第四十三話
・・・気付けばすっかり辺りは暗くなっている。
「帰ろうか・・・」
「・・・ああ。」
呟くように問うレンに、翠が応じた。
「すまなかったな、無駄にはさせないなどと大口を叩いておいて・・・彼の常日頃を見た所で何の役にも立たないかもしれないな。」
「いや、そいつがどんな奴か知る事は・・・戦いにおいてきっと無駄ではないと思う。」
少なくともこのチャンピオンに関しては・・・。翠はそう感じていた。
「君の約束の件については明日必ず付き合おう。・・・さて、タクシーでも・・・」
その時、突然背後から肩を捕まれる。
「待ちなよ。・・・散々人の事付け回しといて用が済んだらとっととずらかろうってのかい?」
「・・・!!チャンピオン・・・!」
そこには練習を終えたのかタオルを首に掛けたチャンピオンが居た。
「へへっ・・・1杯付き合いな。良い店知ってるからよ。」
線路下にある小汚いオヤジがやってるしみったれたおでんの屋台。チャンピオンは二人をそこへ連れてきた。
「これはまた、古典的な日本の・・・というか・・・」
若干困惑したようにレンは屋台をキョロキョロした。
「へっ、まあそう言うなって・・・これで案外良い味出すんだぜ。・・・オヤジ、適当に良いのを見繕ってくれや。」
チャンピオンが慣れたように注文すると、屋台の主人は快活な返事と共に熱々のおでん、それから焼酎を3人に並べた。
言われてみればなるほど、これはこれで悪くなさそうだ。翠の食欲はほんの少し擽られた。
「しかしチャンピオン、ファイターが酒というのは・・・」
「なんでえ、ベロベロで酔拳でも繰り出しそうな風体しやがってよ。・・・おっ。」
ごちゃごちゃ問答する2人を他所に、翠は焼酎を一気に飲み干した。チャンピオンが賞賛する。
「いいねいいねー、やっぱこうでなくっちゃな。・・・お前も固い事言ってないでどうだい?別にいけない口って訳じゃないんだろう?」
「・・・むっ、まあ1杯だけなら・・・。」
翠に触発されレンもなんだかんだで酒を飲み干した。
・・・気が付けば3人は、酒に食事にたらふく楽しんだ。おでんが本当に美味かったのかはさておき、結局酒が入ってしまえば何でも美味いのだ。
「うぃ〜ひっく。」
レンが顔を真っ赤にして目を浮かせている。
「あらら、こりゃ潮時だな。オヤジ、勘定を・・・」
チャンピオンがポケットに手を突っ込み財布を探す。すると、レンがその手を留めた。
「何だよ、レン。ここは俺が出すって。・・・その代わりまた今度付き合ってくれよな。」
チャンピオンは微笑みながら再び財布を探そうとした。しかしやはりレンがそれを留める。
「いーや、ここは私が出そう・・・ひっく。なあに、ほんの前祝いという奴さ。偉大なるチャンピオンの20度目の防衛か・・・はたまた、新たなチャンピオンの誕生か。」
きらり、レンは鋭い目を翠に向けた。思わず翠も目が点になる。妙な沈黙がその場を包む。
「新たなチャンピオンか・・・へへへ、こりゃいいや。だってよ御影、良かったじゃねえか。」
沈黙を割いたのはチャンピオンだった。ぽんと翠の肩を叩きながら立ち上がる。
「ああ、すまないな・・・レン。」
「フフッ。」
レンは気にするなとばかりに歯を見せて笑った。
屋台を出た3人は夜道に出た。
ぴたりと、突然レンが立ち止まる。
「すまないな、今日はこの後近くにある道場を訪問する事になっているんだ・・・ひっく。アサギ、明日君のジムへ出向こう。約束はその時にな。・・・チャンピオン、今日は楽しかった。また会おう。」
「ああ、こちらこそさ。・・・またな、レン。」
二人は千鳥足で遠ざかっていくレンを見送った。
「へへっ、危なっかしいぜ。あの調子じゃ本当に酔拳でも教えるんじゃねえか。・・・さて御影、この辺じゃタクシーも拾えねえからよ。大通りまで案内するぜ。」
そう言うとチャンピオンは歩き出した。
ポケットに手を突っ込み緩やかに進むチャンピオン。翠もその少し後ろに続く。
