彼とわたし
どんな言葉も彼の前では薄っぺらいものになってしまう。
語彙力が足りない。
感覚が足りない。
感情が足りない。
追いかけた先には何もない。
だけどそれでも欲しかった。
ほんの一瞬でもいいからその瞳に映りたかった。
ー彼はわたしには眩しすぎた。
海風を凌いで堤防沿いを走る。
"そこ"につく頃にはもうすでに彼はいるけど、まだわたしには気付いていない。
絡んだ髪を軽く整えながら彼の背後にまわれば、背の大きな彼がとても小さく見える。地べたにあぐらをかいて、一心に本を読みふける彼の肩に、勢いよく両手をのせて。何とも古典的な方法で驚かせれば、これまたわかりやすいくらいに肩をビクッと震わせるから笑ってしまう。
振り向いた彼が"どこのギャルかと思ったらミケか"、なんて笑う瞬間、世界が魔法みたいに輝き出す。
彼の声が好きだ。
彼の言葉が好きだ。
彼の柔らかい笑顔も、ふわふわの髪も、一挙一動さえ愛しい。
"ミケ"
この世でわたしのことをそう呼ぶのは彼一人。
「今日は何読んでたの?」
「ミケには到底わからない本だよ」
「わかるよ」
「わからないよ
だって俺にもわからないもの」
「キューにもわからないもの、あるんだ?」
「そりゃあね」
"俺を天才みたいに思ってるでしょ、間違いだよ"
自嘲的な笑みをこぼしたキューは、そのままゴロンと横になる。
"空が遠い"、いつもの独り言を呟いたあと目をゆっくりと閉じる。それがキューが眠る合図。
その間にわたしはキューの読みかけの本をひたすら読む。
わけもわからないまま、ただ、ひたすらに。
少しでもキューに近づけるようにと、祈りながら読むのだ。