第十六話
冬の厳しい寒さもほんのり顔を潜める昼下がり。
轟は川周辺でロードワークに励んでいた。
プップー!
背後からのクラクションに轟は足を止めた。宅配の大型車の運転席から、白髪のまざりかけた男が顔を出す。見た感じ、四十歳程だろうか。
「いや、練習の邪魔をしてしまって済まないね。君の姿を見たらつい声をかけてしまった。・・・波風轟君だよな?」
「構わねえさ、どのみちもう切り上げようと思ってた。・・・何で俺の事を知ってんだ?」
噛み付かんばかりの野良犬のように、警戒心に満ちた目で轟が睨む。
「知っているとも!君の試合、何度か見させて貰った。この僻地田町に住む同じファイターとして君の事は応援しているんだ。」
轟のトゲトゲしさも何のその、男はまるっきりフレンドリーに話した。『同じファイター』という単語に轟の眉が動く。
「・・・アンタは?」
「おっと、これは失礼!つい嬉しくってね。私は繁 吾郎。・・・今でこそランキング152位だが、一昔前は『剛力の吾郎』なんて言ってランキング80位に迫る勢いだったんだが・・・知らないかな?」
「悪いな・・・知らねえ。」
「ははは、だよなだよな!良いんだ、そりゃ知らないわな・・・」
吾郎は何でもないという素振りをしたが、その目は何処か悲しそうだった。
「別に落ち込むこたねえさ。俺はアンタに限らずチャンピオンの名前だって知らねえんだから・・・」
あっけらかんと轟は言った。
「それはそれで問題あるような・・・。
・・・おほん、とにかくだ!是非とも君には頑張ってもらいたい。町の皆もこの僻地田町の星なんていって応援してるんだから・・・」
「何?俺をだと?まさか!」
轟は嘲り笑った。汚いドブ川の隅で黙々とトレーニングに打ち込んでいるだけのランキング170そこそこの自分の何処に応援する要素があるのか。
しかし吾郎は目を丸くしながら首を振った。
「本当だよ!子供達は毎晩録画したテレビのファイト中継に釘付け。三丁目のお婆さんは君の激しい勝ち様を見てボケが治った。商店街のオヤジたちは新チャンピオンが出たら町おこしに使うんだなんて息巻いてたしな。」
嘘つけ・・・。
そう思いながらもここまで言われると少しばかり轟は照れくさかった。にやにやが滲み出る。
「・・・本当はあの翠君にも共に頑張って欲しかったのだが・・・彼は・・・。」
ここまで言って、吾郎は慌てて口をつぐんだ。
・・・しかし遅い。轟は何処か寂しげにそっぽを向いた。
「へっ。なあに関係ないさ。それなら俺がその分もここで勝ち上がってやるからよ・・・。」
その時、二人の前方からきんきんした騒ぎ声。
見るとそこには、楽しそうに駆けてくる子供達の一団がいた。
わー!わー!
彼等は吾郎の車を取り囲むとはしゃぎ始めた。
「ゴロー、ゴローだ!!」
「わー!おっちゃんサイン頂戴!!」
「ゴロー次はいつ試合するの!?」
「・・・こらこら、サインならこないだあげたじゃないか。試合は・・・」
あっという間に轟は蚊帳の外、吾郎は子供達の対応にてんやわんやだ。
ふと、子供の一人が轟の方を見る。
「ん?あれ・・・もしかして。」
「・・・あ?え?」
「間違いない!波風轟だ!!」
キョトンとしていた轟は瞬く間に子供達に囲まれた。凄い熱気だ。
サインやら握手やらしばらくして、やっと轟は開放された。もみくちゃにされた彼を吾郎が笑う。
「はっはっは!だから言ったじゃないか!!子供達にとって今一番人気は君なんだぞ!」
「・・・。」
轟は今まで感じたことのない気持ちに苛まれていた。
生まれてこのかた、人に憎まれ虐げられる事はあっても、こうして応援されるような事は無かった。誰かを泣かす事はあっても、喜ばせる事は無かった。
初めて味わうその感情は、こそばゆくて・・・照れ臭くて・・・でも何処か目頭が熱くなるような・・・
轟は何とも言えない気分だった。
「・・・吾郎の旦那。」
「んん?どうかしたかい?」
ぽつりと吐かれたその言葉に吾郎は耳を傾ける。
「何ていうか・・・頑張んねえとな。」
「ふっふっふ・・・そうだね。・・・あ、しまった!配達の途中だったんだ。行かないと・・・」
吾郎は慌てて車に戻った。
「ふふ、轟君・・・君もランキング的にいつか私と戦うことになるかもしれないね。その時はよろしく頼むよ。」
轟はちらりと吾郎を見た。
「ああ・・・でもそん時は手加減は抜きだぜ。それじゃつまんねえからな。」
吾郎は快諾すると、手を振りながら走り去っていった。




