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明日なんて来ない  作者: クロット
5章 消えかけた炎
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第五十二話

ジムを出た翠はタクシーを飛ばしある場所へと急いだ。それはあの川の橋の下、彼が半年近く過ごした思い出の地だ。


そして土手を駆け下りると、彼は目的の人物を見付けた。静かに声をかける。


「・・・轟。」

すると、ぼんやりトレーニングをしていた轟は翠に気付き手を止める。


「・・・おう、翠じゃねえか!なんだよまた来てくれたのか?・・・へへ、何も出せねえけどゆっくりしていってくれよな。」


何処で手に入れたのか・・・轟は学校にあるような学習椅子を並べると、翠にそれを勧めた。


「まあ、座れよ。今日は練習は終わりなのか?」

「ああ、そうだな・・・。」

しかし彼は腰掛けず、吊るしてあったサンドバッグに触れた。チェーンは弛み、全体的にボロボロだ。おまけに修繕した跡があちこちに見られる。


「なあ轟・・・繰り返すようだが・・・俺のジムへ来ないか?」

「・・・まーたその話か。断るってんだろ。そりゃあ天下のチャンピオン様を育てたジムだ、間違いはないんだろうが・・・俺はやっぱりここが良いんだよ。オッサンの作った・・・この野外ジムがな・・・。」

轟は微笑みながら、いとおしそうにボロボロのサンドバッグを見た。・・・その返答に、翠は俯く。


「・・・。」

「何辛気臭い顔してんだよ・・・そうだ、日雇いん所のオヤジがなんかお菓子くれたんだけどさ、これが結構旨くて・・・どこやったかな。」

轟はテントの中へ潜っていった。


日雇い、何気なく彼が口にしたそのワードだけで翠には分かった。彼がきっととんだ無茶をしているだろう事が。・・・というよりその姿を見れば一目瞭然だったのだ。目には隈を作り、そのはつらつとしていた体躯は少し痩せたように見える。

翠は迷っていた提案を伝える事にした。


「だったら・・・轟。」

「・・・ん?」

ガチャガチャと音をさせながら、テントの中で返事をする。


「選手では無く、俺のパートナーとしてジムに来てはくれないか?・・・時には練習相手として、時にはセコンドとして、俺をサポートして欲しい。」

そうすれば少なくとも、彼は今より良い暮らしが出来るはずだ。・・・何も出来ず、何も知らずに大切な者が弱り果てていくのには翠はもう沢山だった。


瞬間、ぴたりとガチャガチャ音が止む。そして轟はテントから這い出た。神妙なトーンで言う。


「・・・すると何か、俺にファイトを辞めろってのか?」

「いや、違う!そうでは無くて・・・!」


しかし翠は否定しきれなかった。・・・本音を言えばそうだ。この半年何度か彼の試合に足を運んだが、それは酷いものだった。むしろ彼のランクが140そこそこで収まっている事が不思議な程に・・・。

もし本当に轟の事を思うなら・・・もうファイトは辞めさせるべきだ。それは翠にも分かっていた。


「・・・そうだ、その通りだ。轟、お前はもうファイトを辞めるべきだ。お前だって本当は分かってるだろう、このまま続けた所で・・・。もし厳八の親父に義理立ててリングに立ち続けているなら、それは大きな間違いだぜ・・・。」

「・・・!!」


一瞬轟は目を見開いたが、次の瞬間狂ったように笑い出した。・・・その姿は、何処か泣いているようにさえ見える。


「はっはっは、ひっひっひ!こりゃ愉快じゃねえか!忘れたのかい、翠。お前は一度この俺に負けたんだぜ。・・・へっ、チャンピオン様としては防衛の邪魔になりそうなヤツはとっとと消しちまうに限るもんな。全く、悪知恵が回るようになったもんだぜ。」

「・・・!違う、そう言う事を言ってるんじゃ・・・!」


しかし轟は笑みを浮かべたまま、拳を突き出した。


「うるせえな・・・構えろよ、翠。ここらでてめえを張り倒してそのベルトを奪い取ってやろうじゃねえか。チャンピオンたるもの何時何時誰の挑戦も受けねえとな・・・文句は言わせねえぜ。」

「・・・。」

翠はやむを得ず構えた。こうなったらもう、抑えようがない。


「おおおおおっ!!」

轟は気合いと共に殴りかかった。実に真っ直ぐ、実に短調に・・・。


ごきっ!!


翠は鋭いパンチで轟を迎撃した。轟の体は吹っ飛び、仰向けで転がる。


弱い・・・あまりにも。

その容易さに、翠は複雑な気分だった。

それは叶う事なら・・・彼と共に、同じ世界で歩みたかったからだ・・・。満田ジムに来れば、まだ彼にも可能性はあるかもしれない。


「轟・・・俺は今でもお前の事を親友だと思ってる。もし少しでも気が変わったらジムに来てくれ。待っているから・・・。」

そう言うと、翠はその場を去っていった。



しばらくすると、空が灰色に染まり・・・雨が降り出した。

鼻先にぽつりと落ちる冷たい雫に、轟は目を覚ました。


「・・・うっ・・・。」

やがて、勢いを増す雨が全身を濡らしていく。しかし、轟は立ち上がらなかった。


「何だってんだよ・・・ちくしょう。」

彼は呟いた。

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