第四十二話
例の練習試合から数日。
翠はあれ以降満田ファイターズジムでハードなトレーニングに望んでいた。
筋トレ器具をがむしゃらに動かす翠の横の席に飛岩が座り込んだ。
「よう翠、流石に熱心な事じゃないか。さしものお前も相手があのチャンピオンとなると焦りを感じるってわけかい?」
彼もまた筋トレを始める。
「ああ、そうだな。正直勝てる気がしない。」
「何だと!?」
がしゃり、思いがけぬ返答に飛岩はトレーニング器具を離した。・・・落ち着いて座り直す。
「いや・・・俺はこの間の練習試合を見てる限り、それほどチャンピオンとの間に差は感じ無かった。・・・むしろ満田会長が止めなければあのままお前が勝っていたかもとさえ・・・。」
「確かに、戦ってる最中は俺もそう思っていた
・・・だがな、奴は全然本気じゃなかったんだ。」
ぎしぎし、翠は思い切り器具を動かしながら続けた。
「会長は正解だ、あのまま戦っていたら俺はやられていただろう。」
「確かにハンデをつけていたのは間違いないが・・・あの重りを外しただけでそれほど急激に変わるものか?」
「ああ。・・・というより、それだけじゃないんだ。重り以上にあの時の奴からは何か危険な匂いがした。」
『何か危険な匂い・・・』あいまいな表現に飛岩は納得がいかなかったが、彼にはレンの秘めた力を見抜いた前例がある。何かを感じ取ったのだろう。
「お前がそう言うならそうなのかもな。・・・それで、このままありきたりなトレーニングを続けて勝てるものなのか?」
「さっきも言ったが正直勝てる気がしない・・・が、それは今のままではという話だ。勿論このまま終わる気は無い。」
すると翠は勢いよく立ち上がりこう言った。
「・・・奴には俺のこれまでの全てをぶつけてやる。」
賑わう街の洒落た喫茶店。翠はそこでコーヒーを味わっていた。妙な苦さに顔を顰める。
およそ珍しい光景だが、この日翠は待ち合わせの為にこの場にいた。ある男と会うために・・・。
ふと、背後の気配に翠が立ち上がる。
「やあ、待たせたかな。」
「すまないな・・・国に帰る所だったんだろう?」
翠に語り掛けたこの男は・・・レン。チャンピオンチャレンジャートーナメント決勝で翠と激戦を繰り広げたレン・ウェンシアである。
「いや、暫くはこの国にいる予定でね。何故か君が来る予感がした。・・・というより、確信していたからな。必ずあのチャンピオンの姿を見ればこの私の元へ情報収集に来るだろうと。」
レンは席に付いた。注文を取りに若い女が来る。
「その事なんだが、少し頼みがあって・・・」
ピタリ、突然レンは手のひらを突き出し翠の言葉を留めた。
「ああ、聞こうとも。だがその前に一つ、私に付き合って貰えないかな。・・・なあに、無駄にはさせまいとも。」
そう言うとレンは立ち上がり、注文の女に一礼し不要の意を示した。
レンに連れられ、タクシーで数十分。辿りついたのは翠が厳八達と暮らした地域に似たような、廃れた町だった。
人気の無い公園でタクシーを降りる。
「何だ?ここに一体・・・」
問い掛ける翠に、レンは無言で公園の隅のベンチを指差した。
そこには真昼間から眠りこける一人の男の姿。
・・・ふと、男が起き上がり大きく伸びをした。翠はその顔を見て唖然とした。
それは紛れもない、あのチャンピオンだったのだ。
「!!どうしてこんな所に・・・!?」
すると・・・5、6人の子供達が驚愕する翠の横をすり抜けて行った。
「わー!チャンピオン、遊んでよ!!」
「おっ・・・へへっ、来やがったな。」
その姿に気付いたチャンピオンは、ゆっくりと立ち上がる。
「チャンピオン!高い高いしてよ!!」
「はいよ!そらっ・・・!」
「チャンピオン、俺のパンチ見てよ!!また強くなったんだぜ。」
「おっ、そうかい。じゃあ打ち込んできな。」
「チャンピオン、新しいゲーム買ったんだ!!やってみない?」
「ほーう、最近のガキンチョ共はこういうんで遊ぶんかい・・・んだこりゃ?くそ、結構ムズイな・・・このやろ。」
自分にまとわりつく子供達の遊びに、実に楽しそうにチャンピオンは付き合った。
そこにあのリングで無敵を誇る最強のチャンピオンの姿は無かった。休日の父親か・・・いや、もっと子供達に近い。さながら暇な兄貴分とでもいう所か。
「・・・あっ、チャンピオン。もう帰らないと・・・お母ちゃんが5時までに帰れってうるさいんだ。」
一時間ほど経ったろうか、子供の1人が口にすると皆が次々それに続いた。
「そうか。じゃあ気を付けて帰んなよ・・・また今度な!」
「バイバイ、チャンピオン!!」
「・・・。」
全員を見送ると、チャンピオンは1人立ち尽くした。
ぼんやりと皆が去った方を見ている。
「驚いたろう・・・チャンピオンのあの姿に。」
物陰からその姿を見ていたレンが翠に語り掛けた。
「ああ・・・」
どういう訳か、翠はチャンピオンを見て轟の姿を思い起こしていた。
顔や姿では無い。ぶっきらぼうな言葉か振る舞いか・・・いや、それ以上に何処かがチャンピオンは彼に似ていた。
「私も初めて見た時は驚いたよ。彼はいつもこうなんだ。昼寝をしたり子供と遊んだり・・・彼が自身の超一流ジムでトレーニングしてる姿を見た者は誰もいないという・・・おっと。」
ふと、チャンピオンはどこかへ向けあるき出した。慌ててレン達もそれを追い掛ける。
数分後。町の片隅に建てられた廃墟・・・というかボロ小屋というか・・・
ともかく、雨風凌ぐにも難のありそうなボロボロの建物にチャンピオンは入っていった。二人は建物の前で立ち止まる。
「もう何十年も前の話だ、私も詳しくは知らないが・・・」
「ん・・・?」
語り出すレンに翠は耳を傾けた。
「彼がまだ君くらいの頃だ。身寄りの無かった彼は喧嘩や悪さや・・・まあとにかく、滅茶苦茶やっていたそうだ。・・・そしてそんな時だ、彼はたまたま出会ったコーチに才能を見出され、ファイトの道へと進んだという・・・。」
「・・・!」
(同じだ、俺達と。)
翠は厳八と出会った日を思いだしていた。
「正にゼロからのスタート。資金もロクな道具もない・・・しかし彼等は互いに支え合い二人三脚でみるみるうちにランクをあげて行ったそうだ。」
レンの話に・・・翠は自分を重ねていた。
もしもあのまま厳八の所で歩み続けていたら・・・。
自分はここまで来る事ができなかったろうか?
それでも・・・厳八は自分を支えてくれたろうか?
・・・その時、どすどすと激しい音が建物の方から響いてくる。
聞き覚えのあるこの音は・・・サンドバッグを叩く音だ。翠はそっと窓から中を覗く。
するとそこでは、チャンピオンが電気も付けず・・・いや、もはや古くなりつかないのかもしれない。とにかく、ただひたすらボロボロのサンドバッグを打ち続けていた。
「今や彼はチャンピオン、自分のジムに帰れば最先端の素晴らしい設備があるというのに・・・何故か練習の際にはこの寂れたジムに来るのさ。そのコーチももう亡くなったそうだが・・・今でも彼は、そのコーチと共に歩み続けているつもりのかもしれないな。」
レンはしみじみと、そう言った。




