第六十六話
何度日が落ち・・・登ろうと、轟がテントから出てくる事は無かった。
麗香もまた、何度も土手の上まで来ては暫く立ち尽くし引き返す・・・そんな事を繰り返していた。
もう二度と来ない、そう口にはしたもののやはり轟の事が忘れられなかったからだ。
・・・それから数日たったある日の事。
麗香は轟のテントの前まで来ていた。
やはりどうしてももう一度、話をしたかったのだ・・・。
が、いつまでも最後の1歩が踏み出せずにいた。手を伸ばしては引っ込め、また伸ばす・・・。
そして最後には諦め、彼女がテントに背を向けた時だった。
がさり。背後からの物音に麗香が振り返る。
「・・・轟。」
「・・・。」
テントから出てきた彼はぼんやりと麗香を見ていた。睨むでも責めるでも無く・・・勿論歓迎するでも無く、ただおだやかで寂しげに・・・麗香を見ていた。彼女はゆっくり口を開く。
「ごめん、もう顔も見たくないって・・・それは分かってる。だからもし良かったら・・・本当に気が向いたらでいいんだけど・・・」
言いながら麗香は泣き崩れた。
「お願い、1日・・・たった1日でいいから・・・一緒にいさせてよ・・・!」
「・・・。」
暫く、轟は立ち尽くしたまま彼女を見ていた。だがやがて・・・ゆっくりと口を開く。
「・・・来週の火曜、12時に・・・5丁目の広場の銅像の前だ。その日1日・・・それで最後だ。」
すると麗香は・・・一瞬目を丸くしつつ、微笑んだ。
「・・・うん、分かった・・・!必ず行くよ・・・、ふふっ!」
轟は一瞬悲しそうな顔をすると、そのままテントに戻っていった。
思えば、彼女の笑顔を見るのは酷く久しぶりのようだった。
翌日・・・雲一つ無く晴れた空の下、人通りの多い昼間の広場にその少女はいた。
いつものボーイッシュな物では無く・・・可愛らしい服装に身を包んだその姿は芸能人か何かのように綺麗で、街行く人々の目を引いた。
麗香は、1時間も早く到着していた。
流行りに合わせた服装も、
綺麗に整えた髪も、
ほんのり施した化粧も、
全ては、この日の為に用意した物だ。
麗香の胸は高鳴っていた。まだ時間ではないというのに何度も何度も辺りを見回す。
1分1分が永遠のように待ち遠しい。
・・・やがて、広場の大時計が正午を知らせる。
しかし、彼はまだ来ていなかった。
時間にルーズそうな彼の事だ。遅刻した挙句、何食わぬ顔で現れる姿が思い浮かぶ。
麗香は1人でくすりと笑ってしまった。
(何処に行こうかな・・・今思うと君の事何も知らないな・・・。でもね、一緒に居られるなら何処でもいいんだ。君と一緒なら、なんだって幸せだよ。)
・・・10分、・・・20分、・・・30分。時計の針は少しずつ動いていく。
しかしどれほど時間が経とうとも、彼が現れる事は無かった。
時刻は15時を回ろうかとしていた。さっきまでの快晴が嘘のよう、空は濁りぽつりぽつりと雨がちらつき出している。
彼はまだ来ない。だが、麗香はただじっと待ち続ける。
やがて、雨は勢いを増し土砂降りとなった。
整えた髪も服も・・・台無しになっていた。
あれ程あった人の往来も、今では指で数えられる。
すると、その中の1人が麗香の方へ駆け寄って来た。
「お前は・・・凍城、凍城麗香だろう?」
「あ、君は・・・チャンピオン。」
現れたのは翠だった。この広場は彼のお決まりのランニングコースだった。それは雨の日でも変わらない。
「・・・何をしてるんだ!?傘も刺さずに・・・」
「それは・・・」
すると、翠はがしりと麗香の手を掴んだ。
「来い、すぐ近くにジムがある。こんな所にいたら風邪を引くぞ?ただでさえお前の体は・・・!!」
翠は・・・麗華に告白したあの日、彼女に病気について聞かされていた。
「でも・・・!」
慌てて麗香は辺りを見回す・・・しかし勿論彼の姿は無かった。
待ち人が来ない事くらい、とっくに分かっていた。ただそれを認めたく無くて・・・。
「・・・分かった。」
静かにうなづくと、麗香は翠に連れられて行った。
・・・少し離れたベンチに、轟は座っていた。
傘も刺さず、彼もまたずぶ濡れだった。
轟は知っていた。この広場が翠のランニングコースに含まれていることを。
ふと、彼の頭上に傘が現れる。
「お兄ちゃん・・・風邪引いちゃうよ?」
通りすがりの幼い少女が心配そうに轟に首をかしげた。
「へへっ、すまねえな。・・・そうだ。嬢ちゃん、良かったらこれをやるよ。」
轟が何かを手渡す。それは美しい髪留めだった。
「わっ!可愛い・・・!いいの!?」
「ああ、もうそれを渡す必要は無くなったからな・・・。」
「ありがとう!!実はあたし、今日誕生日なんだよね!!うわあ〜!」
少女は嬉しそうに何度もそれを回し眺めた。轟は彼女の頭をぽんと撫でると、立ち上がった。
(これで・・・いいんだ。)
轟は遠くを見た。恐らく今頃翠と麗香が鉢合わせているだろう方を・・・。
翠なら・・・きっと極短い時間でも麗香を幸せにするだろう。
ならばそれで良いのだ。何も無い自分といるよりも。
しかし、轟は直前まで迷っていた。
例え間違っていると分かっていても、その道を選んでしまおうかと。
理屈も何も全て忘れて彼女の元へ飛び出していってしまおうかと・・・何度もそう思った。
だが、それももう終わった。
(翠、頼んだぜ・・・。麗香、幸せになれよ・・・。)
轟は雨に濡らされながら・・・灰色の街に消えていった。




