2話 魔法使い
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少し長いです。
目が覚めたのは夜も更けた頃だった。汚いベットから半身を起こして、ロトは重い目を擦る。
いつの間にやら眠ってしまっていたようで、ガンガン頭に響く音が憂鬱さを増幅させた。ゴシゴシと頭をかきむしる。
腕の包帯をジッと見て、ロトはゆっくりとではあるが意識の覚醒を感じた。
枕元に置いてある時計を見る。時間は午後の九時前。部屋に入ったのが四時だから五時間眠っている計算だ。よほどここまでが疲れていたのだろう。
目的地が見つかった途端に死んだように眠ってしまうとは不甲斐ないばかりである。
「……もう五年か。早いもんだな……」
不意に早すぎる時の流れを感じて、少し寂しくなった。今はただ、平和であったあの頃が懐かしい。それと同時に、あの平和を壊してしまった自分が憎らしくてたまらない。
ベットからおり椅子の背にかけてあったローブを纏うと、鍵を握りしめてロトは部屋を後にした。
木製のオンボロ階段をギシギシいわせながら、一段一段足を下ろしていく。もう遅い時間だというのに、フロアでは店員さんがほうきを片手にせっせと働いていた。
「お疲れ様です。こんな夜遅くまで、大変ですね」
店員さんの横顔に労いの言葉をかける。店員さんは掃く手を止めて、ロトの方を向くと「これはこれは」と頷いた。
「お客さんこそ、こんな夜遅くにどこかへお出かけですか? 夕食を頼まなかったところを見ると、外へ何かを食べに行かれるんですね?」
燦爛と輝く店員さんの瞳が眩しい。彼女の考えは大いにわかるのだが、残念ながら今日のこれはそんなにいいものではないのだ。
そこらへんを説明するのも面倒に思えたので、ロトはとりあえず「まあ、そんなものです」と作り笑いを顔に飾った。
「うちの宿は門限があるので気をつけてください。十時——一時間後くらいですね、にはもう玄関を閉めちゃいますから気をつけてください」
店員さんはそう言うとニッコリと笑顔をロトに向ける。よく見るとあちこちほつれてしまっているエプロンに包まれたその姿は、ロトには眩しすぎた。
頷きで了承の意を示したロトはそそくさと宿から、暗闇が我が物顔をしてはびこる外へ出た。
数時間ばりの外の空気はすっかり冷えていて、やけに気持ち良く感じられた。人通りが多い方に、何かに導かれるようにフラフラっと歩き出す。
露店街はすでにたたまれて、町は昼間とは違った空気を放つ。ガハハと高らかな笑い声が酒場から溢れ出ていた。
「どこの町でも、酒場だけはしっかりとあるんだな……」
夜の町は点々と賑やかな酒場が置かれた星座のようだった。ロトはキョロキョロと辺りを見回して目的の店へと真っ直ぐに向かう。
「いらっしゃい」
ぶっきらぼうな酒場のマスターは昼間見た露店の店主だった。カギューの若女将の発言から、おそらくメメメとは彼のことなのだろう。彼はロトをチラリと見たが、特に絡んで来る様子もなく「ご予約は?」と訊いた。
「奥のボックス席を取ってます。ララポで」
無言で奥の席を指し示す。その方向には細い通路があり、恐る恐る進んでいくと間も無く目的の男を見つけた。
「やあ、魔法使いのダンナ。元気にしてるかい?」
「その呼び方はよしてください。俺の名はロトで、俺は魔法使いじゃないんです」
「魔法が使えりゃあ、誰だって魔法使いですよ……」
目的の男、ララポはへへへと笑いグラスを傾けた。雇用主に対する態度としてはなんとも言えないが、ロトはあまりそのようなことを気にする人間ではなかった。そもそも、今日が最後であるのだし。
カコンッと氷のぶつかる音が鳴る。ロトはララポをジッと見ていたが、やがて大人しく彼の向かい側に座った。
「この町、私は以前にも来たことがあるんですぜ。そのときはこんなに豊かではなかったし、こんなに希望に溢れてもいなかった」
何かを思い返すように、何かを懐かしむように遠くを見るララポ。しかし今日ばかりは彼とのやりとりを楽しむ余裕がロトにはなかった。
しびれを切らして「本題に移りましょう」と冷たく言い放つ。辛辣な気もしたが、ロトにしてみれば致し方のないことだった。
「……ちなみに、どのくらい話すべきなのか測りかねてるもんでしてね、どこまで知ってます?」
「とりあえず神殿は見て来ました。時間がなくて外だけではあったんですが……」
「着いて早々に確認たあ、なかなかハードですな。それでよく宿が取れたもんだ」
「たまたまですよ。たまたま入った露店の主に知り合いの宿を勧めてもらえたんです。ほんとラッキーだった」
ララポはそれを受けジト目でロトを見つめる。彼は俯いて自分の運を噛みしめているようだった。
