第四十一話
「ピンポンパンポーン!御影厳八様〜いい朝でございますよー、起きましょうね〜!御影厳八様〜!」
大きな声で喚く轟に厳八は堪らず目を覚ました。
「な、なんだ気色の悪い声だしおって・・・!」
「へへん、起きなよオッサン。もう丸一日以上寝てるぜ。」
「なんだと!?・・・しまった、今日も日雇いを入れてたんだ!!」
ばさりと厳八は飛び起きて周りを見回した。時計、時計は何処か・・・。
「いーじゃねえかよたまにはよ。普段あんだけ真面目に働いてんだ、ほんの一日バックれた位で咎めやしねえさ。」
「むう・・・。」
困った表情をする厳八の膝に、轟は何かをばさりと落とした。
「ん?何だこれは?」
「今朝の新聞だぜ。さっき八百屋のオヤジん所のポストからくすねてきたんだ。・・・それよかそいつの一面、見てみなよ。」
ふぁさりと広げたそこには大きな翠とチャンピオンの顔が写っていた。
「こ、これは・・・」
「へっへっへ・・・翠の野郎もとんでもねえ所まで来ちまってよ。次勝ちゃあチャンピオンだって言うじゃねえか。全く大した・・・ん?」
轟は厳八が新聞に見入っているのに気づいた。まるでこちらの事を忘れたかのようだ。にやにやと、自分の事のように嬉しそうな表情をしている。
「・・・ふふ。」
そんな厳八を見て、轟も静かに微笑んだ。
「さてと、こうはしておれん。午後からでも仕事に出ねば・・・。今は猫の手も借りたいほど人手が足りんのじゃ。」
立ち上がろうとする厳八。轟はそれを慌てて止めた。
「やめとけって・・・見ろよ、外は雨だぜ。今更ご老体一人加わった所で大して捗りやしねえさ・・・それによ、やっぱり体悪いんだろ?」
そう言うと轟はポケットから紙切れを厳八に手渡した。それはいつかに見つけた彼の処方箋だった。
「お、おめえこれを何処で・・・いや、見たのか?」
「へっ・・・俺は医者じゃねえからよ、詳しくはわかんねえが・・・薬の量を見りゃあ何となくオッサンが酷い風邪だってこたあ分かるぜ。」
「か、風邪・・・!?」
至って健康体、風邪くらいにしか掛かった事のない轟にとっては病気といえば風邪であった。
「見たのか?と聞かれれば・・・そうだな、そっちの方は見ちまったぜ。」
轟は顎で処方箋の名前欄を指した。
「えっ?あっ・・・!」
それを見て厳八はハッとした。そう言えば先程轟は自分の事をそう呼んでいた。
彼に伝えた蛮田厳八ではなく・・・御影厳八と。
「水くせえじゃねえかよ。言ってくれりゃあ良かったのに。」
「いや・・・しかし・・・」
厳八は気まずそうに俯いた。轟は微笑のまま続けた。
「オッサン・・・本当はてめえの手で翠の事を一流の選手まで育てたかったんじゃないのか?・・・息子なんだろ?あいつは・・・。」
「・・・!!ああ、そうじゃ・・・。勿論わしの手で翠をチャンピオンにしてやりたかった・・・だがな、あいつを育てるうち・・・わしは気づいてしまったんじゃ。」
厳八は膝にかかったままのボロボロの毛布を握りしめた。
「あいつはとてつもない才能の持ち主じゃった・・・。こんな・・・こんなファイト狂の老いぼれの手には有り余る逸材だったんだ。」
「・・・。」
轟は何も言わず、ただ彼の話に耳を傾けた。
「だからこそ迷った・・・このままここで翠の才能を腐らせて良いものか・・・。そんな時だ、あの満田の会長さんが現れたのは。」
「それで翠をあの爺さんに預けた・・・って訳ね。」
「うむ。本音を言えば・・・そりゃあ奴と共に歩みたかった。奴についていてやりたかった。・・・だが奴の事を考えればこそ、尚更最高の環境でその腕を磨かせるべきだと思ったんだ。」
「なるほど・・・ね。」
轟は理解した。つまり、最初から自分は翠のおまけだったのだ。厳八がスカウトしたかったのは息子である翠で、たまたま一緒にいた俺の事もついでにトレーニングしてくれただけだった。翠がいなくなってなおこうして面倒を見てくれたのは、厳八の温情にすぎなかったのだ。
納得はいった。こんなポンコツファイターの世話をしてくれたのだ、感謝するべきなのだろう。だが轟は、悲しくて仕方がなかった。涙がこぼれないようにそっぽを向く。
「・・・でも良かったじゃねえか、オッサンの判断は間違ってなかったよ。こうしてナメクジみてえなランクをさ迷ってる俺を見てたら尚更そう思うんじゃねえか?・・・最も俺には最初から才能なんて無かったんだろうが・・・。」
「・・・!!ちがう、それは違うぞ轟・・・!!」
厳八は口調を強めた。
「確かに最初に声をかけたのは翠を鍛える為だったが・・・お前のあの強烈な一撃をくらった瞬間、わしはお前にもとてつもない才能がある事に気づいた。翠と同等・・・いや、それを上回る程のな。だから・・・だから・・・」
瞬間、厳八はぺたりと頭を付いて詫びた。
「すまん!お前が成果を出せんかったのは一重にわしの責任じゃ!!とてつもない金の卵を抱えて起きながらそれを生かすだけの力量がわしにはなかった。・・・いや、今からでも遅くない、満田さんにでも頭を下げて・・・」
何度も頭を下げる厳八を轟は慌てて止めた。
「やめてくれよ責任だなんて・・・そもそもオッサンが声をかけてくれなきゃ多分、俺はあーだこーだと理由付けてをワールドチャンピオンズファイトのリングに上がることは無かったろうよ。だから感謝してるんだぜ。オッサンにはさ・・・」
そうだ、結果はどうあれ・・・最高の時間だった。
そして終わりだ。伝えるのだ、厳八に。ワールドチャンピオンズファイトは終わりにすると・・・。そしてこれからは自分も働いて少しは厳八に楽をさせてやると。
「オッサン・・・俺・・・。」
しかし、轟が話し始めるより先に、何かを察したのか厳八が口を開いた。
「轟・・・やめんなよ。前にも言ったがおめえには間違いなくチャンピオンになれる才能がある。絶対にだ。・・・だから、これからもファイトをやめねえでくれ。」
「・・・っ。いや・・・。」
出鼻をくじかれた轟は、意思を伝える事が出来なかった。厳八に応えるでも無く、ただ無言でじっと彼を見つめていた。
しばらくして轟は、雨が止んでるのに気がついた。
「晴れてきやがったな・・・。なあオッサン、雨も止んだし・・・久々に俺の練習見てくれねえか?」
轟が尋ねると、厳八は勢い良く立ち上がった。
「よし来た!どーせ休みだ、とことんまでやっちゃる。フットワークからムーンサルトまで、全部見てやるわい!」
「へっへー、そう来なきゃな!!」
二人は満面の笑みを浮かべた。




