第二十三話
川の土手、橋の下に設置されたテント。
「・・・く・・・。」
日もとっくに登った午後一時、轟は目覚めた。
トレーニングはその日その日で体の限界になるまで行い、試合の時間もその時によってまちまち。彼の睡眠時刻は日によってバラバラだった。
よってこの日は、昼過ぎに起床した。
「よう、起きたか轟。」
ぬっ、と厳八がその顔を覗かせる。
「ああ・・・まあいきなりオッサンの小汚い面を見せられたんで爽やかな起床とはいかなかったがね。」
伸びをしながら轟は言った。
「このやろ・・・まあいい。ほれ、ちょっと外出てみな。」
「・・・うん?」
厳八に急かされ轟はテントを出た。するとそこには、雑誌で見るような立派なトレーニング器具がいくつも広がっていた。
所々錆び付いていたり、塗装が禿げていたりしたが・・・十分に使えそうだ。
「こ、こいつは・・・」
「へへ、すげえだろ轟・・・おめえのその顔が見たかったんだ。」
そっと触れたり軽く引っ張ったり、轟は器具の動きを確かめた。軽く弄るだけでもその性能の程が伺える。
「だけどこんなもんどうやって・・・?・・・ああ、さては盗んできたな?こんなごついもん万引きできるたあ、オッサン怪盗になれるぜ。」
「ど、ド阿呆!」
ヘラヘラと言う轟に厳八は怒声を飛ばした。
「ちゃんと買ってきたに決まっとるじゃろが!勿論新品とはいかない、潰れるジムのお古だがな。」
「・・・それにしたって・・・こんなもん日雇いで買えるシロモノじゃ・・・。」
その時、突然轟の背後から聞き慣れぬ声がした。
「その通りでえ!」
そこには派手なサングラスとそれ以上に目立つツギハギ顔をした男。そして轟より十歳程上だろうか、顔こそ若いもののそうは思えぬ貫禄を身につけたスーツ姿の男の二人組が居た。
「ううっ、あんたらは・・・!」
厳八が呻くように言った。
「ようようよう、蛮田厳八さんよう!」
ツギハギの方が、鶏のように首を振りながらツカツカと歩み寄る。
「アンタ、有名ジムのオーナーだって話でウチから金を借りたよな?・・・ところがどうだ、これがジムぅ?」
サングラスからはみ出る上目遣いが、非常に不快感を駆り立てる。
「いやね、蛮田さん。こちとら金さえ返してくれりゃあアンタの素性なんてどうでもいいんだ。だけどよう、払えねえのに持ち逃げされたんじゃたまらねえからな。」
「勿論だとも。金は必ず、どれだけ掛かっても返すから・・・。」
厳八が跪いて懇願する。
すると突然、ツギハギ男は厳八の顔面に蹴りを入れた。
「そうは見えねえから言ってんだよお!!アンタが借りた三十万・・・プラス、三日で五割増だ。どう考えたって払えねえよなぁ!?舐めてんのかぁ!!」
そう言うと、ツギハギ男はパンチを繰り出した。厳八が衝撃を予期し目を瞑る。
ばしぃ!!
その刹那・・・轟が間に入り、そのパンチを受け止めた。
「・・・なるほどな、話はだいたい分かったぜ。・・・確かにあんたの言う通り、悪いのは払えもしねえ金を借りたオッサンだ。だから一発はしょうがねえ。・・・けどな、これ以上やろうってんならそん時はこの俺が相手になるぜ。」
「なんだてめえクソガキがぁ・・・!」
止められたのと逆の手で、ツギハギ男はパンチを放った。
轟は身を屈め華麗にそれを避けると、反撃の拳を弓のように引いた。
グッ!
今度は轟のその腕を、もう一人のスーツ姿の男が後ろから掴み止めた。
ぐぐぐ、めきめき・・・
凄まじい力だ。
男は軽く掴んでいるようなのに、骨が潰されんばかりの力で、轟の拳は無理矢理上に向けられた。
瞬間、男はぱっと手を離すと両手を顔の辺りで開き降参のポーズをとった。
「おっと・・・すいません。別にアンタに喧嘩を売る気はねえんだ。そもそもアンタには勝てねえしな。・・・波風轟さん。」
「・・・。何者だ、てめえは・・・。」
びりびりと、握られていた轟の手はまだ痺れている。
「・・・これは失礼。俺は蛭川って言って・・・まあ、つまらないヤクザもんをやってます。波風さん、アンタの事はよく知ってる。・・・試合、よく見させて貰ってますよ。」
蛭川は自己紹介しながら煙草を咥えた。
「アンタの試合・・・決して勝率が高い訳じゃない、だが好きだ。・・・なんていうかこう、ふつふつと煮え滾る火山のような物を感じさせてくれる。負けているのに、いつ爆発するか分からないような・・・」
しゅぼっ!煙草に火をつけると、彼はふうーと煙を吐いた。
「そんな姿を見ているとね、まるでヒーローの逆転勝利を待ち望む子供のような気分になるんです。・・・ふふっ、下らないお喋りが過ぎましたね。」
そう言うと蛭川はぽんと轟の肩を叩いた。
「さて、この度はウチのモンが粗相を働いちまって・・・。あんなチンピラの出来損ないみたいな野郎だがあれでも俺にとっちゃ可愛い弟分でね・・・。お詫びと言っちゃなんだが波風さん・・・あちらのトレーニング器具分の借金、今回はサービスさせて頂くって事で勘弁しちゃあくれませんかね?」
「・・・そいつは願ってもねえ話だが・・・本当に良いのか?」
警戒するように問い掛ける轟。するとその様子を見ていたツギハギ男が口を開いた。
「しかし・・・かしら・・・!」
「・・・黙らねえか。」
ぴしゃりと制すると、蛭川は話を続けた。
「なあに、未来ある若者にプレゼントって訳ですよ。・・・それじゃあ波風さん、今日は失礼させて頂きます。・・・試合の方、頑張ってください。いつか噴火する日、楽しみにしてますよ・・・。」
そう言うと蛭川はツギハギ男を連れ去っていった。
そして最後にちらりと鋭い横目で轟の方を見ると、こう呟いた。
「未来ある・・・ね。」
「・・・轟、すまねえ・・・儂はなんて事を・・・。」
厳八は目を潤ませながら土下座した。
「辞めてくれよオッサン、結果的にタダで器具が手に入ったんだ。それでいいじゃねえか、な?」
ニコニコしながら轟は厳八を励ました。だが次の瞬間、その顔から笑みは消えた。
「だが、あの蛭川とかいう野郎・・・気に入らねえな。奴は俺の事を知っていた。という事は当然オッサンの事も知ってたはずだ。ランク下位選手のしがないセコンドに過ぎない事をな。」
「うっ・・・?ああっ!そうか・・・!」
厳八も目を見開く。
「知っていながら金を貸したんだ。返すあてなんて無いと分かっていながら・・・。わからねえ、どうにもきな臭い野郎だぜ・・・。」
いつの日か、あの男とはまた会うかもしれない。
轟はそんな事を考えていた。




