第十二話
それから二週間余り。
翠は帰っては来なかった。
轟も厳八も、常に胸にその事がつかえていたが・・・敢えて二人はそれを口には出さなかった。
「轟、分かってんのか。今日は久々の試合だ。今はしっかり体を休めとけよ。」
無心でサンドバッグを叩く轟を厳八が諭す。
轟はちらりと横目で彼を見た。
「うるせえな。俺はこうして体でも動かしてた方がよっぽど落ち着くんだよ。それにな、たかだかランク165位の相手くらい四十度の熱が出てたって軽くのしちまえるぜ。」
「全く、てめえはそうやっていつもいつも・・・。」
呆れた顔で厳八が言おうとしたその時、ぴたりと不意に轟の手が止まる。その目は厳八の後方を見つめている。厳八も不思議そうな顔で後ろを振り返った。
「うっ、おめえは・・・」
「翠・・・。」
そこには小綺麗な衣装に身を包んだ翠がいた。慌てて轟が駆け寄る。
「よう、翠・・・なんでえおめかししちまってよ。さてはお前セレブジムから盗ってきやがったな。へへ・・・手癖の悪い野郎め。・・・泥棒ついでによ、札束でもちょろめかして来てくれてると新しいトレーニング器具の資金になるんだが・・・」
ペラペラと轟は畳み掛けるように話した。まるで翠に返答をさせないように・・・
『なんて事言うんだ!』と厳八が轟を咎めようとしたその時、翠はそっと口を開いた。
「すまない・・・何も持ってきちゃいないんだ。何か用意すりゃ良かったな。」
「・・・な、何言ってんだよ。ほんの冗談じゃねえか。こうしてお前が戻ってきたんだ、他には何もいらねえぜ。」
思った以上に申し訳なさそうに言う翠に轟は逆にたじろいだ。
「・・・轟。すまない、俺は戻ってきた訳じゃねえんだ。」
「は?何言って・・・」
「・・・今俺は満田ファイターズジムん所の会長さんに世話になってる。あそこには最高級の設備が整ってるんだ。・・・それでな、会長さんは俺が成果を出したらお前ら二人を招いても良いって言ってる・・・」
「・・・。」
轟は何も答えない。翠は説明を続けた。
「今日はな、その事を知らせに来たんだ。あの飛岩を見ただろう?あそこで鍛えればすぐにでもあいつと同等・・・それ以上の力が得られるはずだ。ちょっとばかし時間はかかっちまうかもしれねえが、必ず迎えに来るからよ・・・」
「ふざけんじゃねえ!!」
突然、轟が叫んだ。
「あの公園で・・・約束したじゃねえか。この厳八オヤジとともにてっぺんを取るって・・・そんでもって最後は俺とお前で決着を付けるってよ!!忘れちまったのかよ!」
「・・・すまない。」
どぐちゃっ!!
翠が申し訳なさそうに呟いた瞬間、轟が彼の頬に思い切り鉄拳をぶち込んだ。
「そうかよ!!ああ、そうかい!・・・ジムでも何でも行けばいいじゃねえか。最高の設備が待ってんだろ。・・・ああ情ねえぜ、ずっと一緒だと思ってたのは俺だけって訳かよ・・・!」
地に伏す翠を見下ろしながら轟は叫んだ。その目に涙を貯めて・・・。
俯きながら翠も口を開く。
「轟・・・俺は・・・。」
「・・・行けよ。殴って悪かったな。お前ばかりいい所から誘われたんでちょっとばかし妬んじまったんだ。・・・でもな、俺はやるぜ。この厳八オヤジとボロボロの器具で野外練習場ででも、てっぺんを取ってやる・・・!」
力強く言い放つと、轟は背を向けた。
「・・・。」
少しして・・・翠は厳八に小さく『世話になった』と言い残すと、去って行った。
厳八はどうしたらいいのか、暫くまごついていたが、やがて轟に話し掛けた。
「轟・・・。」
「わーってる、試合だろ。とっとと行こうじゃねえか。」
静かに答えると、轟は歩き出した。




