喧嘩ファイトがな。」
厳八はわなわな震えながら言った。
カンカンカンカン!!!
試合終了を告げる鐘が響く。
血塗れのリング上には。これまた血塗れの不良少年が一人、立っていた。