ララポが飲んでいたビールがそこで切れた。タイミングよく店員がやって来る。「ビール二つで」と言うと「俺はいいです。そんな気分じゃないんで」とロトに冷たく言われた。ララポはビールとウーロンを頼む。
「しっかしまあ、本当にやる気ですかい? ここにあると決まったわけじゃないんですよ?」
不安げなララポをロトは一蹴した。
「あなたらしくないですね。自分の仕入れた情報に自信がないんですか?」
「そんな事は言ってません。私はいつだって自分の仕事に誇りと信念を持ってやってますから、ガセなんて出回らせる気もないですよ。……でもただ、それでもガセが混ざってしまうこともあるんです。私の情報は百パーセントのことなんてほんの一握りしかない」
「一握りで十分でしょう?」
「一握りで十分だとお思いなら、それは私だけでなく、同業者への侮辱と取らせてもらいますよ。もし本当にそう思ってるのなら——」
ララポはそこで言葉を区切り、睨む目つきでロトを見て言った。
「俺はあんたを軽蔑する」
それはハッキリと示された拒絶。しっかりと表されたロトの発言への不快感だった。
ララポの目が、芯の通った真っ直ぐな目が痛い。ロトは無意識のうちに彼のすべてから目をそらす。
それは逃避だろう。自分自身ではどうにもできない、圧倒的壁を目の前にしてしまった時の、言い訳にも似た逃げ。後ろめたさが、後ろ髪を容赦なく引いて来る。
ロトは彼の言葉をいなそうと「それは嫌ですね」と軽口で返した。こうも続けた。
「でも、だからこそ俺はあなたを選んだのかもしれない。俺にないものを持っているあなたを、雇ったのかもしれないですね」
「……なら良かった」
言葉の後の柔らかな眼差しが、余計に苦しくさせた。
ビールとウーロンが運ばれて来ると彼らは会話を再開した。
「新しく手に入ったものです」と言うと、ララポはロトの目の前に一枚の写真を置く。そこに写っていたのは一人の神官。だが、それよりもロトの目を引いたのは彼の脇に抱えられた一冊の古びた本だった。
「これ、本当に確かですよね?」
「ええ、今朝とれたてのホヤホヤです。情報屋をなめてもらっちゃあ困ります」
情報屋。一般的に物質化される“物”ではなく、人から人へ“情報”を集めては売ることを生業とする者たち。この職種は、その特殊性からか極めて数が少なく、大抵が王家や貴族のお抱え情報屋である。クライアントを特定の人物に絞る人間が多く、ララポもまたそんな情報屋の一人だった。
通常ならこんな一般人と契約を交わすことなどないのだが、彼らには少し特殊な事情があって契約を交わしているのだ。
「これは多分、今までで一番わかりやすい写真ではないかと」
「ああ、わかるわかりますよ。これはすごい」
「ダンナ、これが本当に、その、魔導書って本なんですか? こんなのが、魔女の手がかりになるんですか?」
「そうだよ、きっとなるに違いないさ。魔女の作りし魔導の書。グリモア。どうしてこれがそうでないと言える!?」
興奮した様子のロトはそのまま席を立つと、玄関に向かって飛び出した。その背を目で追うララポ。彼は唐突な別れに対して動揺し——
「……ダンナ! 本当に切ってしまうんですか?」
——つい、本音を漏らしてしまった。ララポはロトからこれが最後の仕事だと聞かされている。事実上の解雇だ。情報屋にとってこれは、痛い。
ロトがくるりと振り向く。一瞬だけ物悲しそうな顔をしたが、ロトは努めて明るくこう言った。
「お世話になりました。ありがとう」
これ以上、彼らの間に言葉はなかった。ララポは遠ざかる背中に、深々と礼をした。
※ ※ ※ ※ ※
宿への帰り道は足が浮いているような感覚を覚えた。フワフワして実感がない。今度こそ本当に見つけられた。魔女の手がかりを、魔女の痕跡を。
空に浮かぶ満月が、ロトを怪しく包み込む。町の静けさもより一層深まっていた。自然と宿への足が速くなっていく。
「ようやく掴めた。あの日から探していた魔女の忌まわしき痕跡を!」
ロトはふと、長い旅路を思い返していた。全ては自分のため。全てを取り戻すため。後ろも振り向かずにただひたすらに歩いて来た。それがついに報われた気分は、ひたすらに最高だった。
夜の闇がじわりじわりとロトに向かって伸びて来る。それは彼にとって果たして味方なのか敵なのか。今はいい、まだいい、わからなくとも構わない。全ては手に入れてからだ。
——グリモアを、魔女の、奴の痕跡を!
そんなことを考えていたから、ロトは全く気づけなかった。猛烈に熱い闘気を、深刻なほど冷徹な殺気を。
「とった」
短く放たれた言葉は、誰に向けられたのだろうか。
鋭くキラリと光る短剣の刃が見えたと同時に、街中に大きな金属音が鳴り響いた。
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