「・・・なあ、御影よ。お前には・・・ライバルってやつはいるかい?」
「ライバル・・・?」
思わず翠は立ち止まった。するとチャンピオンが振り返る。
「ライバルっても単に手強い相手・・・っていうだけじゃないぜ。ある意味では自分に一番近いというか・・・敵であり友でありというか・・・。」
表現に悩み彼も顔を顰める。だが、言いたい事は翠に伝わった。
考えるまでも無い。翠の頭には一人の男の姿が浮かんでいた。
「ああ・・・いる。一人、まさにそれに当てはまるのが・・・。」
そう答えると、チャンピオンは満足そうに微笑み・・・再び前を向いた。
ここまでノンストップで無敗街道を駆け巡る翠がそこまで言う相手となれば、記者連中辺りなら黙っていなさそうだが・・・チャンピオンはそれ以上追求しなかった。
「そうか・・・。俺にもいたぜ。一人、とんでもねえのがな。そうさ、いたんだ・・・。」
すると彼は突然立ち止まった。
「奴はチャンピオンだった。・・・強かったよ、半端じゃなくな。奴さえいなければ・・・そう思う事も何度もあった。だがな、いざ試合となると・・・そんな思いは消えちまうんだ。」
そう言うとチャンピオンはぼんやり空を見た。
「そこにあるのは体二つ。ただ全力でぶつかり合うだけ・・・。余計なもんは全部消えちまう。そんでもって試合の後には勝敗に関わらずほんの少しの満足感だけが残る。他には何も残りはしない・・・そんな相手が俺にはいたんだ。」
すると彼は拳を握り震わせながら続けた。
「だがな・・・そう、比喩じゃなく本当に何も残らなかったんだ。俺の渾身のパンチを受けて奴は・・・奴は二度と起き上がらなかった。・・・ふふふ、いつだってそうだ。失って、亡くしてからそれがどれだけ大切だったか気付く。」
チャンピオンは、寂しげに俯いた。
「傍から見れば俺のパンチで相手が死んだんだ。そりゃあ俺の勝ちだろう。でもな、違うんだ。それはほんのラッキー・・・いや、当たりどころが悪かっただけなんだ。もし奴が生きていれば次の試合は俺が負けていただろうし、勿論その次はベルトを取り返していただろう。・・・そうやって、奴との戦いは続くはずだったんだ。たった一度の勝ち負けで決着が付くような・・・そんなはずは無かったんだ。」
彼が震える声で語る話に・・・翠はちゃちゃを入れるでも合図地を打つでも無く、ただじっと聞いていた。
彼が以前チャンピオンから感じた轟に似た雰囲気、その正体が今やっと分かった。
目だ。いつも薄ら笑いを浮かべ楽しそうなこの男が時折見せる何処か寂しげな目・・・それこそが正にそっくりだった。
轟も喧嘩に明け暮れていた頃、不良の群れを叩きのめした時に・・・同じ目をしていた。
退屈さと寂しさが入り混じったような目を。
・・・気付けば二人は大通りに出ていた。
「結局、俺はその時からずっと燻ったままなのさ。どいつもこいつも・・・あのレンさえも、優秀ではあるが俺を燃えさせるには至らねえ。例え勝ち続けていても・・・空っぽなんだ。」
チャンピオンは遠くを見ながら呟いた。
「だったら・・・」
ここで初めて、翠が口を開いた。
「俺が燃えさせてやる。そしてその上で勝ってやる。燻ったままなんて言わせない、完全燃焼した上でお前のベルトを奪い取る・・・!」
「・・・!」
ほんの一瞬・・・実に僅かだが、チャンピオンの目は軽い火花程度に燃えたように見えた。
「そいつは期待しねえとな・・・そら、来たぜ。」
手を振るチャンピオンの元にタクシーが停車する。
「ああっ!?貴方はチャンピオン・・・!!・・・さ、サイン!サインを!!」
運転手は思わず車から駆け出た。
「けっ、大袈裟なおっちゃんだな・・・そら、こいつをやるからそのにーちゃんを送ってやってくれよ。」
そう言うとチャンピオンは万札に適当にサインをし、運転手に手渡した。
「じゃあな御影、次は試合場で・・・な。」
「ああ。」




